第2412日目 〈『ザ・ライジング』第2章 9/38〉 [小説 ザ・ライジング]

 二十五分ばかりして昼食を終えると、彩織は二年生の合唱部員の呼び出しを受けて音楽室へ、藤葉は水泳部の練習プログラムの立て方について教えてもらうために三年生の教室へ、それぞれ行ってしまうと、二年三組の教室には希美と美緒が残された。
 「――ねえ、図書室に行かない? 返す本があるんだけど……」
 そう美緒が唐突なタイミングで希美を誘ったのは、目下二人が熱をあげている〈ハリー・ポッター〉シリーズの第四巻『ハリーポッターと炎のゴブレット』の感想を口にし、ふとそれが途切れたときだった。
 「うん、いいよ。授業が始まるまでまだ時間もあるしね」
 希美はそういうと美緒と一緒に席を立った。美緒は自分の席へいったん戻り、鞄から小口に図書室の蔵書印が押され、ビニール・コーティングされた表紙にバーコードの貼られた本を二冊取り出し、先に廊下へ出て自分を待っている希美の許へ駆け寄った。抱きしめるように胸に抱えているのは、ジョージ・マクドナルドの『リリス』と『黄金の鍵』だった。今年の夏休みの後半、陸上部の練習が終わって仲間と沼津駅行きのバスを途中下車してケンタッキーフライドチキンで一時間ほどを過ごし、別れたあとに立ち寄ったブック・オフでたまたまマクドナルドの『お姫様とゴブリンの物語』を購ってからというもの、マクドナルドはトールキンやローリング、リチャード・アダムズ、ビアトリクス・ポター、ウォルター・デ=ラ=メアと共に美緒のお気に入りの作家となっていた。実のところ、彩織と藤葉の『指輪物語』への興味も希美の〈ハリー・ポッター〉シリーズへの興味も、その水先案内人となったのは美緒だったのである。
 二人は並んで〈ハリー・ポッター〉の話をしながら、四階の北東にある図書室へ足を向けた。中庭に面して足許までガラス張りになっている階段の窓に背をもたれさせて話しこんでいた一年生の一人が、横にいて中庭を見ていた生徒の袖を指で摑み、なによ、と振り向いた顔に自分のそれを近寄らせ、耳のそばでなにごとか囁いた。相手は「ええ!?」と小さな声で叫び、「ホントだってば」と主張する友人と一緒に、階段を登ってエレベーターホールを歩いている希美の後ろ姿を見送った。もっとも、そのときには希美の上半身しかそこからは見えず、美緒に至っては後頭部がわずかに見えている程度だった。
 ワイヤーの網目が斜めに走って交わる厚手のガラス扉を押し開けて図書室へ入ると、美緒はそのまま返却カウンターへ歩いていった。貸し出しカードと本二冊のバーコードを読み取るピッ、ピッ、という甲高い音が続けて三度したあと、カウンターの向こうに坐っている図書委員と会話する美緒の声が聞こえたが、その内容までははっきりと聞き取れなかった。
 美緒が振り返ると、希美は辞書や事典の並ぶ参考図書の書架の前でうろうろしていた。そちらへ小走りに寄ろうとしたとき、すぐ手前の机にいて希美の背中に視線を注ぐ生徒の姿が目に入った。学園の人間なら誰もが知っている人物だった。赤塚理恵。誰に聞いても評判は芳しくない。祖父がここの理事長であるのをいいことに、いつでも女王様気取りでお金の魔法に囚われただけの幾人かの生徒をまわりに侍らせ、影で悪口雑言を囁かれてもちっともそれに気づかない、常に世界は自分を中心に回っていると確信している哀れな女の子。
 一瞬だが赤塚理恵の口許がゆるんだのを、美緒は見逃さなかった。それが笑いだったのかどうか、しかとは判断しかねるものだった。が、それを見た瞬間、美緒の背中に悪寒が走った。底無しの不気味さを感じさせるものだったのだ。
 その生徒は自分に背を向けている希美の肩を叩いた。「深町さん」□

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