第2411日目 〈『ザ・ライジング』第2章 8/38〉 [小説 ザ・ライジング]

 学内に鳴り響いた四時間目の終わりを告げるチャイムの音で、藤葉は居眠りから覚めて現実に引き戻された。どうやら先生には見つからなかったらしいや。前の席に自分より背の高い者が坐っていると、たまにはそんなお目こぼしもあるらしい。藤葉はその生徒の名前を口の中で呟いた。ん、グッド・ジョブ!
 日直の号令に自然と体が従って礼をすますと、美緒が弁当箱をバッグから出しているのが目に入った。後ろで一まとめにした黒髪の房が左肩から流れ落ち、こちらを振り向きざま宙で弧を描いてた。大きな瞳に前髪がかかったのに払うそぶりを見せない美緒を見て、なんだか最近綺麗になったなあ、好きな人でもできたのかなあ、とぼんやり考えた。
 藤葉の視線を感じたのか、列のいちばん後ろに視線を向け、微笑した。口を開いてなにかいっているが、声は届かなかった。しかしその唇の動きと弁当箱を捧げ持つ仕草で、だいたいなにをいっているのかはすぐに推理できた。「お昼、どこで食べる?」と美緒はいっていた。が、答えようとしても寝覚めたばかりだからなのか、頭の中に雲がかかったように感じられ、なにかを考えようにもあいにくと思考能力はそうすぐに働いてくれそうもなかった。それでも、美緒が「どうかしたの?」といいたげに近づいてくるのがわかる。そのわずかに後、希美と彩織も訝しげな顔つきでやってくるのが視界の端にとらえられた。その瞬間、藤葉の視界は曇り、青一色に染めあげられた。自分の周囲は薄気味悪くなるほど濃い青で、ずっと先へゆくほど薄まってゆき、色を失っていた。でも、その光景はすぐに消え果てた。耳許で、美緒の声が聞こえた。
 「ふーちゃん? ふーちゃんってば!?」
 片手に弁当箱をぶらさげて、空いた方の手で藤葉の肩を揺さぶりながら、美緒は呼びかけた。友達の名前を口にするたび、そこにこめられた感情は変化しているようだった。心配。驚愕。不安。最悪の事態――まさか!! 汝、死を忘るゝなかれ。メメント・モリ。
 三度ばかり頭を前後に揺らし、髪を乱れさせ、口をぼんやりと半開き、はっきりと焦点の定まらない目で、不安げに自分を凝視する美緒を見、口許をほころばせた。その笑みは相手を安心させるためでもあり、自分を安心させるためでもあった。ともあれ、この笑顔で、美緒はいうに及ばず希美と彩織も、ほっ、と安堵の溜め息をついた。
 「もう、心配させて! どうかしちゃったのかと思ったよ」美緒は、藤葉を揺さぶっていた方の手の甲で、目蓋にあふれていまにもこぼれ落ちそうになっていた涙を拭った。鼻をシュンシュンと鳴らしつつ。「でも、なにもないならよかった……」
 藤葉がなにかいおうと口を開きかけると、
 「だめやんか、ふーちゃん。美緒ちゃんに心配かけちゃあ」と間髪入れさせずに彩織が口をはさんだ。その調子はなかばからかい、なかば心配。後者のほうにずっと比重が傾くけれど。
 「いつものふーちゃんらしくないよ。どうかしたの?」
 頭を振って希美の質問に答えると、
 「ごめんね、ちょっとぼーっとしちゃった。お許しくだされ」と机の上に両手で三つ指をつき、深々と頭をさげた。
 唇をとがらせて、美緒が藤葉の後頭部を軽くパンッ、と叩いた。「まあ、これぐらいで勘弁してあげましょう」
 その勢いで両手の甲に額をぶつけた藤葉を見て、三人はプッ、と吹き出した。「いった~い」と額をさすりながら顔をあげた藤葉も加わって、四人の輪笑が教室の一角に響いた。
 それが収まると美緒は弁当箱を目の前にかざして、「今日はどこで食べる?」と他の三人に訊いた。見まわすと同級生の半分以上がいなかった。学生食堂や他のクラスで食べているらしい。空いている席が散見される。
 「教室で食べよっか。ところでみんな、お弁当なん?」
 彩織の問いに三人が異口同音に諾い、「じゃあ、ふーちゃんのところで食べようよ」という希美の提案に美緒達は頷き、机の向きを変え、寄せて、弁当を広げてしばし会話に打ち興じた。□

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