第3178日目 〈『ラブライブ!スーパースター!!』第11話を観ました。〉 [『ラブライブ!スーパースター!!』]

 「えーっ!?」
 第11話を鑑賞し終えていの一番に口をついて出たのが、この叫びでした。かのんのトラウマ克服回であることは前稿にて予測し、大方の予想通りでもあったのですが、まさか、ねぇ……。いや、なにが、って、歌う会場のことですよ。
 本話のサブタイトルの一部になった「あの場所」が第1話にてかのんが気絶したあの場所、合唱コンクールの会場となった場所であったことは、予告映像を観れば一目瞭然でした。わたくしだけかもしれませんが、そこが渋谷区内にある公共ホールである、と思いこんでいた……『ラブライブ!スーパースター!!』の舞台となるエリア、NHKホールを想起させるステージの様子と席数、等々により、そんな風に思うてしまうのは無理からぬところであろう、というのがわが弁明。
 がっ! まさかあのステージが一公立小学校の講堂であろうとは!! うーん、想定外でありました。現実味とか荒唐無稽とか、そんな言葉を口にするつもりはありません。良くも悪くも予想を裏切る斜め上の設定であった、と嘆息するに留めます。
 さて、第11話「もう一度、あの場所で」は前述の通り、澁谷かのんのトラウマ再発及び克服回となりました。
 第3話で解消されたかに見えたかのんの<人前に立つと歌えない>という、一種の強迫観念とも取れる症状は、たしかに本話で可可がいうように、「かのんは可可とステージに立って歌いました。あのときから一度だって歌えなくなったことはありません」でした(08分19秒〜08分26秒)。しかし、それは歌うとき、誰かが一緒にいたから。誰かが一緒にいることでかのんは「独りではない」と自分に暗示をかけて、ステージに立ってきたのがこれまでのステージ活動だったのです。
 それを劇中で指摘したのは、嵐千砂都でした。「ラブライブ!」東京大会の課題が「独唱」と知ったLiella! の面々(かのんを除く4人)がいっせいにかのんを見た(12分10秒)のは、過去回で作詞も作曲もグループ名も押しつけたときとは異なって、偏にかのんの歌唱力を評価してのことであり、「Liella! が始まったのは、かのんちゃんがあのとき歌ったから。可可ちゃんの想いに応えたから。──かのんちゃん以外いない(よ、歌えるのは)」(12分29秒-12分45秒)と千砂都が背中を押して、それに可可や恋、すみれが頷き、かのんもそれに応える覚悟を決めたからでありました。
 でも、それだけではトラウマの解消にはつながらなかった。それにはあと数段のステップをのぼらなくてはならない、しかも自分の足で。
 子供の頃からかのんのそばにいて、例の合唱コンクール事件もその様子は客席で見ていたであろう千砂都。それだからこそ、他の3人に較べてかのんが抱えた闇の底深さを知っている。これまで歌えてこれたのがなぜか、その理由にも心当たりがある。そこで千砂都が取った行動は──よっしゃ、ここは嫁のワタシが一肌脱ぐか、って具合です。実際のところ、第6話「夢見ていた」がかのんが千砂都を支える回であったのに対して、第11話は千砂都がかのんのために動く回となり、その点で好一対のエピソードとなったように感じられます。
 こういうとき、誰かがそばにいてくれる、って幸せです。それまでのことを知っていて、見守ってくれていた誰かがそばにいることは、強みになります。励みになります。勇気を与えられます。誰にでもそういう人はいると思う。いないよそんな人、という人であっても、案外と自分が知らないだけだと思います。千砂都にとってのかのんがまさに斯様な存在であり、かのんにとっての千砂都がまさしくそうした存在だったのです。
 必然的に他の3人の描写が薄くなってしまったことは否めませんが、その分論旨がすっきりして、展開もスピード感あり、かつ相応に説得力を持った第11話であった、というのがわたくしの率直な感想であります。
 かのんが独り、ステージへ向かう直前の場面は、とても印象的なシーンでした。千砂都との電話を終えたかのんが子供時代の自分をそこに見、皆を励ましているけれどその実、あのときの自分も不安を抱えこんでいたことを思い出し、むかしの自分から最後の一歩を踏み出す力をもらって、ステージへ歩んでゆくシーンです。
 17分48秒から19分40秒の場面です。曰く、──
 千砂都;(スマホが鳴っている)ん? かのんちゃん?
 かのん;ちぃちゃん。
 千砂都;どうしたの?
 かのん;ありがとね。私、みんながいたから歌えてた。それで良いと思ってた。でも、それじゃ駄目なんだよね。誰かを支えたり、力になるためには、ちぃちゃんが頑張ったみたいに、1人でやり遂げなきゃいけないんだよね。
 千砂都;うん……それに、1人じゃない。
 かのん;え?
 千砂都;いるはずだよ、あの頃のかのんちゃんが。──歌を全世界に響かせようとしていた、かのんちゃんが。
 かのん;私が……?
 小学校時代のかのん;みんな!
 [かのん、振り向くと、合唱コンクール直前のかのんが、みんなを励ましている]
 小学校時代のかのん;大丈夫だよ。歌は怖くない。楽しいものだよ。歌うのはとっても楽しいものだよ。みんなが頑張って練習してこられたのは、歌うことが楽しかったからでしょ? だから歌おう! 楽しく!
 小学校時代の合唱部メンバー;うん!!
 [メンバー、ステージに向かう。小学校時代のかのん、途端に不安そうな表情になり]
 小学校時代のかのん;……怖い……
 かのん;あっ……
 小学校時代のかのん;なんでだろう、怖いよ。
 [かのん、小学校時代の自分に歩み寄って、その前にしゃがみこむ]
 かのん;そう……怖かったんだ、あのときも。
 [小学校時代の自分の頬を撫でるかのん。不安で震えている小学校時代のかのん]
 かのん;それでも私は……大丈夫。大好きなんでしょ、歌? えへっ。
 [震えるのをやめた小学校時代のかのん、ステージへ向かって歩いてゆく。それを見送るかのん。そのあとを追うようにステージへ出てゆく、高校生のかのん]
──以上。
 そんな過去の自分との向き合いと、<嫁>嵐千砂都の内助の功あって──そこには当然、秘かに可可たち3人を呼び出しての根回しがあり、かのんを1人でステージに立たせて歌わせる、という荒療治があったわけですが──澁谷かのんは再び、トラウマ発祥の地に降臨(いや、言葉が相応しくない、というのはじゅうぶん承知しているんだ)してその透明感と安定感のある、そよ風のように耳を撫でる歌声を響かせるのでした。
 余談とはなりますが19分27秒のかのんの表情は、笑顔は、もう国宝級であります。無形文化財に指定しようぜ。慈悲と愛情にあふれた顔ですよ。第1話の時点ではこんな顔、見られるとは思わなかっただけに、この表情を見たときは胸のなかがじわっ、と温かくなってゆくのを感じましたね。スクリーンショットを撮ったのはいうまでもありません(どやっ)。
 かのんの独唱を聴くのは第1話、第2話以来のことですが、ここでかのんが独り披露したのは「私のSymphony 〜澁谷かのんver,〜」(20分00秒〜21分35秒)。これはLiella! のデビュー・シングル「始まりは君の空」のカップリング曲でした。わたくしにはこのタイミングでかのんがこの曲を歌う、ということに、なにかしらシンボリックなものを感じました。
 現実世界に於いてはLiella! が最初の一歩を踏み出した曲の1つを、劇中では本当の意味でかのんが歌えるようになるきっかけの歌として採用する──それは完全に過去のトラウマを千砂都の後方支援を受けながら自分の足で克服したかのんの、歌うことの喜び、1人だけど1人じゃない幸せを代弁した歌であった。或る意味で本話に於ける「私のSymphony」は女神ムーサの来臨、もしくは復活を告げる歌であった、ということができ、敷衍すればLiella! をμ’sの再来と擬えることもできそうではありませんか……勿論、相当に大袈裟な譬えになっているのは否定しません。
 これはわたくしの短評となりますが、南ことり、渡辺曜、上原歩夢、という、重い幼馴染みの系譜に列なるがゆえに、闇堕ち不可避と目されていた嵐千砂都でしたが、これまでの放送を追ってきた限りそんな心配はなさそうです。比較してみてもずいぶんとそのあたりの感情はバランス良く配分している、という印象を受けます。先達の3人が特殊事例のような気もしますが、いずれにせよ、このあたりのことも含めて千砂都については1回、別稿で書く必要がやはりあるなぁ。
 むろん、最後の最後まで気を抜けない=楽観視できないのが花田氏の脚本でありますから予断は許しませんが、まぁ残り2話で千砂都のかのんへの想いが急転直下することはありますまい。逆にこれをやったら或る意味、シリーズ最深の爪痕を残す所業と申せましょう。ストレートに暴挙と捉えるか、偉業と揶揄するか、そんな場面に遭遇してみないとなにもいえませんが──。
 さて、どうしても書いておきたいことが、あともう1つ。……恋ちゃん、貴女、いったい部室のパソコンでなにを見たのです? サイト自体は「Ladies’s wear store」でしたが、まるで人を誘うかのように貼られた特大のバナー、そこには「禁断のセカイ」の文字が(04分33秒)。
 バナーに描かれたその魅惑的なイラストに、葉月恋も年頃の女の子らしく興味が湧いたのでしょうか。生徒会長という立場、学校創立者の娘、Liella! のメンバー、等々の公的な顔と制服を脱いだ16歳の女の子による秘密の花園への抗いきれぬ関心がせめぎ合ったのでしょう。が、その拮抗は後者の勝利に終わった。だんだんと鼻息荒くしてゆき、指先を伸ばす恋は、一線を越えてバナーをクリック。その先にある世界を覗いてしまった……。
 嗚呼、果たしてそこにはどんな世界が広がっていたのでしょう。理事長からの呼び出しに怯える程のコンテンツが、そこにはあったのでしょうか……千反田えるではありませんが、わたくし、気になって仕方ありません。
 それはそれとして、このときの青山なぎさの演技はとっても良いですね。「ラブライブ!スーパースター!! Liella! 生放送」でお馴染みとなったぶっ壊れぶり、ポンコツぶりが本編で堪能できる日が来るとは! 2021年4月10日の配信にて平安名すみれを演じるペイトン尚未が、「なぎちゃんがどんどんわからなくなってゆく」と嘆いておりましたが、それを踏まえていえば、葉月恋がだんだん歴代生徒会長の色に染まってきている、と喜びもし、悲しみもし、今後に期待したくもなり、でもそうなってほしくはないなぁ、と思うてみたり。複雑であります。
 03分54秒から05分03秒の場面です。曰く、──
 [教室]
 理事長(校内放送);スクールアイドル部の皆さんにお伝えします。スクールアイドル部の部員は放課後、理事長室に来てください。繰り返します。スクールアイドル部の部員は放課後、理事長室に来てください。
 かのん;ん?
 ナナミ;もしかして表彰!?
 ココノ;だと良いけど……なんだか怒っていた気も……
 千砂都;なんだろう?
 恋;……はっ!!
 [廊下、階段下]
 恋;わたくしのせいです……。
 かのん;恋ちゃん……
 すみれ;恋が? なにしたの?
 恋;実はこの前部室に入ったら──
 [恋の回想、部室] 
 恋;パソコンが点いていまして──
 [恋;もう……ん?(パソコンの画面似目をやる。「Ladies’s wear store」のサイト、「禁断のセカイ」のバナーに目を留める)
 恋;ああ……(頬を赤らめて画面の前に屈みこみ、凝視する)
 だんだんと恋の顔にズームアップしてゆく。同時に恋の鼻息が荒くなってゆき、唇が引き結ばれてゆく。遂に意を決してバナーをクリックする恋。途端、羞恥が弾けて短い悲鳴(きゃあっ)をあげる。机の前でうなだれる恋]
 恋;興味本位で、つい……生徒会長ともあろう者が、あんなものを……(階段下の柱から崩れ落ちる)失格です停学です退学ですわたくしの人生終わりです……
 かのん;いや、流石にそれはバレてないんじゃ
──以上。
 このあと理事長室に5人が赴き、恋の杞憂は誤解とわかり(誰かにどんなページを見たのか、訊いてほしかった……)、かのんと千砂都の卒業した小学校からステージの依頼が来ていることを知らされる、という流れになります。
 さて、次回第12話「Song for All」でいよいよLiella! は東京大会に進出し、「ラブライブ!」本選へとコマを進めてゆく様子。残りの話数から逆算して決勝へ進み、結果を出すまでの描写はされないかもしれない。『ラブライブ!サンシャイン!!』第1期のように地区予選、今回であれば東京大会ですが、そのステージでのパフォーマンスが描かれて、そこでなにかしらの結果を出すことが想定されます(23分45秒からの澁谷ファミリーの祝福の場面を見ても、その想像は容易に立つ……かのんのお父さんって思ったより、あの、頬がふっくらしていませんか? 在宅の職業柄、そうなっても仕方ないか……リアルだな)。
 『ラブライブ!サンシャイン!!』を引き合いに出したのは偶然に過ぎませんが、そうしたことで悪夢が同時に甦ってきたことを告白いたします。その悪夢は『ラブライブ!サンシャイン!!』第1期最終話、「ラブライブ!」東海大会の会場にて出来した。Aqoursは絶対にミスが許されない、認められない舞台で、極めて非常識なことをやらかした……即ち、規定時間無視の寸劇を始めたり、動物が会場の客席に堂々といたり、突然応援団が席を立ってステージ前を占拠、ブレードを振りまくる、といったぐあいの、十中八九、大会規定から逸脱して叩かれるのも納得な行為をやらかしたのでした。演出、というひと言で片附けられてよいものでは断じてありません。
 嗚呼、どうかスタッフ諸氏よ、過去の失敗から学んでいてくれ。あの演出がどれだけバッシングを受けたか、あの演出ゆえにどれだけの人が『ラブライブ!サンシャイン!!』を見限ったか、反省していてくれ。そんな演出に頼る程、また安易にその程度しか思いつかない程、あなた方の脳ミソは枯渇してしまっているわけではあるまい。『ラブライブ!サンシャイン!!』の失敗から学んでくれ、『ラブライブ!サンシャイン!!』と同じ轍は踏まないでくれ、と、わたくしはそれだけを望んでいます。
 ちと暴走しちまったが、残り1週となった『ラブライブ!スーパースター!!』を愉しもう! 愛してるよ!!◆

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