第2777日目 〈デパートでの古書即売展が愉しみだった。〉 [日々の思い・独り言]

 デパートでの古書即売展に胸躍らせて、足取り軽く、期待を膨らませて出掛けていたことを、若き古書マニアへ話しても通じないことに愕然とした。
 たしかに、デパートや百貨店の催事会場にて古書即売展が開かれなくなって、もう随分になるな。こちとらが学生時代と就職浪人時代、まぁ、つまり1980年代後半から1990年代中葉までの、バブル経済が頂点を極めてゆっくりと崩壊に向かおうとしていた頃のこと。それが実際に弾けて一気に日本経済がどん底に落ちこんだ頃のこと。年に何回か地元デパートや百貨店で開催される古書即売展を、首を長くして待ちわびていた。
 新聞に載る催事情報へ目を配り、その日に備えて日雇いバイトを重ね、そうして得た数枚の諭吉さんを数枚ありがたく拝した後、一部を銀行口座へ預け入れたらば手許に残った福沢先生はすべてが書籍購入のための軍資金となった。貯えた軍資金を懐に仕舞い、人いきれでムンムンする催事会場へ足を運び、古書が詰めこまれた平台へ目を走らせ、探し求める本が並んでいないかひたすら目を血走らせる……。
 会場に満ちあふれる出展者側と客の側がかもす熱気と興奮。目指す本があと数センチ、わずか一瞬の遅れによって目の前でかっさらわれたときに怒りと落胆。逆に思いがけずお宝本が安価で手に入ったときの幸福。買おうか買うまいか迷っているとき、耳許で囁く悪魔の声。折良く探していた本を台で見附けて胸に抱きしめたときの法悦。古書即売展ならではだ。もっとも、神保町の古本祭りを知ってからは、そこでも同様に味わうあれこれでもあったのだが。
 紀田順一郎『新版 古書店を歩く』(福武文庫 1992/3)冒頭で活写されている古書即売展の様子は、既にわたくしが参加するようになった時代には見掛けることのなくなっていたが、トラブル面では残滓ともいうべき出来事は出来していたなぁ。実際、わたくし自身、若造と舐められたせいか、胸ぐら摑まれたり威嚇されたりしましたけれどね。が、残念なことに、喧嘩上等な人間ゆえ怯むことなく堂々と啖呵切ってお相手申しあげたところ、一緒に会場からつまみ出されましたがね。
 『新版 古書店を歩く』や他の人が書いた古書即売展に関する文章など読んでいると、やはりこれらの開催に先んじて目録が発行、頒布されていたそうだが、不幸にしてわたくしはそれを入手、事前に目を通してどんな本が出品されているか、確認したことがなかった。横浜のデパートで催される古書即売展程度にまで目録が発行される、なんて考えも及ばなかったときですから、仕方ないといえば仕方ないか。もっとも、開催直前に始めた日雇いバイトの給料で、目録に載る欲しい本をどれだけ購入できたか、甚だ疑問ではありますが。
 1990年代中葉以後、新聞で古書即売展の広告を見ることもめっきりなくなり、21世紀になり改元もされた今日では尚更であるが、もしかすると最早デパートや百貨店を会場にした古書即売展は絶滅してしまったのであろうか。うむ、絶滅危惧種ではなく、絶滅種。であれば、冒頭の若き古書マニアの知らぬも首肯できるのだが、なんだか淋しい。当時の古書マニアといまの古書マニアって、明らかに購書の理由も探求と蒐集への執念も変質してしまったもの。
 擱筆に際してお断りしておくが、これはあくまで神奈川県横浜市に於ける状況である。そうして全国紙・地方紙・地元の新刊書店と古書店等で把握し得た限りデパートでの古書即売展が開催されていないと言うのである。他の都市部での状況は考慮していないので、ご承知の程を。◆

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