第3057日目 〈渡部昇一『かくて昭和史は甦る』を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 ミもフタもないことを言うと、著者の日本史関連書籍で読むべきは『日本史から見た日本人』全3巻(祥伝社)と『渡部昇一の少年日本史』(致知出版社)、他は精々が『日本の歴史』全8巻(ワック)か、と考える。従って今回俎上に上す『かくて昭和史は甦る』(クレスト社 1995/05)も、それらをまず押さえておけば読む順番、読むべき本としてのプライオリティはけっして高くない、と、そう判断している次第。とはいえ、これは刊行されたほぼその順番で読んできているからこその発言であって、最初に手にしてはならない1冊というわけではない。そのあたりは勘違いしないで、ご自分の選択眼を大事にしていただくたく思う。
 本書で話題になる事柄の概ねは既に『日本史から見た日本人・昭和編』にて扱われており、その後の意見の発展は特に見受けられない。該書の見返しや読書ノートにはその都度思うたことを書き留めたが、それでも『日本史から見た日本人・昭和編』では読んだ記憶のない記述が散見され、ふむふむ成る程、と首肯させられるところは幾つもあった(殊、通州事件の項は凄惨である、うなされるぐらいに生々しい証言が引用されているがために)。
 たとえば、ダーウィンの進化論を引き合いに出して、欧米列強各国の植民地政策に触れた箇所だ。長くなるが引用したい、曰く──
 「(日露戦争の本質は)侵略戦争というよりも「祖国防衛戦争」と見るのが実態に近い。
 たしかに、朝鮮半島やシナ大陸を主戦場にして、その勢力圏を争うという行為自体は「侵略」と定義しうるかもしれない。だが……清は朝鮮を自分の庭にしてきたし、またロシアはその清国から領土を奪い取っているではないか。
 この十九世紀末から二〇世紀前半の国際社会が、「侵略は是」とされた時代であった。この時代の思想を簡潔に表現するならば、「弱肉強食」あるいは「適者生存」という言葉を使うのが、最もふさわしい。
 言うまでもないが、このキーワードはダーウィンが提唱した進化論に由来する。
 (進化論は通俗的な形で世に流布し、欧米の植民地政策にお墨付きを与える結果になった。なぜならば、)「優れた白人が劣った有色人種を征服することは、自然の摂理なのだ」ということになったからである。
 まさに、進化論は人種差別の道具となってしまったのである。」(P114-115)
──と。進化論というよりは優生学に基づく優良種の選別・生育と劣等種の根絶もしくは支配という図式の方がより普遍的ではないか、と考えるが、まぁ著者はわかい頃から進化論に関心を持ち続け、人文系学者としては珍しくダーウィンの著書、或いはラッセルの著書を精読した人だから、氏には進化論へ当て嵌めるのがいちばん自然な発想の流れであったのだろう。
 閑話休題。とはいえ、ここに引いた発言はことごとく「是」なのである。強者は弱者を征服することを自然の摂理とする、その裏付けとなる思想こそ(どれだけ美辞麗句を連ねてもとどのつまり)ダーウィンの進化論に由来すると指摘する。──人類は有史以来このようにして発展してきたのだ、ゆえにいまわれらがしていることも人類の発展のためには必要とされる行為であり、その行為そのものは「是」なのだ、という納得材料を、進化論は征服の実作業にあたる人たちへ与えたのだった……。如何にして進化論が通俗化して世間に流布していったか、寡聞にしてわたくしは知る者ではないのだがこの機会にいろいろ調べてみようと思う。
 これをシェイクスピアの言葉で説明すれば、「悪魔も手前勝手な目的のために聖書を引用する」(『ヴェニスの商人』第一幕第三場)となろうか。
 この日露戦争の頃、陸海軍は兵士の脚気に悩まされていたという。特に陸軍では傷病者のうち過半が脚気に罹った者で、日露戦争に動員された全将兵の5人に1人が脚気に苦しみ、脚気による死者は二〇三高地占領作戦の戦死者を優に上回ると云々。海軍でもせまい艦内のことゆえ脚気は蔓延し、脚気患者の数が増えれば艦の航行に障る可能性もあった。では、陸海軍はそれぞれどのように脚気対策へあたったのか。実はここではっきりと明暗が分かれた。
 即ち、海軍にはイギリスへ留学して、かの地で臨床実験の経験を積んだ高木兼寬軍医がいた。かれは脚気の原因を探るよりも前に、どうして脚気になる兵がこんなに多いのか、同じ艦内にいて上級士官たちが脚気に罹っていないのはなぜか、陸の上の人々を観察しても日本人が脚気に悩んでいるのに外国人は脚気と無縁の生活をしているのはなぜなのか。高木軍医はこの点について徹底的に調べたという。その結果、原因はともかくその解決法が食事にある、と結論を下した。上級士官や陸の上の外国人たちは白米も食べるが、パンなど小麦粉で作られた食品も口にし、かつ肉も日常的に食べていたのだ。田舎から出て来た水兵たちは、白米を食べられることの方が嬉しく、そればかりを食べていた。高木軍医はここに着目した。海軍は高木軍医の提言を容れて食事の改善に力を注いだ。結果として海軍の脚気患者は著しく減ったそうである。
 では陸軍はどのように対応したかというと、余りに愚鈍であった。陸軍の軍医といえば東京帝大出のエリートで構成された集団だ。森林太郎(鷗外)がいちばん知られた存在である。かれらは海軍の脚気対策を聞いてはいても、それに習おうとはしなかった。エリート意識に搦め捕られたこともあろうが、むしろドイツ医学の信奉者集団だったことが災いしたように思える。イギリス式の臨床主義、実践的方法をかれらは軽んじ、原因を突き止めることこそ脚気治療の眼目、と信じこんでいた。その間にも軍内で脚気患者の数はどんどん増える。されど軍医はそこから目をそらして学問に明け暮れる──こんなバカな話があるか? 陸軍内の脚気患者はその後も膨らみ続け、最終的には海軍が採用した対策を導入して事態収束を図ることになる。
 出典や参考文献が記載されていないので、興味を持っても自分で調べてゆく第一歩を得られないのは残念であるが、斯様に通常の日露戦争史、近代史では触れられない、軍内部が抱える兵の肉体的問題を取り挙げて一般読者へ伝える労を厭わなかった著者に感謝したい。この一点を突破口に、陸軍の現場軽視がどれ程組織全体に行き渡っていたかの証明も出来ようし、また現場軽視が蔓延していたことで統帥権干犯問題以後、大東亜戦争開戦前後に於ける陸軍の強硬な姿勢、横暴な行動も説明することが可能なのではないか。
 渡部氏の著書を読むまで、東京裁判の実態の一半も知ることのなかった自分を恥じたい。われらの世代は戦前の日本について、良い国であったとも悪い国であったとも教えられていない。単純に、中高の授業がそこまで踏みこむことがなかったからだ。そういう意味ではニュートラルといえるのだろうが、裏返せば「無知」を別の言葉で表現したに過ぎない。そうか、戦前の日本が斯くも悪くいわれている原因は、東京裁判にあったのか……。
 が、日本軍がアジアの周辺国を侵略し、かの地でジェノサイドを実施したというならば、そうしてそれが事実であったとすれば、大東亜戦争で砲火を交えた英米も同じ穴の狢ではないか。原爆投下や都市部への無差別爆撃など、ジェノサイドの極北としか言い様がない。それを棚にあげて日本をばかり責めるのはなにゆえか。結局、東京裁判とはマッカーサーの私怨が生んだ復讐劇であったのだ。
 「(原爆を落とし、無差別爆撃をやってのけた国が)東京裁判という”復讐裁判”を開き、そして、そこで『南京大虐殺』という根拠なき犯罪が主張されたという事実を、われわれは歴史の教訓として覚えておくべきだと思うのである。しかもニュルンベルク裁判では、ナチス党員だけが裁かれたのに、東京裁判においては日本国民すべてが裁かれたのである。」(P315)
 <戦前の日本は悪い国だった>、<日本は先の大戦で周辺国へ侵略戦争を行った>という罪悪感、後ろめたさが東京裁判史観、自虐史観の主柱となり、それに基づいた或る種の洗脳がメディアや教育を通して戦後生まれの、戦争を知らない世代にまで受け付けることに成功した。──おそらく渡部氏のいう「日本国民すべてが裁かれた」とはそうした背景を踏まえてのことなのだろう。
 そう考えると、マッカーサーが朝鮮戦争後に証言した、「この前の戦争は日本が自衛のために行った戦争だったのだ」があまねく日本国民に紹介されず、そのまま放置されたのは無念としか言葉がない。渡部氏は宣戦布告の暗号電報を遅れて米国に提出した外交官たちは切腹するべきだったと息巻くが(P329)、むしろ切腹すべきはマッカーサーの言葉を紹介しなかった当時のメディア関係者であろう……たといそれが占領下であったとしても、誰かが勇を鼓して自衛戦争であったことを認めたマッカーサーの証言を、国民に伝えるべきであったのだ。
 そういえば渡部昇一はふしぎとノモンハン事件について触れたことがない。すくなくともこれまでの読書で、ノモンハン事件に触れた著書には出会っていない。村上春樹の読者にノモンハン事件はお馴染みであろうし、文春文庫から出る半藤一利の著作でも『ノモンハンの夏』は版を重ねていまも新刊書店の棚に並ぶ。なぜ触れなかったのか、とは問わない。氏の琴線に引っ掛からなかっただけなのだろうから。が、こちとら『ねじまき鳥クロニクル』を愛読し、『日本のいちばん長い日』を耽読した者である。一旦意識にのぼったこの事件について書かれた文章を読みたい、そんな欲求を抑えこむことができない。為、たまたま持参していた(「たまたま」である)村上春樹の紀行文集『辺境・近境』(新潮文庫 2000/06)を本稿擱筆後に開こう。◆

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