第2501日目 〈『ザ・ライジング』第4章 21/46〉 [小説 ザ・ライジング]

 初めてあなたに紹介されたとき……確かあれって健康診断かなにかの書類持って職員室に行ったときだったと思うけど、すぐに私はぴんと来たわ。ああ、私を救ってくれるのはこの人だ、って。底無し沼のように感じるただれて乱れた生活から、この人だったら救い出してくれる、って、そう確信したわけよ。――正直にいうとね、一目惚れだった。この年で一目惚れなんて十代の女の子みたいな事故に出喰わすなんて、思いもよらなかった。信じられなかったね、自分にまだそんなピュアな感情が残ってた、ってことに。まあ、ちょっぴり感動もしたけれど。
 あの日から私の心にはあなたが住むようになった。さすがに寝ても覚めても、というわけじゃなかったけど、あなたを見るといつも心がときめいた。朝に会ったりすると、もうその日一日がバラ色だったわよ。話す機会はほとんどなかったけど、いまでもあなたと交わした会話は覚えている。
 あなたに抱かれているところを想像して、家だろうが保健室だろうが自慰に耽ったことも、いまはいい思い出。どうあがいてもあなたとは結ばれないのかな、と考えたりすると落ち着かなくなって、上野を呼び出して気晴らしをしたことだって何度もある。その最中でもあなたの顔は私から離れてゆかなかった。いま目の前にいるのが上野じゃなく、あなた、白井さんだったらどんなにいいだろう、といつも考えてた。
 深町さんと付き合い始めた、と知ったのも、やっぱりあの噂好きな連中からだった。「ねえ、先生、知ってたあ!? 例の実習生だった白井先生、うちのクラスの深町さんと付き合い始めたんだって。マジ意外だよねえ」ですと。あれは、深町さんのご両親が亡くなる前だったかな。それはあなたの方が詳しいはずだけど。それはともかく、嫉妬したね。当然だわ。この夜の女王のアリアってそのときの、ううん、いまでも抱いている私のジェラシーを、よく代弁してくれていると思う。
 高二の小娘に愛しい男を盗まれたわけだからさ、私の嫉妬と憎悪がどれだけ深いか、あなたにはわかるのかな。あんななんの色気もなくて、男好みの体をしているわけでもない青臭い小娘が、あなたの愛を独占してのほほんと生きているのを見るのが、とてつもなく腹立たしかった。口惜しくて口惜しくて歯ぎしりしたり、地団駄踏んだり、なんて、そんな程度じゃなかったんだからね。
 はっきりいおうか、この際だから。二人まとめて殺してやろうか、って今回の計画の発端を思いついたのも、そんなときだったのよ。学園祭の時分じゃなかったかしら。初めのうちは殺すなんてことはいくらなんでも出来ないから、せいぜい深町さんを痛めつけようかな、って考えていた程度。でもね、昨日、深町さんと横浜に行ったでしょ。あんた、駅で彼女を優しく抱いてあげたわよね? それを見た瞬間よ、深町さんじゃなく、あんたを地獄に送ってやろうと決めたのは。あなたが自分のせいで殺されたと思い知らせるのが、あのガキにはいちばんの痛手になるでしょうし、一生かかっても癒せない傷をあの子は抱えて生きることになるんだわ。ふん、いい気味だわよ。
 私? ええ、ブタ箱にぶちこまれるのは覚悟の上よ。好きなオペラを聴けなくなるのと男漁りができなくなるのが残念だけど、まあ、刑務所にいたって何年かすれば出てこられるからね。別になんとも思っていないよ。そうそう、男はムショの中にもたくさんいるしね。それはともかくとして。
 さて、あんまり待たせちゃ可哀想ね。そろそろ行ってあげようか。
 池本はモーツァルトを流したまま、車から降りた。片手には、さっき工具箱から出したレンチを持って。それをコートのポケットに忍ばせて。□

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