第2917日目 〈怠惰を駆逐すれば、「マカバイ記」読書を始められる、……か?〉 [日々の思い・独り言]

 つらつら顧みて、聖書にかかわるエッセイで書いておくべき優先順位の高いものは、断然、マカバイ戦争とハスモン王朝成立までの通史だ。
 8月に端を発した沈黙期の間、2つの「マカバイ記」を読み返して、そう思い至った──が、言うは易く行うは難し。最後の最後でいつも翻意して、筆を投げるのが恒例になっている。
 問題は地理、地勢なのだ。1つ1つのエピソードの舞台になった土地の地名や周辺環境について聖書から推測することはできても判然としない部分が圧倒的に多い。現在のイスラエル地方の地図に重ねても小首を傾げるばかりで、ピン、と来ないところがある。一例を挙げる;一マカ5:37,敵将ティモテオスはギレアド北方ラフォンの街に面した渓流に陣を敷いてユダ軍を待ち構えたというが、その渓流はラフォンの街の外側をどのように流れていたのだろう。どの方向からどの方向へ流れていたのか、水量や水勢は如何か、底の深さはどれぐらいか、川幅は何メートルぐらいあるのか、縁にはどのような植物が生えていたのか、等々。
 本ブログが聖書読書ノートとして機能していた最後の日、参考文献に書名を挙げた『聖書大図鑑』にはたしか、イスラエル全土の地形図が、カラーで載っていたはず。マカバイ戦争時の各地の地図も、併せて。これらをカラーで拡大コピーして、マカバイ戦争の主だった出来事を年代附きで付箋に記して貼る。これを壁にでも貼って毎日ぼんやり眺めておれば自ずと、書き倦ねているマカバイ時代のイスラエル通史が書けるのではあるまいか。かつて渡部昇一が最初の日本史の本やドイツ参謀本部の本を書きあげたのと同じプロセスで。
 が、腰の重いわたくしにはこんな簡単な作業すら、非道く難儀なんだよな。怠惰を原因の一とする所以である。咨、と天を仰ぐべきか、呵呵、と体を揺らすべきか、迷うてしまうよ。
 わたくしはここでヒルティの名言を引用する。曰く、──
 「まず何よりも肝心なのは、思いきってやり始めることである。仕事の机にすわって、心を仕事に向けるという決心が、結局一番むずかしいことなのだ。一度ペンをとって最初の一線を引くか、あるいは鍬を握って一打ちするかすれば、それでもう事柄はずっと容易になっているのである」(「仕事の上手な仕方」『幸福論(第一部)』P24 草間平作・訳 岩波文庫)
──煎じ詰めれば四の五のいわず、やらない/できない理由を探している暇があれば、思い切って着手して作業に取り掛かれ、ということだ。
 ルナンのように、書くにあたり事前に現場を踏破しておくのが、歴史について表す場合は最善なのだろう。されどわが身にイスラエルは遠すぎる。「マカバイ記」や史資料を精確に正確に読みこんで、ちゃんとした地図を傍らに置いて作業を進めるだけだ。◆

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