第3022日目 〈小説「人生は斯くの如し(ヘンリー・キングの詩より)」 〉3/9 [小説 人生は斯くの如し]

 その日、会社に戻ると、リストラされていました。正確にいうならば、例のSDF社──北朝鮮の核開発に一役買っているらしいって噂だよ、とあのあとメイドがいっていました──がわが社を吸収合併することとなり、従業員770名余のうち、8割近くの社員が解雇されることとなったのです。そのリストに自分の名前を見出すのは容易でした。3ヶ月の猶予を与えられていたのは、他の会社にくらべれば寛大な処置であったのかもしれません。
 その日の午後の社内は誰も彼もが皆顔寄せ合う度毎に吸収合併の話で盛りあがっていたようであります。正直なところ、わたくしもその話に混ざって皆の意見など聞いてみたかったのですが、管理職に果たして誰が胸襟を開いて、いや実は……など述べたりするでしょう。もっとも、夕方になろうという頃から管理者会議に参加しなくてはならないため、そんな時間を割くこともできなかったのですが。
 珍しく会議が短い時間で終わり(当たり前です、決定したことについて唯々諾々と従うより他ない経営状態だったようですから)、定時で退勤できる部下はすべて帰して自分も残業を1時間ばかりしたあと、ロビーで憂さ晴らしを兼ねて商店街の居酒屋へ行くという連中と出喰わし、誘いを断り、街灯がぽつん、ぽつん、とあるばかりの上り坂(いちおう、バス道路)を歩いていました。
 ときどき脇を通ってゆく車に注意しながら、わたくしは行く末について結論のなかなか出ない考え事をしていました。こんなとき、独り身であること、家のローンが完済済みであることは、強いなぁ、と実感します。税金や光熱費等々を支払うだけのお金も、貯金とは別に用意してある。けれど、働かなくてはならない。どれだけ稼いでも出てゆくものは出てゆくのです。否応なし。でも、それが現実。Huey Lewis&The Newsではありませんが、”Simple as That”なのです。ふと、メイドの顔が脳裏を過ぎりましたが、そのときはまだ彼女が自分の人生に如何程の存在になっているか、しかと認識することはできていませんでした。
 そのとき、ウッドさん、と後ろから声をかけられました。足を停めて振り返ると、管理部の石田さんが息を弾ませて小走りに駆け寄ってきます。彼も、リストラ対象として挙げられた人物でした。
 「行かなかったんですね、ウッドさんらしい」
 「誘われたんですけれどね。石田さんはてっきり……」
 そこまで飲んべえじゃありませんよ、と苦笑いしながら、石田さんは頭を振りました。そうしてからやっと、そういえば一昨年の秋に入院したんだよな、と思い出して、すみません、と謝りました。
 「いや、いいんですよ。でも、急でしたね。まったく噂もなかったのに」
 「事前にそれらしい気配があるものなんでしょうけれど……」わたくしはそういって、まだ半分ほどある坂道を見あげました。人生常に急な坂道の繰り返し、上りもあれば下りもある、と歌っている演歌があったように思います。「リストラなんて初めてだから、どうにも実感が湧かないですね」
 いや、たいていの人が初めてだと思いますよ、という石田さんのツッコミは、かたわらを行くトラックのエンジン音で掻き消されてしまいました。まぁ、返す言葉も思いつかないので、苦笑することで返事に代えました。
 「ウッドさんは独身ですよね、まだ?」と石田さん。「あれ、ご結婚されてましたっけ?」
 わたくしの過去については既に申しあげたとおりです。改めてそれを説明すると、ああ、そんなことがあったんですか。石田さんはぽつり、と呟いて、頷きました。「すみません、知らなかったこととはいえ。じゃあ、私がこの会社に来たのは、その直後だったんですね」
 そうかもしれません。
 「石田さんはご結婚されていますよね。確か、息子さんが夏休みに倉庫のアルバイトに来られていた?」
 「そうです。あれも来年、大学を卒業ですよ」
 「お一人ですか?」
 「ええ、そうなんです」と石田さんがか細い声でいいました。「女房がね、息子を産んだあとはもう駄目な体になってしまって」
 でも、石田さんの御子息からは育ちの良さが感じられました。一昨年の夏に倉庫の棚卸しでご一緒したことがありますけれど、そのときのハキハキした様子、キビキビした行動、物事の理解力の早さに感心する一方で、まぶしささえ覚えたものです。きっと石田さんと奥様がきちんと育てたのだろうな。それを伝えたときの石田さんのはにかんだ表情が、あれから何年も経ったいまでも思い出されます。
 そうこうするうちにようやく、坂を登り切った場所にあるバス停へ着きました。どうしてバス会社は乗降客の多いこの坂の下にもバス停を設置してくれなかったのだろう。就職してから今日まで何百回となく抱いた疑問が、またむくり、と湧きあがってきました。
 さて、石田さんはここからバス、わたくしはまだもうちょっと歩きです。バスを待っているのは、石田さんを含めて3人だけ。時刻表を見ると、到着予定時刻はもう過ぎている。それをいうと彼は笑って、そんなのしょっちゅうですよ、たいてい3,4分遅れてくるんです、と教えてくれました。
 ほら、見てごらんなさい。
 石田さんが指さした方、つまりわたくしが歩いていく方向を見ると、宵闇のなかからバスがのっそりと姿を現しました。大寒を過ぎたばかりの街の闇に浮かぶ車内からもれる灯りは、どういうわけだか、子供の頃に祖国の祖母に見せてもらった浮世絵に描かれた狐の嫁入りを思い出させました。さすがにそんなこと、石田さんには──というより、相手が誰であっても話すのは憚られました。というのも、この街が他ならぬ狐の嫁入り伝承の色濃く残る土地だからです。
 「今度、一杯やりましょう。約束ですよ?」と石田さんが、バス待ちの行列が動き始めたときにいってきました。
 勿論、お誘いに乗りました。「約束を守るのが営業の唯一の美点です」
 笑いあって、別れました。その場を去るのがなんだか名残惜しくて、わたくしは石田さんが乗ったバスの去ってゆくのを、視界から消えるまでずっと見送っていました。寒さに頬や耳が冷たくなり、髪の毛が固くなってくるまで、厚着しているにもかかわらず全身がひんやりしてくるまで、その場に立ち呆けていました。
 携帯電話がどれだけの時間、鳴っていたのかわかりません。かじかむ手でコートの内ポケットから苦労して出すと、液晶画面にはメイドの名前と(勝手に自撮りされた)写真が表示されていました。昨夜のメールで明日の晩、つまり今夜泊めてほしい、とおねだりされていたのをすっかり忘れていました。さっき、喫茶店を出るときに念押しされていたにもかかわらず、です。断っておきますが、色恋が絡む話ではありません(少なくともこのときは、そう信じて疑いませんでした)。
 しまった。舌打ちついでに口のなかでそう呟くと、通話ボタンを押して受話口を耳にあてました。メイドの声は、震えていました。どうやらポーチの階段に坐りこんで長い時間が経っているようです。玄関周りは風に当たらないように設計されているとはいえ相応の時間、外にいればこの季節なら震えて当然。どうして鍵の在処を教えておかなかったのか、と自省しました。……いますぐ帰ります。鍵の場所を教えるから、入っていてください。「あと、暖房つけておいて──」
 「当たり前でしょ!」
 すこぶる怒り気味な調子でメイド。電話はがちゃり、と切られました。明日、鍵の隠し場所を変えよう。そんなことを考えながら、帰途を急ぎました。
 雲が重く垂れこめ、いまにも雪が降り出しそうな空でした。□

共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。