第2920日目 〈抜き書き万歳、引用万歳。〉 [日々の思い・独り言]

 久々に読むに値するツイートを読んだ。いまの想ひ人とほぼ同年齢なはずの女性のものだ。抜き書きで構成される読書ノートと、そこへ至るまでの遍歴が紹介されている。まァ、とはいうても実際は、その女性が自身のブログにある記事をツイートしたものだが。
 要約すれば、内容はこうだ、──
 高校生の頃から読んだ本の感想を書き始めた。が、そうした本の大概が、しばらく経つと内容を思い出せないのだ。その後、大学のゼミで、本の抜き書きを作る、という経験をした。教授曰く、それは将来なにかの機会に文章を書くことになった際、かならず役に立つ、と。そうやって作り始めた(感想文代わりの)抜き書き集の方が高校時代に書いていた感想よりもずっと、本の印象が強く、抜き書きを読むことで内容や雰囲気等まで思い出せるのだ。
 若干的外れな要約かもしれぬが、その点はどうかご容赦いただきたい。なにしろいま手許にはスマホもタブレットもPCもないのだ。しかし、大まかな論旨に大きな誤りはないはずだ。
 閑話休題。
 わたくしは、このツイートに感じ入るところ、大であった。一々に頷き、共感した。歴だけはじゅうぶん長くなった自分の読書の歩み、友人への手紙や公にするアテなき短文そうしてブログでの本の感想を顧みて、ああまさしくその通りだな、と首肯したのである。
 今年、わたくしは太宰治を読了した。都度、その感想文を認め、それなりに考えて清書し、お披露目してきたが正直なところ、その内容なんてもう殆ど覚えちゃいない。流石に一部の作品に関しては、「こういう風な小説だった」「こんな場面があったはず」と記憶へ朧に残ってはいるが、他はどうにもさっぱり……。
 ブログへ載せた感想文に、それらの本の引用があったか覚えていない。が、原稿を書くに際して、抜き書きは用意していた。本に印を付けたところを一旦書き写し、それを横目に感想文を認め、推敲したのだ。一部なりとも内容などを覚えている作品があることの理由の1つは、抜き書きという作業があったためなのかもしれない。
 20代中葉にわたくしは、当時復刊された分も含めて岩波文庫の黄帯に収まる古典時代の歌集を、殆ど読んだ。特に思い出深いのは、勅撰和歌集11冊、山家集、金槐集、拾遺愚草、和泉式部集、新葉集、王朝秀歌選、風葉集、定家八代抄、王朝物語秀歌選、六百番歌合、中世歌論集、である。全部で24冊。
 どうしてこれらを特に思い出深いというか。偏に自分自身の編纂になる歌集を作ろうとしていたからだ。むかしの、勅撰集編纂に於ける和歌所に倣い、一首一首を短冊状の紙片に書き写し、配列に頭を悩ませ、また(歌を)棄てたり出したりまた戻したりしたのである。もう小説を書くのも古典の現代語訳も止していたからとはいえ、20代中葉から後半に掛けて、わたくしはなんと暇で、酔狂な行為に身をやつしていたのだろう。そうして、そんな短冊状の紙片約1万3千枚はあの晩、火焔のなかで灰となった。
 さて。
 抜き書き、引用ということでどうしても触れねばならぬのは、聖書である、内容を覚えている/思い出せる、という面からも、聖書読書を以てわたくしは実感しているからだ。
 足掛け8年、実質7年。1日1章の原則で、わたくしは愚直に聖書を、「創世記」から「ヨハネの黙示録」まで順番に読んだ。勿論、旧約と新約の間に挟まった旧約聖書続編も、「トビト記」から「マナセの祈り」まで素直に。
 如何せん信徒ではないから、そうした方面からの読書は到底できぬ。ならば古人が伝承伝説として語り伝えて、神の愛、人の営みを記録した民俗叙事詩、、一個の歴史書として、頭から尾っぽまで丸ごかしに読んでゆくより他あるまい。実は本ブログはその読書の(思わぬ)副産物である。せっかく<世界でいちばん読まれている本>を読むなら、なにかしらの記録を残しておきたい。斯くして本ブログは誕生し、その日読んだ章の内容と感想を記録してゆく日々が始まった。判で押したように毎日が同じ。でも、それがとっても安らいだ気持ちにさせてくれたのだ。
 単に内容を紹介し、自分のコメントを残すだけでは心許ない。説得力に欠ける以前に、その章で書かれていることをきちんと伝えられているか、不安だったのだ。それを補う意味で、当該章からの引用を始めたのである。もっとも時には引用するのは、抜き書きするのは、この箇所で良いのか、こんなに長くて大丈夫なのか、など悩んだこともあったけれど。
 が、結果としてこの作業は実に有益であった。その章、その書物がどんな内容でトピックになる出来事やキモになる考え、そうした諸々が、ブログにお披露目された文章中の引用を見るだけで概ねわかるようになったのだ。誠におこがましい言い方だけれども、旧新約聖書(続編附き)という豊饒の世界をわが手中に収めた気分さえしているのが正直なところなのだ。これを有益といわずになんというや。
 ──件の女性のツイートは自分の経験から生まれた、自信を持って述べられた揺るぎなきたった独りの意見である。芯がある。わたくしは彼女の意見に一も二もなく賛同する。同じ経験をして、その有用性を実感しているからだ。
 抜き書き万歳、引用万歳。◆

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