第2418日目 〈『ザ・ライジング』第2章 15/38〉 [小説 ザ・ライジング]
「あ、そうだ」と美緒は呟いて、希美に視線を向けた。「ねえ、――白井さんから電話あったの、昨夜?」
希美は前髪をいじくりながら耳を傾けていた。やがて頬をほんのりと紅に染めながら、こっくりと頷いた。口許はゆるみ、てへてへと笑顔を見せる。
「うん……電話はなかったけど、留守電に入ってたよ。『おめでとう、やったね!』って」
「希美ちゃん、幸せそう」と、友人の笑顔に美緒は自分の心がずたずたに傷つけられるのを感じた。でも、我慢しなきゃ、ね。希美ちゃんが幸せになれるんだったら、私の傷なんてたいしたことないもん……。
「そう、白井さんからもおめでとうメッセージ、あったんだね……。って、え、ちょっと待って? なんで留守電だったの?」
「うーん、実はさあ、三回かかってたんだけど、ずっと彩織と話し中でさあ。気がつかなかったんだよね。夜遅かったから、家の電話にはかけなかったみたい。もう寝てるとでも思ったのかもね」
「彩織ちゃんったら。ちょっとは気を利かせたらいいのに」
「いいって、いいって。彩織はあれでこそ彩織なんだから」
「でもさあ……」
「気にしてないよ。彩織とは小学校のときからの付き合いだからね」
「いいの?」
「もう馴れた」
二人はどちらからともなく笑い声をあげた。
「今度の日曜日ね、久しぶりにデートなんだ」壁に背をあずけながら、ぽつりと希美はいった。「横浜に連れてってもらうの」
「わあ、いいなあ。でも、教育実習がうちのクラスでよかったね?」
美緒の質問に希美は頷くだけで答えた。両の掌で缶を包みこみ、笑みをこぼしながら。 ふと、視線があった。美緒は無意識に本を脇に置き、希美の肩に手をかけて力任せに抱き寄せ、その黒髪に鼻を埋め、撫でた。ああ、いとしいしと……。
数秒の時間が流れた。授業が始まっているためもあって、周囲は静寂に満ちていた。美緒には希美を抱きしめている時間が実際以上に長く感じられ、このまま時間が停まってしまえばいいのに、と切望せずにいられなかった。
希美がもぞもぞと体を動かした。あわてて美緒は体を離し、本を手にした。
「あ、ご、ごめんね。そんなつもりじゃなかったの。あ、あの、き、嫌いにならないで――ね?」
「謝らなくていいよ。ありがとうね、美緒ちゃん。うれしかったよ」
安堵の溜め息をついて、美緒はなんの気なく腕時計に視線を落とした。一時八分。あと二分で世界史の授業が始まる。いや、正確にいうならば、世界史の授業が始まるまでには、あと一分四〇秒しかなかった。
「あ!」という美緒の小さな叫びで、希美は事情を悟った。
二人はスカートをはためかせながら、廊下を駆けて階下の教室へ一目散に走っていった。途中、ある教室の扉が開いて教師が顔を出し、二人の背中へ「うるさいぞ! 廊下を走るな、と校則でも決まっとるだろうが!! おまえ達、クラスと名前は!?」と怒鳴ったが、その視線は、はためくスカートから伸びる足へ注がれて離れなかった。
もちろん、希美も美緒も教師に従うつもりは、これっぽっちもなかった。したことといえばただ、階段を降りるときに自分達の顔がばれないように、両手や本で顔を隠したことぐらい。が、それはまったく取り越し苦労というものだった。ガラス窓には陽光が反射して階段にいる者の顔なぞ識別できなかったからだ。それに、件の教師も教室の中に戻ってしまっていたから。
希美と美緒の二人が教室に息せき切って滑りこんだのは、世界史の教師が扉に手をかけるきっかり五〇秒前だった。□
希美は前髪をいじくりながら耳を傾けていた。やがて頬をほんのりと紅に染めながら、こっくりと頷いた。口許はゆるみ、てへてへと笑顔を見せる。
「うん……電話はなかったけど、留守電に入ってたよ。『おめでとう、やったね!』って」
「希美ちゃん、幸せそう」と、友人の笑顔に美緒は自分の心がずたずたに傷つけられるのを感じた。でも、我慢しなきゃ、ね。希美ちゃんが幸せになれるんだったら、私の傷なんてたいしたことないもん……。
「そう、白井さんからもおめでとうメッセージ、あったんだね……。って、え、ちょっと待って? なんで留守電だったの?」
「うーん、実はさあ、三回かかってたんだけど、ずっと彩織と話し中でさあ。気がつかなかったんだよね。夜遅かったから、家の電話にはかけなかったみたい。もう寝てるとでも思ったのかもね」
「彩織ちゃんったら。ちょっとは気を利かせたらいいのに」
「いいって、いいって。彩織はあれでこそ彩織なんだから」
「でもさあ……」
「気にしてないよ。彩織とは小学校のときからの付き合いだからね」
「いいの?」
「もう馴れた」
二人はどちらからともなく笑い声をあげた。
「今度の日曜日ね、久しぶりにデートなんだ」壁に背をあずけながら、ぽつりと希美はいった。「横浜に連れてってもらうの」
「わあ、いいなあ。でも、教育実習がうちのクラスでよかったね?」
美緒の質問に希美は頷くだけで答えた。両の掌で缶を包みこみ、笑みをこぼしながら。 ふと、視線があった。美緒は無意識に本を脇に置き、希美の肩に手をかけて力任せに抱き寄せ、その黒髪に鼻を埋め、撫でた。ああ、いとしいしと……。
数秒の時間が流れた。授業が始まっているためもあって、周囲は静寂に満ちていた。美緒には希美を抱きしめている時間が実際以上に長く感じられ、このまま時間が停まってしまえばいいのに、と切望せずにいられなかった。
希美がもぞもぞと体を動かした。あわてて美緒は体を離し、本を手にした。
「あ、ご、ごめんね。そんなつもりじゃなかったの。あ、あの、き、嫌いにならないで――ね?」
「謝らなくていいよ。ありがとうね、美緒ちゃん。うれしかったよ」
安堵の溜め息をついて、美緒はなんの気なく腕時計に視線を落とした。一時八分。あと二分で世界史の授業が始まる。いや、正確にいうならば、世界史の授業が始まるまでには、あと一分四〇秒しかなかった。
「あ!」という美緒の小さな叫びで、希美は事情を悟った。
二人はスカートをはためかせながら、廊下を駆けて階下の教室へ一目散に走っていった。途中、ある教室の扉が開いて教師が顔を出し、二人の背中へ「うるさいぞ! 廊下を走るな、と校則でも決まっとるだろうが!! おまえ達、クラスと名前は!?」と怒鳴ったが、その視線は、はためくスカートから伸びる足へ注がれて離れなかった。
もちろん、希美も美緒も教師に従うつもりは、これっぽっちもなかった。したことといえばただ、階段を降りるときに自分達の顔がばれないように、両手や本で顔を隠したことぐらい。が、それはまったく取り越し苦労というものだった。ガラス窓には陽光が反射して階段にいる者の顔なぞ識別できなかったからだ。それに、件の教師も教室の中に戻ってしまっていたから。
希美と美緒の二人が教室に息せき切って滑りこんだのは、世界史の教師が扉に手をかけるきっかり五〇秒前だった。□
タグ:小説 ザ・ライジング