第2633日目 〈ユッシ・ヤラス指揮シベリウス管弦楽曲集を聴きました。〉 [聖書読書ノートブログ、再開への道]

 年が明けてからの3日間、クラシック音楽にかんしてはシベリウスの音楽ばかり聴いています。交響曲全集、ヴァイオリンのための作品集、合唱・独唱曲、ピアノ曲集……そうしていま本稿を書く傍ら、スピーカーから流れてくるのはユッシ・ヤラス指揮のシベリウス管弦楽曲集。
 ユッシ・ヤラスは作曲家の四女マルガレーテと結婚した、いわば娘婿であります。岳父がみまかった際は葬儀にて《テンペスト》からの音楽をピアノで弾き、また翌年にはシベリウス若き日の大作、《クレルヴォ交響曲》を蘇演。シベリウスの音楽に心底から敬意を払い、愛情を寄せ、熱意を持って多くの曲を聴衆に紹介した人です。
 録音された交響曲は少ないけれど、管弦楽曲に関してはすくなくともCD3枚分がこんにちでも聴くことが可能。勿論メジャーな曲──《フィンランディア》や劇音楽《クオレマ》の第1曲〈悲しきワルツ〉、《4つの伝説》の第2曲〈トゥオネラの白鳥〉、作品番号が付されたものとしては最後の作品となる交響詩《タピオラ》──も含まれている。他はいわゆる<シベリウス振り>の指揮者でないとあまり俎上に上さぬ作品が目立つが、けっしてマニアックな選曲というのではない。
 いまの時点でまとまった数の管弦楽曲を1人の指揮者で聴こうとすると、たぶん筆頭にあげられるのはネーメ・ヤルヴィがイェーデボリ交響楽団を振ったDG盤であろう。
 現在はタワーレコード・ヴィンテージ・コレクションから6枚組で復活しているヤルヴィ盤でも、まず満足できる量の管弦楽曲が収められているけれど、シベリウスの伝記を繙くとかならずといっていい程言及される愛国劇のための音楽《歴史的情景》第1番や晩年の隠れた傑作、シェイクスピアの同名作品への付随音楽《テンペスト》などが聴けぬ恨みがある。
 わたくしが県立図書館で借りたユッシ・ヤラス=ハンガリー国立交響楽団(ハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団)による、オーストラリア・デッカの《ELOQUENCE》シリーズからリリースされた管弦楽曲集を自分用に購入したいちばんの動機は、この《テンペスト》の響きに魅せられたから。架蔵するCDに《テンペスト》がないとわかると尚更手許に置いておきたくなり……。
 録音が1972年ということだが、この時代はレコーデイング技術が頂点を極める頃でもあったので、目くじらを立てるような<くもり>も<こもり>も、<にごり>も<かすれ>もない。合奏技術はこんにちに較べればどうしても精微さという点で半歩劣るところがあるけれど、鑑賞する上で年代の古さはけっしてマイナス要素とはならないのだ。
 《白鳥姫》もむかしCDショップで働いていた頃、BISというレーベルからリリースされたものを聴いて以来の鑑賞となったが、清冽さと叙情的なところに胸打たれて、新たなお気に入りのシベリウス作品となったことを申し添えておく。
 このようにしてシベリウスばかりを年が明けてからの3日間、聴き耽ってきた。そうしていま、きわめて厄介な病に自分が罹患していることを知った──前述のBISからシベリウス・イヤーを視野に入れてリリースされた《シベリウス大全集》CD70枚組がね、なんだか無性に欲しくなり……。BISから出ていたCDは殆ど処分してしまったからなぁ。貴重な録音もけっこう潔く売り払っていたのが悔やまれるのですよ、これのリリース情報を見たりしていると。なんというても日本語解説・歌詞対訳付きというのが、良い。正直なところ、この別冊解説だけ入手できればCD自体波動でもいい、っていうね。
 さて、如何にこの欲望と折り合いを付けようか──。◆

 追伸
 ああ、今日は仕事始め……また1年間、働くのかぁ。■

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