第2446日目 〈『ザ・ライジング』第3章 2/28〉 [小説 ザ・ライジング]

 白井は彼女が待ち合わせた時間に待ち合わせた場所へやって来、自分の前に姿を現してそっとほほえみ、願いを受け入れてくれるのを、心の片隅で期待していた。ともすれば否定的な考えに陥りがちな、茫漠と広がる悲嘆の砂漠に踏みこんで生還すら危うくなる魂の漂白をやめさせるために。いったい何度夢に描いては細部まではっきりと際だたせて強固にイメージを確立させたであろうその場面。来れば吉兆、来なくば凶兆。
 おい、ちょっと待てよ、と誰かが呼びかけた。音節の一つ一つがあまりにはっきりと聞き取れたため、本当に声をかけられたのか、と錯覚したほどだ。念のためあたりを見まわしたが、声をかけてくるようなのは誰もいなかった。四、五メートル離れた柱に背をつけて、携帯電話をいじくっている女性がいただけだった。
 さあ、いいか、白井正樹、よく考えるんだ。ポイントは二つ。その一。それは年齢だ。お前さ、今年で何歳になった? 来年になれば三十一だよな。それにくらべて彼女はどうだ、ようやっと十七歳だぜ。これからの未来はまったく白紙、思い切り夢を描ける年齢だ。彼女が生まれたとき、お前は小学校の最終学年だ。干支だって一回りしている。いったいジェネレーション・ギャップに耐えられるのか。お前だけじゃない、彼女もさ。一緒になることで、彼女を苦しめることになりはしないか? ポイント、その二。いってみれば、猜疑だな。彼女はお前の発言を一から十まで信じてるわけじゃないぞ。まあ、あんなことをいわれて喜ばない女はいないと思うよ、たぶん。でもな、彼女がお前の申し出を疑っている理由は、お前をしてそういわしめた原因と過程さ。ああいってくれたのはうれしいが、本心から出たとばかりは思えない言葉。つまりな、彼女はこう思っているわけさ、自分の境遇への同情と哀れみも含まれてるんじゃないか、とな。「約束はできない、ごめんなさい」って彼女、そういったんだよな。それに――
 「同情なんかじゃないさ」
 そうはっきりと口にした。「あの子といる平和をこの手で守ってゆきたい。そう思っただけだ」
 間もなく四番線に静岡行きの電車が参ります。白線の内側までさがってお待ちください。──男声のアナウンスがホームに響いた。視線を東に走らせる。黒い影がこちらに向かって、徐々に輪郭と色をはっきりさせてくる。
 白井はベンチから腰をあげた。手にしていた文庫をポケットにしまうと、白線のそばまで歩を進めた。ふいに西に鎮座する箱根の峰を見やった。まだ一日が始まって折り返し点を過ぎていない時刻なのに、彼の目にはその景観が早くも暮れなずんで、あとは夜の帳が降りてくるのを待つばかりの刻限を迎えたそれに思われてならなかった。こんなにも晴れ渡った心地よい一日なのに、なぜ僕の目には箱根がああも黄昏れて見え、不安な気持ちを抱かせるのだろう。もうすぐやってくる審判の予兆なのか、それとも、まったく別のなにかなのか――。
 希美ちゃん……□

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