第2405日目 〈『ザ・ライジング』第2章 2/38〉 [小説 ザ・ライジング]

 聖テンプル大学付属沼津女子学園の正門で木之下藤葉は希美を待っていた。沼津駅発のバスに乗ってちょうど動き始めたとき、人混みの中に希美の姿を見たのだ。
 たぶん、次のバスだろうなあ。
 小首を傾げて坂の下を見やる。まだ希美を乗せたバスは見えない。水泳部の後輩の一団が「おはようございます!」と唱和して、傍らを通り過ぎていった。その後ろ姿を見ながら視線を、前庭と隣接するグラウンドに転じた。トラックをジョギングする陸上部のかけ声が聞こえてくる。美緒もきっとあの中にいるんだろうな、と藤葉は思い、首を伸ばしてみたが、やめた。首筋とマフラーの間から寒風が吹きつけてくる。思わずブルッと震えて、鞄を落としそうになったが、それはどうにか防ぐことができた。
 ――遅いなあ。
 水泳部の朝練がない水曜日は、藤葉にとって憩いの日だった。その前日はゆっくり過ごすことができる(夜更かしをしていられる)。それに、昨夜は友人二人がテレヴィに映り、どちらか、あるいは二人ともハーモニーエンジェルスの一員になれるかもしれない、と全国の人に知らしめた日でもあった。インターネットによる事前の国民投票でも二人とも健闘し、とある巨大掲示板サイトでも評判がよかったのは知っている。あらかじめ予想していたとはいえ、まさか二人そろって上位十人に選ばれ、あのアイドル・グループの新メンバーになれる可能性が一段と濃くなったのが、一晩経たいまでも信じられなかった。
 ののちゃんはなおさらかもしれない。
 そう思った矢先、肩を遠慮がちに叩く者があった。え、誰――? 振り返ってみるとそこには、八重歯を覗かせてこぼれるような笑顔の希美がいた。
 「おはよう、ふーちゃん。どうしたのさ、こんなところで? 風邪引いちゃうよ?」
 「あ、おはよう。びっくりしたあ。いつから後ろにいたの?」
 「いまだよ。バスから降りたら正門に見馴れた背中があるなあ、と思って。そうしたらふーちゃん、ぼーっ、と校舎の方を眺めてるしさ。声かけていいものか悩んじゃっちゃったよ」
 「駅でののちゃん見かけたから、次のバスで来るだろうな、って思って待ってたんだよ」藤葉は鼻をすすり、鞄を持ち直しながらそういった。ふと、目の前の希美の荷物がやけに身軽なのを不思議に思い、視線を落として、思い当たった。 「今日はテューバ、持ってきていないんだね?」
 「うん、今日は部活ないからね。家に置いてきた。――行かない?」
 弾かれたように背を伸ばすと、藤葉は「そうだね」といって、希美と並んで歩き出した。何組かの集団に追い越され追い抜きした。ときどき二人に挨拶してゆく者もあった。それは同じクラスの子だったり、部活の子だったり。教師や職員の姿も見受けられる。
 左手にそれて中等部の昇降口へ向かう一団を横目で見送りながら、藤葉は「昨日ケータイに電話したんだよ」と隣を歩く希美にいった。
 「そうだったんだ、ごめんね、出られなくて。食事の支度したり灯油入れたりしてたからね、気がつかなかった。そのときだったのかな、ふーちゃんが電話くれたのは?」
 自分より数センチ背が高い藤葉を見あげながら、希美がいった。そのなんでもない仕草の希美を、藤葉は奇妙な胸のうずきを覚えた。かわいいと感じるよりももっと胸を突き刺す記憶が甦ったからだ。若菜……。
 「たぶんね。家の方にかけようと思ったら、ちょうど彩織ンから電話があってね。『今日はののンとこに電話しちゃあかんでえ』って釘を刺されてしまった」と、藤葉はさもおかしそうに笑っていった。「たぶん、美緒のところにも同じ電話したんじゃないかな」□

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