第2435日目 〈『ザ・ライジング』第2章 32/38〉 [小説 ザ・ライジング]

 どうしたんだろうね、千佳ちゃん? そんな声がもれ聞こえてきた。おそらく源は〈だいはかせ〉達の後ろに固まっている、噂好きな集団だろう。この連中ももう少しだけおとなしくなってくれればな、とときどき思う。学内の恋愛事情を、尾ひれをつけて流すだけならまだましな方だ。でもいちばん肝心なのは彼女らが、自分達の知った噂を垂れ流すことで傷つく者がおり、ぎくしゃくし始めるカップルがいることに気がついていないことだった。もう少し人の痛みをわかってあげられるようにならないのだろうか、せめて相手の気持ちを慮ってあげてくれるようになれば、けっして悪い印象は持たないのに……。生徒を個人的好みで選り分けてはいけないと思うのだが、そんなことをいっても人間である以上、個人の感情が働いてしまうのは致し方のないことだ。高村は〈噂ジャンキーズ〉(と勝手に彼女は名づけている)の話がクラスの外に出てゆくことはないだろうと高をくくり、彼女達の噂声を無視してホームルームを続けた。
 早く終わらせよう……。できれば早退したい気分だった。背中の痛みはまだ続いている。時折耐え難くなって保健室へ駆けこもうとするが、そのたびにさっきの情景が鮮明に思い出されて、彼女の足をとどめた。あの饗宴がいまも続いていたら、あんた、どうする気?二人がセックスに耽っているところに、どんな顔して保健室に入ってゆけばいいの? どうせならこういってみたら、私も混ぜて、って?
 噂か、と高村は考えた。授業中に教師と生徒が、あるいは教師同士が空き教室で色事を楽しんでいると聞いたことはあったが、まさかそれを自分が目撃しようとは、思いもよらなかった。池本と上野のセックスを目の当たりにして、眉をひそめると同時に羨望の気持ちが胸に浮かんだのを、高村は否定できなかった。誰かに欲情した私を鎮めてもらいたい。そうでなければ、私、きっと……気が狂う。しばらくしていなかった反動か、高村は職員室のある二階の女子トイレに飛びこんで、やむにやまれず自慰に耽った。いまこうしておかないとあとの仕事に差し支える、と判断したからだったが、それは見事に裏目に出て欲情は時々刻々と増してゆくばかりだった。
 なによりも彼女の記憶にはっきり残ってしまっているのは、上野の反り返って脈動するペニスだった。あんな大きいものには、たぶん私、お目にかかったことがない。あんなのが膣内に入ってきたら、どんな感じがするんだろう……。張り裂けるだろうか、ああ、初めはそんな思いを味わうに違いない。でも、その後は? そうねえ、きっと私は虜になる。いつでもどこでもあれが欲しくなる。つまりね、普通のサイズじゃもう満足できなくなるってことよ。
 高村はあの光景を頭から振り払おうと頭を二、三度振って、左手首にはめた時計を見た。
 廊下のざわめきが同時に耳につき始める。他のクラスの生徒達の顔が、扉の小窓から見えた。視線が合うと、生徒達は顔を引っこめた。
 終わらせよう、どうせたいした連絡事項なんてありはしない。
 視線をめぐらすと、つまらなそうな顔で担任を見ている希美の姿があった。この二ヶ月で、ずいぶん変わったな、と思った。内面が逞しくなり、表情もやけに毅然とした感じだ。育ちの良さから来る上品さと相俟って、いまは旧家のご令嬢といっても通用するほどだった。
 そうね、深町さんのことも……、まあ、明日にでもゆっくり二人で話せばいい。いずれにせよ、いまは生徒のことよりも私自身の問題を解決する方が先だ。こんなときに話したって生徒のことが、親身になって考えられようものか。第一、高村がいちばん欲しがっているものの持ち主と顔を合わせたって、まともな話し合いができるのか? そうね、いまは私自身の問題を解決するべきよね、ええ、だって深町さんのことは明日だって話せるんだから。職員室に戻ったら、大河内先生と上野先生にあの子の件を話して、明日、深町希美を交えて四人でこの件を話し合いたい、と相談してみよう(だが、結局高村がこの件を希美に話すことになるのは、年が明けてからのことだった。なぜならその晩から高村は不可抗力によって、この街を離れることを余儀なくされた。父が事故を起こして昏睡状態でその年は暮れることとなったからだ)。
 高村はそう言い訳して、ホームルームを終わらせた。本能は理性を征服した。この日最後の、起立、礼。□

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