第2500日目 〈『ザ・ライジング』第4章 20/46〉 [小説 ザ・ライジング]

 バスの車内アナウンスが、次は早川口、と告げた。無意識に降車スイッチへ手が伸びたが、一足早く誰かがボタンを押した。車内に甲高いブザー音が響く。ちょっとだけ口惜しい。彼は役に立たなかった腕を降ろした。やがてバスは、諸白小路の交差点を過ぎた。バスのスピードが徐々に落ちてゆき、ややあって停留所へ静かに停まった。
 降車扉が開いて、白井が最初に降りた。若いOL風の女性が二人と、革ジャンを着た初老の男性が続いて降りた。四人がそれぞれの方向へ散ってゆく。きっと、もう二度と会うことはないし、関わり合うことだってあり得ない四人が。そう考えると、人と人の出会いや結びつきというのはふしぎだな、人智で推し量れないなにかがそこには働いているのかもしれない、と白井はふと考えた。希美ちゃんと僕の出逢いだって、きっとこれはただの偶然じゃないのだろう、とも。
 バスは車の流れが途切れたところへ割りこむようにして発車していった。

 途中の自動販売機で缶コーヒーを買って道を折れ、住宅街に入った。ここから三分も歩けばアパートだった。帰ったら……希美ちゃんに電話しようかな、今日は部活がある、っていってたけど、夕方には終わるともいっていた。もう帰ってるだろう……まさか食事を作りに来てくれてる、なんてことは……ないよな。うん。まだ十七歳の女の子にそんな出費をさせちゃいけないよな。簡単に夕飯を摂ってからでもいいや。明日のこともあるし、とにかく電話しなきゃ。
 心の底から湧きあがってきた幸福感に、白井は我知らず軽やかな足取りで歩いてゆく。見覚えのあるアウディが天神社の前に――ちょうど昨夜と同じ場所に停められているのを発見したのは、その矢先だった。

 夜の女王のアリアが車内に鳴り響いていた。地獄の復讐が私の心臓の中で煮えたぎっている、死と絶望とが私をめぐって燃え立つ! ……池本玲子はアウディから五メートルばかり離れたところで、執した男が棒を飲んだように呆然と突っ立っているのを見て、思わず口許をほころばせた。
 考えていることが手に取るようにわかる、っていうのは傍から見ているととても面白いものよね。あなたが深町さんに惚れていたのは、くすっ、生徒ならみんな知ってたわよ。保健室の常連達がいつでもあなたの情報は提供してくれたわ。こっちが頼んだわけでもないのに、噂ばかりよくぺらぺら喋っていって、私は首尾よくあなたに関する情報をふんだんに手に入れることができた。深町さんのことだってそう。彼女と同じクラスの噂好きの連中がね、こんな話をしていってくれたのよ。「ねえねえ、先生、知ってる? 実習生の白井先生ね、私達と同じクラスの深町さんにホの字なんだよ。古典の授業の時なんかもう意識しちゃってるの、バレバレでさあ。みんな教科書で口隠して笑いをこらえるのに必死なんだよねえ。それに深町さんも顔真っ赤にしながら反応しててさ、なんだか猿芝居見てる、って感じ」とね。□

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