第2465日目 〈『ザ・ライジング』第3章 22/28〉 [小説 ザ・ライジング]

 根岸線を関内駅で降りると、十分ほど歩いた路地裏にある海鮮料理屋の座敷で夕食を摂った二人は、食後の腹ごなしも兼ねて、桜木町のみなとみらい地区まで夜道を縫うようにして散歩した。日曜日、おまけに年末の近いオフィス街ということもあって、人目を気にせず腕を組んで歩けるのが、なにより希美にはうれしかった。この約二時間半、心を包みこむあたたかさとおだやかさの生まれ出る源が、左手の薬指にはめた指輪であるのは明らかだった。希美は指輪がもたらす安堵と幸福の力を、改めて感じた。
 大岡川の河口にかかる北仲橋を渡りながら、白井が訊いてきた。「どこか見たいところってある?」
 希美はあたりを見回した。右手には水面に影を落とす横浜ワールドポーターズが見えた。そこから時計の針とは逆方向に視線をめぐらす。帆の形をしたコンチネンタルホテルから三棟から成るクイーンズスクエア、横浜ランドマークタワーを経て、動く歩道が視界を横切る様を眺め、もうすぐ二人が使うことになる桜木町駅が見えた。電車の発着する様は見えないが、こちらへ吹きつけてくる風でホームのアナウンスが切れ切れに聞こえた。それぞれの建物の窓からこぼれる光が何百と重なり合って、あたりの宙に靄となって漂っている。
 やがて、希美はみなとみらい地区のファンタジーとしかいいようのない光の洪水の中から、ランドマークタワーの手前に掘られたドックで永久停泊する日本丸を指さした。
 「あすこに行きたい」と希美はいった。白井もこれまでに何度か聞いたことのある、(木之下藤葉命名するところの)〈おねだりののちゃん〉の口調だった。脳天に重い鉛のハンマーで一突き、喰らった気分だった。かわいいなあ、といわんばかりに白井が口許をゆるめ、うんと頷いた。
 北仲橋を越え、みなとみらい大通りに沿った歩道を行く。ドックを中心に半月状に広がった芝生の斜面を、石畳の歩道を二人はゆっくりと日本丸の方へ降りていった。波が砕ける岸壁の際で二人は立ち止まった。希美は初めて見る帆船を見あげた。白い船体にオレンジ色のマストが、夜の闇を背景に気高い姿を誇っていた。かつて七つの海を駆けめぐり、海の男達に海のすばらしさと恐ろしさ、神々しさを教えた船が、海に愛でられ慈しまれて育った希美を、優しく出迎えていた。今夜はもう乗ることはできないが、いつか、もう一度ここへ来よう、と希美は思った。八景島は、まあ、ともかくとして、この船を見るためだけにでも。
 白井の控えめなくしゃみに我に返った希美は、「行こう」といって彼の手を取った。日本丸に背を向けるとき、また来るね、と口の中で呟いた。彼等は広場を戻って、動く歩道へあがる階段に足を向けた。
 動く歩道の上の人となって、ぼんやりと左手、日本丸の向こうに横浜ワールドポーターズや赤レンガ倉庫、横浜港の内湾を眺めていた。そのとき、ふと希美は確信した。ここは私が生活する場所じゃない、と。正樹さんと結婚して家庭を持ち、子供を産んで育ててゆくならば、私は沼津で暮らしたい。子供の頃にくらべればだいぶ寂れてしまった港町だけど、すべての記憶が沼津と密接に関わり合っている。どこにいても故郷の光景と思い出は瑞々しく私の中で息づいていることだろう。なんていうか、うまく表現できないけれど、私は沼津であり、沼津は私自身なのだ。
 「帰ろう」と希美はいった。
 二人はみなとみらい総合案内所と喫茶店の前を通った。電光掲示板に、アメリカ軍のイラク侵攻を危惧するニュースが流れていた。二人はそちらを見ることもなく、桜木町駅の改札口に向かった。□

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