第2775日目 〈太宰治『二十世紀旗手』を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 Twitterで既にご存知の方には、同じ話題となることをお断りしておきます。
 今日(昨日ですか)の昼、太宰治『二十世紀旗手』を読了しました。『晩年』上梓後に書かれた、小説とも散文詩とも断章とも、或いは熱に浮かされた状態で書き殴った呪詛とも、様々に受け取ることが可能な、なんとも不可思議な1冊でありました。
 かりに『晩年』を初期太宰文学に於ける<陽>とするならば、『二十世紀旗手』に収められた7編はその<陰>を為す。太宰の生涯や思想の解読、理解には必読必至の作品集;そのための<鍵>が埋まった1冊と申せましょう。
 大仰かもしれませんが、志ある者は座右また枕頭へ侍らせて複読、そうして徹底的に読み倒すべき。既にそのような動きは起こっているのかしれませんが、『地図』と『晩年』とこの『二十世紀旗手』は、これからの太宰受容に於いて3冊セットでこそ読まれてゆくのが相応しいように、わたくしは考えるのであります。
 太宰自身や解説にて奥野健男がいうように、冒頭に置かれた「狂言の神」と「虚構の春」は、『晩年』所収の「道化の華」と併せて読むと、また一段と奥行きが出た読書体験になるでしょう。となれば復刻版(三部曲『虚構の彷徨』)を読まれるがベストとなるけれど、まぁ文庫を取っ替え引っ替え読むのも、なにかしらの相乗効果が生まれて楽しいかもしれないね。
 「雌に就いて」はあたかも『源氏物語』の「雨夜の品定め」を想起させるような装いだが、話が進んでゆくにつれて鎌倉の海で心中未遂を起こした際、本当に死んでしまった相手の女性の姿が終盤になって、ゆらぁ、と立ち現れてくるような、そんな背筋の凍るような怖さと、未遂に終わった女性への哀れさと苛みが同居した、太宰文学初期の歴然たる<怪談>というてよいでしょう。
 意味ありげに最後へ配された「HUMAN LOST」は、これまた頭をぐらんぐらんさせるようなふしぎで奇妙な1作。本作扉ページへ書きつけたメモを、ここに転記させていただきます。曰く、「千々に乱れて思ひ至らぬ及ばぬ箇所ありと雖も、要所に剥き出しの告白あり敏感に反応して心痛くまた塞がりぬ。本気で太宰を愛するならば本編は熟読、我が物とする必要あり。不可軽不可無視一作也」と。
 言葉を補うとすれば、この告白とは呪詛とも懺悔とも宣戦布告とも戯けとも、如何様にも受け止められるそれであります。これこそが太宰、と思わしめる満身創痍の絶唱が、この「HUMAN LOST」といえましょう。本作が後の傑作、『人間失格』の萌芽というのも納得なのです。
 <第二次太宰治読書マラソン>はこのあと、随筆集『もの思う葦』へ移り、そのまま中後期の作品に続きますが折節、どうにもこうにも理解の及ばなかったきらいのある「創生期」や講演録のスタイルで、かつては親しうしたが或るとき袂を分かった作家、中村地平を語った「喝采」など、吸引力のある作品の並んだ本書へ立ち戻ってみることになる、とはっきり予感しているのであります。『二十世紀旗手』はそんな意味でも、不可思議な小説集なのでした。◆

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