第2921日目 〈田舎への往復に選んだ本。〉 [日々の思い・独り言]

 田舎なんて嫌なものだ。そこに住まう親類との付き合いはもっと厭だ。嫁をもらうなら、仮に田舎があっても親類がいないか、付き合いを断っている人が望ましい。昔気質といえば聞こえはいいが、人の話をまったく聞かず理解せぬ田舎人ほど卑しき者はなし。
 そんな卑賤の衆と顔を合わせねばならない、最後から何番目かの機会が昨日(注:令和2年10月26日)あった。墓仕舞いのためである。
 往復はJRを用いた。出発の直前まで、書架へ視線を走らせ、床積みの本の山を見おろし、悩んでいたのは勿論、その往復の車中で読む本をなににするか、という楽しくも時間の掛かる作業なのであった。タイム・リミットは迫っている。所要時間、約4時間。途中、寝たり喋ったり坐れなかったりぼんやり窓外を眺めることを考えれば、ざっと2時間程度の読書タイムと考えてよいかもしれない。
 候補の筆頭はドストエフスキー「ネートチカ・ネズワーノワ」。が、如何せん活字が細く、揺れる車内で読み続けることは辛い。いやぁ、経年劣化はヤなもんだね。
 様々な思考過程を経て、セネカを鞄に入れた。トマス・ア・ケンピスを諦めたのは、うぅん、これ、どう考えても電車のなかで読むようなモノじゃぁない。『孫子』を避けたのは、今日の流れに支障を来しそうな気がして怖かったからだ。厭な親類でもいまはまだ波風立てずに顔合わせなくちゃあならんもの。
 セネカ!
 ──ずっと気になって仕方のなかった古代ローマの著述家だ。ヒルティの文庫解説でストア哲学と併せて知り、聖書読書/ブログ執筆の過程でローマ帝国のことを調べていてふたたび気になり始めたセネカ。
 買っておよそ2週間、他の本と一緒に積んでいた。手にしたのは、偶然である(だろう)。ぱらぱら目繰っていたら、『心の安定について』の一節が目に止まり、その部分だけ読んで、他の箇所も読みたい、と強く思うたのだ。さいわいと読みやすいレイアウト、フォントのサイズ、日本語訳で、電車のなかで読むには良きお伴に感じたのだ。ゆえに鞄に入れた。
 そんな次第で翌る日、北関東と南関東をつなぐ(あちこちの路線をくっつけて運行するの、大反対なんだけれどなぁ)あちらこちらを拾い読みし、そのまた更に翌日即ち今日、補えば令和2年10月27日(火)に収録3編を通読しての感想を、後日ここでお披露目するといたしましょう。
 そうね、日を改めて。それでは、その折に、お目にかかれれば。Au revoir,mon ami.◆

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