第3168日目 〈『ラブライブ!スーパースター!!』;平安名すみれ、という人物について。〉 [『ラブライブ!スーパースター!!』]

 どんな世界にあっても、自分がかかわり合いを持つ集団のなかにはかならず1人は、気の合わない/性に合わない/ムシの好かない/どう頑張ったり努力しても好きになれない人物がいる。ホラ、自分の身のまわりを見回してごらん。1人、2人はそんな顔が思い浮かぶのでは? リアルな世界でなくても構わん。フィクションの世界にまで対象を広げたってよい。どうだろう?
 こんな書き出しで始めた以上、お前にはそうした人物がいるのか、ですって? 嗚呼、モナミ、いるなら白状してしまえ、と仰る? ──ならば告白しましょう、勿論おりますよ、と。
 既にタイトルに書いてしまっているので、これ以上名を伏し、先延ばしをし続けるのも限界と思うので白状しちまうが、その者の名は平安名すみれ、という。『ラブライブ!スーパースター!!』の登場人物、Liella! の一員である。
 本編は次の日曜日の放送回で第10話を迎える性質上、彼女の人物像はほぼ視聴者の知るところとなっている。要約すれば、近所の神社の一人娘で、幼少期は子役としてメディアへの出演敬虔ありと雖も徒花に終わり、とはいえその経験と挫折感の裏返しかプライドが高く、その言動の端々に周囲を見下す様子が窺える、Liella! 加入前は竹下通りでスカウト待ちに明け暮れた、「ギャラクシー!」が口癖の人。──これが平安名すみれなる人物の横顔である。
 ショウ・ビジネスの世界に身を置き、スポットライトを浴び、顔と名前が不特定多数に知られる喜びを味わい、長じて後も未練を抱いているすみれに、わたくしは同類の匂いを感じてしまう。ああした世界で知った快感は、なかなか忘れられるものではない。病みつきになってしまうのだ。いちどその味を知った快感を求めてやまぬ状態は、ドラッグやセックスにも相通ずるものがある、と、そう断言してよいだろう。すみれが希求してやまぬ「ショウ・ビジネスの世界でもういちど」は、つまるところそうした気持ちの表れである。
 過去に経験した法悦から逃げきれていない彼女に同類の匂いを嗅いでしまう、といま書いた。わたくしは、その一点に於いてのみ平安名すみれという人物を好く。言い換えればそれ以外の点は「NG」ということだ。
 ……それ以外の点、とは?
 そうね、たとえば場所を選ばず、誰彼構わず見下したり、噛みつくようなその態度。16才という年齢(09月28日生まれ)を考えれば現実の世界にもああした態度を取る蓮っ葉はいる。が、幾らアニメとはいえ、あれはチト異常だ。イジメをテーマにした作品ならすでにその顛末が見えているキャラクターだが、こちらはなんというても『ラブライブ!スーパースター!!』のメイン・キャラクターの1人で、Liella! のメンバーとなる人だ。斯様な人物は軒並みグループ加入後、マスコット的立ち位置を割り振られることになると、われらは過去のシリーズ作品を通じて知っている(敢えて実名は出さないが、パイセンとか堕天使とかね)。
 ──が、殊Liella! にかんしていえば、すみれをそんな立ち位置のキャラクターと捉えるのは、すこぶる抵抗を抱いてしまう。特別に理由はないが、そう言い切ることにブレーキがかかってしまうのだ。むしろ本作に於いて斯様な役割をあてがわれたのは、<異能の人>唐可可ではなかったか。そう考えるとすんなり納得できる部分なきにしも非ず、というか納得できる部分多々なのである。或いは、折衷策ではないが、その役割をすみれと可可2人で受け持っている、と考えることも可能だろう。エンディングの1コマや、第5話以後の掛け合いなど見ていると案外、こちらの見方の方が実態に近いかもしれない。
 現在『ラブライブ!スーパースター!!』は第9話まで放送済み。すみれが物語の進行に関わるようになってもう6話が経過している。この過程ですみれはどのような新しい顔を、われらに見せてくれただろうか。正直なところ、意外、とか、感心、とか、納得、とかいうような姿を目の当たりにした覚えはない。パイセンのように刺激剤となることもなければ、堕天使のような常識力を持つわけでもない、。その言動は初登場からいまに至るも変わることなく、イタイ人、である。
 ここで思い出すのは第7話の生徒会長選だ。正門前に(千砂都がバイトする)たこ焼き屋の車を持ってきて(持って来させ?)生徒たちにたこ焼き1パックを無料配布した結果、すみれは本命候補の葉月恋に130票差で大敗した。内訳は、葉月恋;110票、平安名すみれ;マイナス20票、である。
 たこ焼きのペナルティを含めての得票数だが、どちらへ転んでもすみれには勝ち目のない選挙だった。たこ焼きは追い打ちをかけたに過ぎない(すみれからたこ焼きのパックを受けとったときの音楽科の生徒の不快そうな表情を、思い出していただきたい)。票の総数と第8話での全校集会での生徒数が合わない疑問はさておき、ペナルティがなくてもすみれの有効票は精々が50票に満つかどうかで、票差はともかくとして敗北は必至であった──50票云々は普通科の1クラス全部とお義理票を上積みしてもこれぐらいであろう、という予想に基づいた数字である。
 ひらたくいえば、この数字がすみれの人望なのだ。第1話でスクールアイドルに誘われたときのかのんへの態度、第4話での駅への道を訊ねた通行人への態度がそのままクラスメイトへの態度とすれば、彼女に入れられた票は半分以上がお義理票と見做してよい。人望あり生徒会長に相応しいと衆目一致する澁谷かのんといっしょにスクールアイドル活動をしているから、人々は一票を彼女に投じたのだ。義理であって熟慮の末ではない。
 「なんでったらなんでなの!?」と結果を前に喚かれても、「いや、これが現実であり、結果はあなたのこれまでの言動が周囲にもたらした不快や嫌悪が裏返しになっただけで、いわば自業自得でしょ」としか言い様がない。元々人望のない者がいざ事を起こそう通して支持者を集めてまわっても、所詮は空振りに終わり、却って自分の不人気を思い知らされるだけと知れ。
 加えていえば同じ回、かのんが普通科生徒と教卓越しに話すシーンがあるが、かのんのサポーターのような顔ですみれは教卓の下に潜りこみ、かのんの台詞をいっしょになって考えていたが、相手に詰められて言葉を失い、加勢を求めて教卓の下を覗きこんだかのんから目をそらし、知らぬ存ぜぬを決めこんだ。この描写にはわたくしも言葉を失った。なんと好い加減な、と。そうして、わるい意味での感心もした。世渡りは上手そうだが、すぐに人が離れてゆくだろうな、この子からは、と。
 そも自分より立場が上の人、目上の人、年長者の前で腕組みしたり仁王立ちしていたりタメ口叩いているって、人としてどうなんだ。この子、常識がないな、とか、礼儀をご存じないのか、とか、天上天下唯我独尊を絵に描いた人だな、とすみれに感じるのは、まさにこうした描写に出喰わしたときなのである。斯く思うてしまうのがわたくしのさもしいサラリーマン根性のゆえばかりとは思いたくない。むしろ家庭でどう育てられたか、躾けられたか、ではないか。この、どう育てられたか、はこれまでのシリーズ作品でもそれを想像させる場面は幾らでも出てきた。
 翻って平安名すみれはどうであるか。地元に根附いた神社の娘であれば、手伝いなどで氏子の前に出ることあり、最低限異常の常識や礼儀は身に付きそうだが、どうも彼女を見ているとそんな気配は1ミリたりとも感じられない。厳しく見ているつもりはまったくない──にもかかわらず、なのだ。いずれにせよ、幼い頃から「ショウ・ビジネスの世界で生きてきた」ことが彼女の人間的成長を阻み、礼儀と常識を欠いた人に育ってしまったことは間違いなさそうである。
 ──平安名すみれは果たしてこの先、残りの4話でどのような行動を取るのか、どのようにグループへ貢献し、ショウ・ビジネス界での経験をグループへフィードバックしてゆくのか(そも彼女は当初、そんな期待を担わされていたはずだ。ex;第4話の可可の発言/但しお試し加入時)、或いは通常運転でいまと変わらずの存在であり続けるのだろうか。
 今後、すこしでもすみれを好きになれる要素、描写があるといいな。◆

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