第2631日目 〈あなたはいったい誰ですか? 松田一谷『贋作 妖精の島』(オレンジ出版)に寄せて──、〉 [聖書読書ノートブログ、再開への道]

 書庫の大掃除でいちばんの妨げとなるのは、むろん棚の片隅に忘れていた書物を見出し、それに読み耽ってしまうことである。かれははっ、と顔をあげ、窓外の光景がもはや夕暮れ深いことを知って、青ざめる……さっきまで太陽は天頂にあり、鳥のさえずりだって聞こえていたのに。
 幸いにしてわたくしは昨年の教訓から斯様な失態を演じること、今年は免れたのだったが、危うくその目に遭いかけたことはあった。たった1冊の書物が、大掃除を妨げるところだったのだ。
 ずいぶんと前に某新古書店の見切りコーナーで発掘した、戦前戦後に筆を執った文学者の作品集である。その著者を松田一谷、書名を『贋作 妖精の島』という。著者の読みはおそらく「まつだ かずや」でよいのだと思う。
 また版元のオレンジ出版について調べるも、こちらもまた情報は殆どなく、また代表者の簡単な履歴を伺うもこの出版社に触れたものはない。しかもこの方、既に東日本大震災のあった年に逝去されており、もはや追跡の手段は断たれた。
 初出誌の記載は巻末にあるので、すくなくとも太平洋戦争が開戦した年からケネディ大統領が暗殺された年まで、断続的ながら筆を執って『三田文学』や第二次『近代文学』の誌面を飾ったことは確かめられる。
 が、著者の経歴は一切不明である。戦前に『三田文学』に寄稿しているところから慶應義塾大学の塾生乃至は塾員かと推察されるも、三田のメディアセンターにかれの消息を伝える資料はなにもなく、勿論塾員名簿にもその名は見当たらない(そも松田一谷なる名が本名かも不明だ)。同じ三田会の文学愛好家に訊ねてみても、わからぬ、という。国会図書館に問い合わせても結果は芳しからず。松田一谷名義の著書も、すくなくとも自分で調べ得た範囲ではない様子。
 いったいかれは何者だろう。まったく以て経歴不詳の文学者が、果たして近代以後どれだけあっただろうか。
 忘却の淵に沈んでけっして浮上することなき文学者というのが、たしかに存在する。その一方で、篤志家の慧眼と情熱と尽力によって救い出されて、散逸した作品が一巻にまとめられた幸運な文学者も、いる。生田耕作の握玩によってよみがえった山田和夫と山崎俊夫の如く──。
 ああ、松田一谷、汝はどこに……?◆

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