第2939日目 〈もう国産ミステリ、(殆ど)全部処分したるわ。〉 [日々の思い・独り言]

 年が明けているはずなのだが、まるでそんな気がしないのは、どうしてなのか(「が」が多いなぁ)。箱根駅伝をテレヴィで観ながら、そんなことを考えた。新型コロナウィルスで活動に制限が掛かっているためか。大掃除や年賀状作成、松飾りの準備など年末お約束の行事をまったくしなかったからか。年末年始のテレヴィとは無縁の日常を送っていることも、感じぬ理由の一端にはなりそうだ。sigh,good grief.
 以下に綴るのはあくまで「呟き」に過ぎぬ。特段中身のないものであることを、あらかじめお伝えしておく。よろしいか。
 大掃除絡みの話である。限りある空間を圧迫する本の山に憎しみを抱いて、発作的に大処分作業を開始することにした。筆頭ターゲットは未読の積ん読本、お隠れ本。次にダンボール箱に入った国産ミステリの山、山、山。前者は基本的にブックオフオンラインに、後者はミステリ小説等をよく購う都内の古書店に、引き取ってもらう予定。
 前者については有象無象のジャンルが含まれるので備忘なぞ作る必要を感じない。が、後者については備忘の必要を感じている。後日手放したことを後悔すること必至だが最早それを購い読む機会はお前にゃないんだぜ、と自らへ突きつけるためにも、備忘は必要だ。
 では始めよう。処分するミステリの内訳を、ざっと。
 まず、鮎川哲也の作品を文庫単行本含めて、犯人当て小説集1冊を除いたすべてを。取り除いた小説集に思い入れがあり、好きな作品が収められているという理由から残して、あとは全冊、問答無用、よく検めもしないまま見送ることにしよう。
 続けて、連城三紀彦を光文社文庫の3冊を脇に取り除けた他は、こちらもあとはよく検めることはしないで、サヨウナラ。一々点検していたら、棄てられる本も棄てられないじゃないか。だから、検めないのだ。正直なところをいえば連城三紀彦には、<花葬>シリーズ以外には殆ど思い入れがない。だからこんなこともできるのだろうか。
 新本格やその周辺の作家で1冊も書くことなく残しておきたいのは、綾辻行人だけだ(元日のツイートで「今年の仕事目標」として館シリーズの執筆を挙げてきたのは嬉しかった。もっとも、執筆開始、執筆終了のツイートが出ない限り新作に接することへの期待はできないが)。
 島田荘司、辻村深月、我孫子武丸、二階堂黎人、有栖川有栖、法月綸太郎、竹本健治、乾くるみ等々、まとめてダンボール数箱に押しこんで、集配の手続きを昨日夜中に行った。
 もうね、空間が本で見えなくなっているのは厭なんだ。
 できれば古典関係の本も綺麗さっぱり処分したいけれど、これはねぇ……実行できそうもないな。これらが書架から消えたら、もうわたくし、きっと魂抜けた粗大ゴミに等しいですわ。でも、いちばん嵩張っているジャンルであるのも事実。さて、どうすればいいだろう? いよいよ書庫代わりのアパートを借りることを、真剣に検討せねばなるまいか……。◆

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