第3056日目 〈イモヅル式読書の功罪;たとえば、「安倍晋三」というタグの付いたツルを引っ張ると、……。〉 [日々の思い・独り言]

 イモヅル式の読書は愉悦と充足を与え、飢餓をもたらし、無間地獄へ人を誘う。
 最近はしみじみとそう思うのであります。ひとりの著者の本から特定の話題について書かれた本を渉猟し、その著者を慕う人の本或いはその人について書かれた本へ手を伸ばす。結果、英世・一葉・諭吉が旅立ち、対価に空間がまたしても埋められる。咨、これを知識欲の果てに待ち構える生活空間の脅かしといわずになんというか。
 冗談はさておき(冗談だったのぉ!? ←久保ユリカ演じる小泉花陽の声で脳内再生してほしい)、いまがまさにそのイモヅル式読書の無間地獄に陥って、さてさて、困ったな、置く場所がなくなってきたぞ、と頭抱えている状態。
 ツルの片方の端はわたくしの目の前にある。幾本も、幾本も。或るツルの端っこには「9.11(同時多発テロ/イラク戦争)」と書かれたタグが付いている。見れば「安倍晋三」と、「ケネディ暗殺」と、「聖書」と、「横浜大空襲」と、「シューベルト」と、書かれたタグを付けたツルも目の前にあって、わたくしがその端を握る機会を待っている。それはどれも、無間地獄への片道切符だ。
 「9.11」に関しては基本的な資料や読み物は手許に集まってきたのでさて置くとして、たとえば「安倍晋三」。
 まず結論からいうと、わたくしは安倍前首相の3度目の首相就任を期待する者である。昨年夏に退陣表明して菅総理に後を託して第一線から一旦退いたのも、<第100代内閣総理大臣>の肩書きを添えて復権することを視野に入れてのそれであった、と邪推もしているのだが、果たしてそのあたりは如何に?
 そこで本題に戻るが、わたくしは安倍前首相の政権運営と人物に多大な興味と関心とクリティークの目を持って、特に第2次政権を観察してきた。安倍氏の『新しい国へ 美しい国へ 完全版』(文春新書 2013/01)と『日本の決意』(新潮社 2014/04)をまずは読み耽り、親安倍・反安倍いずれの陣営に属する人たちの本──退陣からあと3ヶ月あまりで1年になろうとしているいま、安倍政権の是非や首相批判の類は出揃ったように思える──も、新たに目に付く度に買いこんできて、……いや、それゆえに部屋がとんでもないことになってきていることは、既に何度か本ブログでも<黄金のワンパターン>を自覚しながらお伝えしておりますね。
 でも、それだけ安倍政権にまつわる本を買ったり読んだりしてきたのに、ふしぎと或る話題に関してだけは無意識に避けてきたんですよね。ランドマークタワーのスタバで渡部昇一『かくて昭和史は甦る』(クレスト社 1995/05)を読了、しばらく時間を潰してモールの新古書店に足を伸ばしてぼんやり新書のコーナーを見ていたら、その話題を書名に掲げたものが何冊か目に付いた。これがたいてい新しい分野に足を踏みこむきっかけになるのだが、このときも「ああ、ついに来たか」と独り言ちながらそれらをレジへ運んだ(そのタイミングで妻が合流、焼き肉屋で遅い昼食を済ませた)。<日本会議>について書かれた、2016年に集中的に刊行された新書を3冊を購ったことで、安倍復権・安倍一強の謎を解く最大の鍵を手に入れた気分になった──まだ読んでいないけれどね、勿論。
 「安倍晋三」てふタグの付いたツルに引っ掛かってくるのは、むろん安倍晋三・安倍政権にまつわる諸書ばかりではない。政治や国体について書かれた本が軒並みこのツルには引っ掛かってくる。菅総理(官房長官時代含む)を始め過去歴代総理の著書・関連書、民主党政権について書かれた本、立憲民主党代表・枝野幸男の著書や東京都知事・小池百合子の関連本等々がここには絡みついてくる。もはやイモヅル式読書というよりは、地引き網式読書という方が正確かもしれませんね。
 さて、部屋というよりも書架を片附けながら、明日の新顔を迎え入れるスキマの確保に勤しみましょう。◆

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