第2408日目 〈『ザ・ライジング』第2章 5/38〉 [小説 ザ・ライジング]

 窓際に並んで坐る希美と彩織のところへ、これまたいつものことながら美緒と藤葉がやってきた。四人が話題の俎上にのぼせたのは、ご多分にもれず今朝の水爆弾事件のことだった。あの三年生の過去の行状がどんなものだったのか、人並みに興味はあったが、真偽についてさしたる関心はなかった。それでも登校してきたときにはすべてが終わっており、断片的にしか事件を知らない彩織に事の顛末(もっとも、真実はわずかにしか含まれていない“事の顛末”ではあったが)を語らんと藤葉は、他のクラス、学年の顔見知りや水泳部の後輩達から仕入れてきた情報を交えて取捨選択し、理路整然とかつユーモアたっぷりに話して聞かせた。やがて始まる授業に間に合うよう、限りなく簡潔に、(自分の知る範囲で)正確に。
 「へえ、そうやったの。ところで、ののとふーちゃんは平気やったんか?」と、藤葉の解説をふんふんと頷き、ときどき「ほう」と声をあげながら耳を傾けていた彩織が、希美と藤葉を代わる代わる見やりながら訊いた。
 美緒も心配そうな顔をして唇を少し噛んで、傍らの藤葉を見、希美を見た。その瞬間に二人に、特に希美になにかがあったのかどうか、美緒は知らなかった。直後の二人には会っていると雖も。そんな彼女の瞳が潤んでいるのが、彩織にはわかった。眠いのかな、美緒ちゃん、とぐらいにしか思わなかったのだが。
 「うん、離れていたしね。近かったけど、平気だったよ」と希美は答えた。「ふーちゃんは? 私より近くにいたよね?」
 「そうだねえ」ちょっと窓の外を見てから、視線を彩織に戻して、藤葉はいった。「そういえば、少し飛沫がかかったかなあ。でも、それぐらいだよ」
 「なるほど、爆心地――“グラウンド・ゼロ”ってわけやな」
 美緒はハッと顔を彩織へ向け、眉間に皺を寄せた。本能の命ずるままに右足で彩織のふくらはぎを蹴っ飛ばした。
 彩織は唇をとがらせながら美緒を見あげた。「なんだよお」と文句をいう前に、あっ、と気がついた。希美と視線が合い、思わずうつむいてしまった。グレーの格子柄のスカートを両手の指先でいじくった。“グラウンド・ゼロ”――しまった、ののの前ではタブーやった。あの事件の記憶は必然的に、南の島での惨事を掘り出さずにはいられない。
 「ごめんな、のの。つい――堪忍や」
 いつになく神妙な表情で許しを請うている親友の姿がそこにあった。みんな、そんなに気を遣わないでよ。却ってこっちがいたたまれなくなるじゃない。つらつらそんな事を思いながらも、怒りは湧いてこなかった。気を遣ってもらっている立場で、そんな理不尽な感情を持ち出す方がどうかしている。横一文字に結んでいた口許をほころばせ、破顔一笑しつつ、ちょっと首を左に傾けて彩織の顔を覗きこむ。
 「いいよ、彩織。気にしてないから」
 三人、特に彩織の顔に安堵の表情が浮かんだ。
 「――それにしてもふーちゃんの話はわかりやすくていいね。やっぱり女子アナになるための練習なの、それも?」
 授業が始まるまでのあと約二分、少し暗くなってしまった〈場〉をなんとかしたい。そんな思いから、美緒は藤葉の将来の夢に話を振った。
 「うーん」という呻きとも思案中ともどうとも取れる声をあげながら、藤葉は髪を撫でた。「そんなんじゃないけどさあ……けど、意識はしてる」藤葉ははにかみながらいった。「でもさ、私、女子アナ目指してるわけじゃないよ。レポーターとか特派員とかさ、報道に携わりたいとは思ってるけど。まあね、テレヴィ画面には映ってみたいけど」
 「新聞記者とかはだめなん? 報道の仕事だったらそれだってありやん」
 彩織の言葉に希美も頷いた。しかし、横目でとらえた藤葉は一瞬、ひるんだように見えた。それをすかさず察した美緒が、
 「だめだよ、彩織ちゃん。ふーちゃん、文章書くの苦手だもん。――ね?」
 続けていたずらっぽい笑みを藤葉に向けながら、「中学のときだって読書感想文や作文の宿題、私が代わりにやってあげてたもんねえ?」といった。
 「美緒ォォォォォォッッ!! そんな昔の話、持ち出すなあっ!」
 藤葉は両の人差し指の関節を、美緒のこめかみにぐりぐりと押しつけながら叫んだ。が、もはや後の祭りであった。そう、文章を書く宿題になると藤葉は美緒をファストフード店の最も高いメニューで買収していたのは、いま彩織と希美の知るところとなった。
 それを見ながら希美と彩織は腹を抱えて笑った。美緒と藤葉もそれにつられて笑い出した。幾つかのグル-プがなにごとか、と四人を見た。あるグループは再び自分達の話題に戻り、あるグループはそのほほえましい光景にしばし時間を忘れた。
 そして、一時間目の始まりを告げるチャイムが、全校中に鳴り響いた。□

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