第2762日目 〈iTunesは不要な作業を、わたくしにもたらす。〉 [日々の思い・独り言]

 それでは、昨日の続きを。処分するCDはその日の昼に宅配業者が来てくれて、都合4箱になったダンボール箱(音楽書籍を含む)を運び去ったことで清々しくも虚脱感と寂寥感を覚えたあと、夕方のことである。
 今度はもうずっと愛蔵してぜったいに棄てない、と決めてある音盤を、近所のスーパーで拾ってきたダンボール箱に移して、視界の外へ積みあげる。過去形でないことにご注意を。なにゆえに現在形なのか? 一部については仕舞いこむ前にiTunesへ取りこんでしまう心づもりであったからだ。昨日は夕食や食後の団らん、風呂など除いて概ねすべての時間を、その作業にあてたのだった。
 その数40枚ちょっと。1枚の例外を除くといずれもクラシックである。モーツァルトのピアノ協奏曲全集とピアノ・ソナタ全集、木管楽器を主役に迎えた室内楽と協奏曲、計20枚。ショパンのピアノ曲全集と室内楽曲全集、歌曲集、勿論ピアノと管弦楽のための作品も2枚分、〆て19枚。その他、カラヤン=フィルハーモニア管弦楽団の感想曲集・バレエ音楽集・プロムナードコンサート、サティのピアノ曲集、そうしてこれが唯一の例外;ジョージ・ウィンストン《ディセンバー》。
 まだ作業は終了していない。本稿を書く傍らでiTunesへ、モーツァルトのピアノ協奏曲第5巻を取りこんでいる真っ最中なのである。ようやく中葉、まだまだ続く。ちなみに現在、2019年11月13日(水)午前00時37分……。
 単に取りこむだけなら、ものすごく楽ちんだ。さりながらこの作業には常に、最大級の難事が出来する。クラシックだけの事象かもしれないが、取りこむ際にiTunesが電脳空間から引っ張ってくるデータ、楽章とかアルバム・タイトル、アーティストの情報ね、これらがまこと好い加減を極める代物なのだ。
 モーツァルトに関していえば、いずれも同じアーティストによるソナタと協奏曲である。にもかかわらず、iTunesは1枚ごとに違うアーティスト名称を表示してくるのだ。カール・エンゲルがピアノを受け持っているのだけれど、iTunesはアーティスト名を「カール・エンゲル」とするときもある、「Karl Engel」とするときもある。なんの情報も取得できずにブランクで表示してくる場合すら、ある。協奏曲に至ってはソリスト、オーケストラ、指揮者の名前も順番もバラバラに出てくる。要するに、何分の一かの確率でしか同じ表記になることがないのであった。
 それを解消するために、どうすればいいか? けっきょく、アナログな手法に頼る他なかったりする。わたくしの場合は、このように行う──取りこみ作業中に、NAXOS Music Libraryかタワー・レコードのサイトを開いて、曲名や楽章のデータをテキストに転記。並行して専らアーティストの所属する事務所やレコード会社、或いはWikipediaからアーティストの外国語表記(正しい表記)を、同じくテキストに転記。そうしてiTunesのアルバム情報乃至は曲情報をテキストから一気に、コピー&ペーストと呼ばれることが一般的な編集を施す。
 こんな作業をちまちまやっており、われながらやや非効率的なところも感じつつ、それでも一定レヴェルの精度の維持と他アルバムとの比較を考えれば、それ程面倒臭い作業ではない。むしろ、愉しい瞬間の方が、多い。
 なぜといって、そも必要な情報をきちんと提供してくれるサイトの発見までに時間を要すことだってあるからだ。が、帯に短し襷に長し的なサイトに辿り着くたびに、逆に偏執狂のような執念を燃えあがらせる。そうしてこちらの要求へ十全に応えてくれるサイトへ辿り着いたときの、エクスタシーにも等しい歓び!! 楽聖の《合唱》交響曲の〈歓喜の歌〉が脳内にて大音量で再生されるのは、そんなときだ。
 が、そうはいってもこの作業、時間が掛かってしまうのは既に述べたとおり。ゆえに机に積みあげた40枚ちょっとのCDを1日で取りこみ終えられようはずもなく、モーツァルトとカラヤンをすべて落としこんだらもう今日は終わりにするつもり。まだ体調も万全とはいい難く、おまけに、眠い。目も痛くなってきた。
 こんな作業を、明日も行う。たぶん、終わるだろう。いや、終わらせなくては。明日のメインは、イディル・ビレットの弾くショパン。明日に不安しか感じていなかった20代のなかばに、1週間に1枚ずつ、いまはもうないレコード・ショップで買い集めて、幾度となく聴き耽った愛着一入なんて言葉では言い表せないぐらいの、ショパンである。まぁおわかりの方も居られようが、レーベルはNAXOSゆえ、iTunesがとんでもないデータの取込を行う心配はあるまい……と思うているが、果たして?
 ──ああ、アルバム・ジャケットですか? 最低300×300の画像を見附けるのが、アルバムによっては難しいのですが、最終手段として手持ちのCDのジャケットをスキャン、iTunesのアルバム情報へ貼り付けるので、じつはさしたる不安を感じていないのが本当のところです。うぅん、ただ図書館で借りたCDについては、たしかに難儀することはありますね。
 アルバム・ジャケットついでにいうと、前述のカール・エンゲルのモーツァルト、ピアノ協奏曲全集とピアノ・ソナタ全集ですが、複数枚になっているのを1つにまとめたく企んだ(目的の曲を探しやすくする、という魂胆がある)際は、全集のアルバム・ジャケットを1枚、取得するだけで済んだ。
 これを全16枚、バラバラに取得、或いはスキャンしようとしたら、取りこみ後のiTunesの画面がとんでもないことになるのは、目に見えている。というのも、嗚呼、ピアノ協奏曲全10枚、ピアノ・ソナタ全集全6枚、それぞれすべて同じジャケットで、タイトルの後ろに巻数が表示されているだけに過ぎぬ代物なのだ。つまり、それが第何巻であるかは開いてみねば分からぬ、という、クラシックならではの問題に悩まされるわけである(各アルバム情報を謝って削ってしまったせいで、あとで泣く泣く情報編集を行ったことを、ここに書く必要はあるだろうか?)。
 実はこのアルバム・ジャケットについても、それなりの愉しみがある。これもやはりクラシックならではとなるが、過去にLPで発売されていた音盤だと特に、当時のアルバム・ジャケットを拾ったりスキャンしたりして、それをアルバム情報へ貼り付けることがあるのだが、LPレコードのジャケットの豪華さと味わい深さ、そうして存在感は、時に手持ちのCDや過去にリリースされた際のジャケットとは雲泥の差としか言い様がない。ホント、CDのジャケットって貧弱だなぁ。
 ……それでは、また明日。◆

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