第2452日目 〈『ザ・ライジング』第3章 8/28〉 [小説 ザ・ライジング]

 やけにあっさりした調子での告白だったが、当時の白井にしてみれば全身全霊を傾けた、真剣な愛だったのだ、と希美は察した。真剣な愛などいまだその意味するところをうわべの綺麗な面でしかとらえられない希美だったが、そこにこめられたひたむきさと情熱のほとばしる様は理解できた。白井さんに出逢って告白するまでの自分と同じだったのかもしれない。目の前で舟を漕いでいる相手を見ながら、そう希美は考えた。体ばかりでなく、心にも傷を負った。過去にそんなことがあったなんて知らなかった。そうか、あなたも私と同じで、大切な人との別れを経験していたんだね、と希美は口の中で呟いた。私達は同類だ、互いに傷を抱えて、互いにそれを舐めあい、寄り添いあって存在している。
 白井さん、これからは私がずっと隣にいるから――
 「私があなたの傷を癒してゆくから……」
 いつのまにかだらりと垂れている白井の腕を膝の上に戻し、掌を握って、希美は呟いた。目を閉じ、白井の顔に自分の顔を近づける。唇が震えた。二度目のデートの時以来、逢うたびに必ず交わすようになった口づけ。彼の吐息が唇にかかる。あと、ほんの数ミリで互いの唇が重なる……白井が「ううむむ……」と呻いた。目蓋が動く。鼻をすする音もついでに。寝覚めはもうすぐ。
 希美は体を離して坐り直し、髪を撫でつけながら視線を外に向けた。
 白井が目をしばたたかせながら、背中を伸ばした。首をぐるぐる回すと、そのたびに骨がぼきぼき音を立てた。
 「いま、どのあたり?」と白井は起き抜けの声で聞いた。「藤沢は通り過ぎた?」
 「二分ぐらい前かな。そろそろ起こそうかと思ってたところ。……次よね?」希美は答え、訊ねた。「さっきね、えーと、さいか屋? そこのなんとかセンターが見えた」
 ああ、そう、と白井は頷いた。ところで――「希美ちゃんが行きたいのは八景島だけでいいの?」
 八重歯を覗かせた笑顔で希美は頷いた。「欲をいえばきりがないよ。昨夜ね、横浜のガイドブック見てたんだけど、行きたいところはあっても、とてもじゃないけど一日じゃ回れないな、ってわかった。さすが都会だね。そりゃあさ、横浜生まれの横浜育ちな白井さんがいるんだから、いろんなところに連れてってもらいたいけど、泊まりじゃないしね」希美はそこまでいうと、あ、と小さな声で呟き、うつむいた。「ま、また来ればいいんだし。今日が最初で最後、ってわけじゃないものね?」
 「もちろん。気に入ったところがあれば、いつでも二人で来られるよ。電車で一本なんだしね。――あ、タマちゃんのいる川だけは行けないかもしれないから、それだけご了承の程を」
 希美は頬をぶーっ、とふくらませて、唇を小さく“O”の形に開いて中の空気を、ぷしゅっ、と弾けさせた。白井が眉をつりあげ目を見開いた。いまにも笑い出しそうな顔だった。ボックス席が刹那、小さな幸せに包まれた。
 「あ、そうだ。八景島の他にね、どうしても行ってみたいところがあるの」
 「ん、どこ?」
 「横浜駅のまわりにいくつか、CDを売ってるお店あるでしょ。そこに行ってみたい」
 白井が笑って頷くのを見て、今日は絶対に、生涯最高の、けっして忘れられないデートになる、と希美は確信した。――それはある意味で正しかった。
 電車は間もなく大船に着く。車掌がそうアナウンスした。□

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