第2427日目 〈『ザ・ライジング』第2章 24/38〉 [小説 ザ・ライジング]

 高村千佳は放課後の補習授業で使う教室の視聴覚設備をざっと確かめると、扉を閉めて事務室から持ち出した鍵を差しこんで施錠した。鍵の掛かる教室――それはとりもなおさず、視聴覚設備のある教室を意味していた。
 階段をおりながら、隣のクラスの担任とのやりとりを思い出して、なんだか心があたたかくなった。楽しかったなあ。彼となら何時間でもずっと話していられそうな気がした。結構いい人なのかなあ、と考えて、ふと思い至った。考えてみれば、あまり話したことってなかったような気がする。職員室での席も離れているし……いろいろ考えてみても、彼と会話を交わした記憶はなかった。それとも、あったのかな。でも、私は覚えてないや。
 三階と二階の間の踊り場でふと、南翼棟一階の廊下をとぼとぼ歩いている一人の男の姿に気がついた。
 あれ、上野先生だ、と高村は思った。ふいに、深町希美の進路のことで話し合わなきゃ、と思い出した。そして――授業ないのかしら?
 見られてはいけない。
 突然にそんな考えが浮かび、壁に背中をぴったりとつけて、膝を少し屈めてあちらの様子を窺った。上野の頭だけが辛うじて見えた。
 上野が保健室の前で足を停めた。気のせいか、あたりを縮こまった風に見まわして、扉を開けるとすばやく体を滑りこませた。扉が閉まるのを見ると、高村は踊り場の窓のそばの手摺りに掌をかけて、じっと保健室を見つめた。
 保健室へ行くのに、なんであんなおどおどしてたんだろう。不審すぎるよね、あの行動。 ふと好奇心が芽生えた。直感だ。体調が悪いとかそんな理由じゃないぞ、あれは。別の理由があるんだ。いったいなんだっていうんだろう。
 いけないよ、他人のことじゃない。放っておけよ。そんな声が聞こえた。
 ええ、そうね、千佳、でも……。
 結局、高村は好奇心に従った。もし中の誰かに見つかったら、背中の痛みを理由にすればいい。どちらにせよ、保健室には行くつもりだったではないか。
 言い訳に気持ちを強くしながら、高村は階段を一階までおり、そろりそろりと保健室へ足を向けた。

 池本玲子は上野を裸にして跪かせると、背中から脇腹へ、胸をまさぐりながら、息を彼の耳許に吹きつけた。
 そうしながら、これまで自分は誰かを愛するという感情を持ったことがあるのだろうか、と訝しんだ。高校のときから常に異性を侍らせ貢がせ、大学のときには都内の医大だったのをいいことに言い寄る男達に高価なプレゼントを要求し、幾人も手玉にとってそれぞれなりに破滅させてきた。後ろめたい気分を感じなかったといえば嘘になるが、なににもまして彼女を魅了させたのは、目をつけた男達が自分の一言に東奔西走し、得られようはずのない池本の愛を獲得せんと競争相手を蹴落とそうとする猿芝居だった。そうしていつしか池本は気づいた。自分の血にはまさしく“女王”としての性質が脈々と流れていることを。風俗の世界に足を踏み入れ、都心の高級SM倶楽部で鞭を振るって人脈と現金と都内のマンションを幾つも手に入れたのは、そんなころであった。
 池本を求めて手に入らないとわかると、途端に羊の仮面を剥いで牙をむき、力ずくで彼女を我がものにしようと襲いかかってくる男も、中にはいた。ストーカーの如く彼女の身辺を徘徊しては精神的に追いつめよう、と策を弄した男も中にはあった。しかし、それが成功した例はなかった。そのたびに池本が、大学時代に頻繁に夜遊びをした、やくざの女でもあった友人を媒介に、現金をちらつかせて雇った暴力団の男達に半殺しにさせていたからだ。□

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