第2763日目 〈ぼくの「松本清張」初体験。〉 [日々の思い・独り言]

 松本清張を病床にて愉しく読んだ旨先日お話しした。そのあと、自分が初めて読んだ清張作品はなんであったか、と考えてみた。
 「或る『小倉日記』伝」と「西郷札」だけはもうずいぶんと以前に、なにかのアンソロジーで読んでいるのだが、実はそのはるか昔、既に清張作品との邂逅を果たしていた。しかもその1冊は、初めて読んだときから常にそばへあり続けて、いまも書棚の目立つところに置かれている。
 まだ小学校に通っている頃だ。近所の商店街にあった小さな本屋さんで、両親が買ってくれたその本。これこそが人生初の「握玩の書」かもしれない。
 当時のわたくしは日本史にどっぷりと、はまっていた。小学3年生か4年生の時分、父が買ってくれた日本史の偉人たちの生涯と所縁の地をコンパクトに紹介した1冊を入り口に、テレビの歴史ドラマや祖父が所蔵していた講談本に(興味があるものにだけ)接するようになった。その前後に『漫画 日本の歴史』全16巻を1冊ずつ買い与えられたことにより、わたくしの日本史好きは小学校高学年にして早くも深みにはまり、地縁なるものも手伝って徳川家康が特に好きだった。
 「え!?」といわれる方が、あるかもしれぬ。その方は当時、家康がさしたる人気を持っていなかったことを知っている方に、相違ない。が、他地域ではともかく、わたくしの育った静岡県では家康人気、それなりにありましたよ。まぁ、静岡県とはいえ、あちらは駿河、こちらは伊豆ですけれどね。そうした流れで、徳川家康の伝記を両親が買ってくれたのは、必然といえるだろう。
 と、ここまで書けば、成る程、と思われる方も多くあるだろう。然り、件の徳川家康伝の作者が松本清張だったのである。書名を、『徳川家康 江戸幕府を開く』という現在は新装版が刊行されている由。
 講談社からシリーズで出ていた偉人の伝記シリーズ、〈火の鳥伝記文庫〉には日本史の偉人たちのみならず、西洋諸国の偉人、芸術家の伝記も収められた、全巻揃えれば今日なおクオリティとヴァラエティの点で他に劣ることなきシリーズと断言してよい。『徳川家康』はその第22番目、昭和57/1982年9月刊。
 果たしてどれだけ夢中になって、わたくしは清張描く家康伝を読み耽ったか。破損の程は経年劣化を加味してさえあまり非道くないけれど、あと2,3回読めば完全に背が割れてノドも裂け、半壊状態になるのは避けられまい。だってあれから何10年経っていると思うんです? 逆にそのような状態になっていないことが、奇跡に思われる。たしかに幻想文学へ夢中になった10代後半からの数年間、そうしてここ数年は、手にはしても開かないことも多かったから、その分半壊の瞬間が先に伸びているわけだけれど、いずれはたぶん──。
 じつは今日(昨日ですか)、某ブックオフで松本清張の河出文庫版『軍師の境遇』を買ってきて、その解説で初めて知ったのだけれど、『徳川家康』は昭和30/1955年4月に『世界伝記全集』(講談社 *)の1冊として刊行された。この前年には『決戦川中島』の筆が執られ、更に『徳川家康』の翌年から『軍師の境遇』が連載開始。いずれも中高生を読者対象とした著作であるが、成る程、それゆえにこそわたくしも10代前半で『徳川家康』を夢中になって読み耽り、何度となくページを繰って倦くことを知らなかったわけであるな。因みに『軍師の境遇』の雑誌初出時のタイトルは『黒田如水』。然様、軍師黒田官兵衛を取りあげた作品である。但し厳密な伝記ではなく、秀吉の中国攻めに協力した時代を切り取った一幕物だ。
 話が(いつものように)脱線した。悠留詞手九舵紗依。
 家康の生涯を丁寧に追ったのみならず、時代小説の書き手でもあった清張らしく家康を取り巻く家臣や主君たちとのつながり、かれらの心情も上手に掬い取るあたりに、きっと感じ入るところがあったのだろう。そう、たとえば、──
 幼少時から今川方、織田方にて人質となり暮らしたなかで後の治世で生かされる生活の知恵(たとえば竹千代時代、安部川での石合戦を見物した際の挿話など)。元服して元信と名を改めた家康が岡崎に戻った折、鳥井忠吉から蔵のなかで、縄で結った貨幣を縦積みにして保存してある理由を聞く場面。信長の命により愛息信康を切腹させなくてはならなくなった家康が苦悩する場面。三方原の戦いで甲州勢に敗れた家康が浜松城に逃げ帰ったとき、敢えて閉門させず篝火を焚かせて敵を却って怯えさせた件。関ヶ原の戦いの直前、石田三成勢に攻められた伏見城を守る老臣鳥居元忠が遂に自害する場面。冬夏の大坂の陣を終えた家康が文治国家作りに精出す、かれの学問好きを伝える諸場面。……他枚挙に暇がない。
 どれもこれもがわたくしには思い出深いものである。後年、渡部昇一が『知的生活の方法』で子供の頃に読んだ少年講談へ触れて、真田幸村の戦略がいちいち淀君に邪魔されてゆくところを読んで悔しくてそのページを拳骨で何度も殴りつけた、という文章を書いているのに触れて、ああこの感じわかるなぁ、と首肯したものであった。歴史上の偉人への強い共感がそうさせたのだろう。
 はっきりいうが、これまで家康伝は戦後もたくさん書かれてきたが、およそ清張の本作の上をゆくものは、あったとしても極めて数が少ないだろう。学術的に正確であったり、新発見私説の類がどれだけ詰めこまれてあろうと、たいがいの家康伝には血が通っていない。家康を描きながらその実、家康がそこにいない本が多すぎる。そんなもの、学生のレポートにも劣る。これまで読み得たなかでわたくしが今後も侍らせたく思う家康伝とは、山路愛山と松本清張、まずはそれだけでじゅうぶんだ。言葉が過ぎる? いや、そうは思わない。他に優れた書物勿論ありと雖も、この2書に優って益あるとは、どう小首を傾げても考えられないのだ。
 ──初めての清張作品が、ジュニア向け伝記小説であった、という人は、いったいどれだけいるのだろう。われらが子供のこと、当たり前のようにあってしかも複数社から手を変え品を変えて刊行されていた、そうして学校図書館の(「少年探偵団」シリーズと並んで)常連であった、いわゆる「偉人の伝記」というものが廃れたと仄聞する現代に、斯様な奇特な人物が現れることは、おそらくないのではないか。が、わたくしと同世代かその上の世代、もしくはすこしだけ下の世代であれば、こうした経験を持つ人は幾らでもいるような気がしているのだが、ついぞこれまでお目に掛かったことはない。
 わたくしはこの邂逅を人生の慶事の一つに数えている。推理小説や日本史ルポなどではなく、一流の小説家にして歴史考証家である清張が、特にこれからの時代を担う若き人たちのために腕を揮って書きあげた歴史小説のうち、殊にこの『徳川家康』が当時、近所の商店街の小さな本屋さんの棚に並んでいたことに、運命の悪戯を感じる。それを両親が見附けて購い、わたくしへ贈ってくれたことに、心の底からの感謝をささげる。最終的にわたくしを日本史好きに仕立てあげ、やがて江戸文芸就中〈国学〉なんてものの研究へ向かわせたのは、間違いなく、松本清張の『徳川家康』だったのだから──。
 いちどだけ、これの角川文庫版を見た。そもそもの版元である講談社から文庫化された様子は見られぬ。が、それは正直なところ、構う話ではない。精々が〈火の鳥伝記文庫〉版が全半壊或いは紛失等して読めない状態になったとき、代替品として持っていたいな、と思う程度。それよりもむしろ、かつて『中学コース』に連載されたという『決戦川中島』が読みたい。幻冬舎(発行元は一草舎出版)や講談社青い鳥文庫から刊行されていたそうなので、今度探してみるつもり。
 松本清張『徳川家康』、初めての出遭いからずいぶんと時間が経った。もしかすると病床にて、小説については清張作品だけ受け入れることができたその遠因は、案外と子供時代の『徳川家康』を愛読耽読したあたりにあるのかもしれない。オカルトじみたお話かもしれないが、本気でそう考えているのである。◆

*正確なところは現在問い合わせ中のため定かでないが、全20巻で構成されるこの全集を基にして、一部著者を入れ替えるなどして、1981年に〈火の鳥伝記文庫〉は創刊、刊行されたようだ。現在確認できる〈火の鳥伝記文庫〉は112点(新装版を除く)。
 時代を反映して手塚治虫や山下清、黒田官兵衛、嘉納治五郎などが新たにラインナップに加わっており、また、アインシュタインやシュリーマン、ジャンヌ=ダルクなどありそうで実はなかった人物の伝記も収めている。□

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