第2413日目 〈『ザ・ライジング』第2章 10/38〉 [小説 ザ・ライジング]

 いきなり呼ばれて一瞬身をすくめ、膝から力が抜けそうになったのを辛うじて踏ん張った。希美は書架の棚板へ手をかけながら、少し顔を後ろへやり、ついで全身を一八〇度めぐらせた。部活のとき以外はあまり顔を合わせたくないと思っている人物がそこにいたのに、ほんの少し不機嫌になった。
 「なあんだ、赤塚さんか。びっくりさせないでよ」と笑顔を作りながら、希美は答えた。
 「ごめんごめん。宿題やってたら、そばに深町さんが立ってたからさ。ちょっと驚かそうと思ったんだ。ごめんね」
 「いいよ、別に。心臓が停まっちゃったわけじゃないしね」
 二人はくすくす笑いながらお喋りした。
 少し離れたところから美緒は、その様子を恐怖半分、哀傷二分の一、嫉妬二分の一で眺めていた。そばへ近寄ろうとしても、足がそこに根を張ってしまったように動けなかった。次の獲物に希美ちゃんを選んだんじゃないでしょうね? もし本当にそうだったら……私は絶対に貴女を許さない。
 「あ、そういえば国民投票の結果やってたね。すごいね、宮木さんと一緒で。ハーモニーエンジェルスになれるといいね」
 「うん、ありがとう。応援してよ」そこで話題の種はなくなった。むりやり希美は会話を続けようと試みた。「――赤塚さん、今日は自主練、やってくの?」
 赤塚理恵は首を振った。「ううん、今日はお祖父ちゃんの家に行くからさ、学校終わったらすぐに帰らなきゃならないんだ」オーバーアクション気味に肩をすくめて両手を広げながらそういうと、「さて、宿題やっちゃわなきゃ。じゃあね、深町さん」
 「宿題、がんばってね」
 席へ戻る彼女の背後からそう声をかけると、赤塚はちょっと振り返って手をひらひらさせた。希美も手を振り返した。
さあて、と。あれ、美緒ちゃんはどこ行ったんだろう?
 図書室の中をぐるりと見回してみた。すると、海外小説の書架の間を、うつむき加減に歩いている美緒の姿が見えた。
 お目当ての英国小説が並んでいる書架の前で足を停めると、美緒は深くて長い溜め息をついた。希美と赤塚理恵が喋っているのを見るのは今日が初めてではない。なのに、なんで今日に限ってあんなに怖くなったんだろう? 
 「――美緒ちゃん、本、決まった?」
 てへてへと笑いながら八重歯を覗かせた希美が、書架の影から顔を出してじっと美緒を見つめながらいった。美緒はたまらなく愛おしさを覚えた。口許がみっともないぐらいにゆるむのをなんとか制止し、心の中があたたかくなるのを感じながら。
 「あ、の、希美ちゃん……ううん、まだ、これから。もう、いいの?」
 希美がいま自分に見せている無防備なまでの笑顔を、そうか、やがてあの人が独り占めすることになるんだな……口惜しいけど、仕方ないよね、と美緒は思った。でも、うらやましい。溜め息。
 「ん? ああ、赤塚さん? うん、済んだよ」
 「そう、じゃ、本借りてくるね。希美ちゃんはなにか借りるの?」
 「ううん。しばらくは〈ハリー・ポッター〉の余韻に浸ってるよ。美緒ちゃんが借りてる間に私、先に出てるね」
 美緒は書架からアン・ローレンスの『幽霊の恋人たち』を取ると、貸し出しカードと一緒に持って、希美と小声で喋りながらカウンターへ向かった。
 その頃、用事から戻った彩織と藤葉は教室のベランダへ出て、午後の陽光を浴びながら坐りこみ、うつらうつらと舟を漕いでいた。□

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