第3234日目 〈「マカバイ記 一」〈前夜〉〉 [マカバイ記・一(再々)]

 「マカバイ記・一」の再々読書ノートを始めます。今度は大丈夫、既に最後の第16章までノートは終わっていますから。あとは感想の執筆と細かな訂正を追っかけでこなしてゆくだけ。とはいえ、これがなかなか面倒臭い……もとい、細かい作業でね。てへ。
 かつて「第1830日目 〈旧約聖書続編の読書ブログは昨日で終わりです。ありがとうございました!〉」にてわたくしは、こんなことを書いておりました。曰く、「前者については時代背景や人物相関、地理の把握などが今一つだった感があるために」いま一度「一マカ」を読み直さなくてはならない、と。
 この思いから一昨年、「一マカ」再読を仕事帰りの東銀座で行ったのですが、第5章で作業を放棄。家人に病気が発見されて、手術を行わねばならぬことを告げられ、これまで当たり前のようにあった日常が根本から揺るがれる事態に直面。自分がその日常の維持と家人の見舞、病院の手続一切を行う必要が生じた。為、精神的にも時間的にもそんな呑気なことをしている場合ではない、と判断。ゆえの中断、放棄でありました……。
 それはさておき。
 「一マカ」〈前夜〉、であります。
 時代背景はこれまでも散々書いてきたので省略。ただ、マケドニアのアレクサンドロス大王が東征中にバビロンで客死すると後継者戦争が起こり、最終的にプトレマイオス朝エジプトとセレコウス朝シリアが地中海世界とオリエントの覇権を握り、ユダヤはプトレマイオス朝に、ついでセレコウス朝の勢力下に置かれて、特にこのセレコウス朝との摩擦が日に日に増大して、遂にアンティオコス4世がエルサレムの聖所を犯したことで最高潮に達し、その末にマカバイ戦争という民族独立運動が始まる、その頃からマケドニアの西の方では共和政ローマが台頭し、周囲の国家を吸収して版図を広げつつあった、──という流れだけ把握しておれば問題ないように思います。そうして「マカバイ記 一」はアンティオコス4世による聖所侵犯から事実上開幕する。
 とはいえ、それはあくまでユダヤを外面から見た歴史であります。では、当時、ユダヤ国内ではどのようなことが起こっていたか。この点は「マカバイ記 一」では詳述されないので、本稿にて概略ではありますが述べておくことに致します。
 「マカバイ記 二」という書物があります。キレネ人ヤソンの全5巻から成る浩瀚な書物をダイジェストした、という名目の書物ですが、これは「マカバイ記 二」の時代を別の視点で見、別の著者の筆で語ったものであります。キレネはエジプトの西、キレナイカ地方の首都として栄えた町。多くの離散ユダヤ人が住み、後にゴルゴタの丘へ向かうイエスの背負う十字架をいっしょに担ぐことになるシモンも、この町の出身でした(マタ27:32他)。
 「二マカ」は、「一マカ」が慎重に避けていたユダヤ人の神への信仰について、踏みこんだ見解を提示していることで神学の面から非常に益となる部分があり、乱暴ないい方ではありますが、「一マカ」を信仰面から補強する性格も有しているようにわたくしには思えます。
 この「二マカ」はシリアのアンテォコス4世がエルサムの聖所を犯すよりも前の時代の様子を、われらに伝えてくれています。
 大祭司オニアがエルサレム神殿を統括し、律法も機能していた平穏の時代でありました。この当時は諸国もエルサレムの礼拝に敬意を持って接し、最上の贈り物を献上して、神殿の栄光に寄与していた、といいます。それはセレコウス4世(アンティオコス3世の息子で、アンティオコス4世の兄弟)も例外ではありません。
 そこへ神殿総務の長シモンが神殿運営を巡ってオニアと意見を対立させた。シモンはコイレ・シリアとフェニキアの総督アポロニオスに口添えして、シリア軍のエルサレム入城をお膳立てする。エルサレムに派遣されたシリア軍は宰相ヘリオドロスに率いられていた。
 ヘリオドロスは大祭司オニアに、神殿に貯えられた金の供出を要求する。が、大祭司オニアはこれをが突っぱねる。ヘリオドロスは激怒し、神殿の宝庫に足を踏み入れた。が、「霊とすべての権威を支配する者のすさまじい出現」(二マカ3:24)に遭って、腰を抜かした。そうしてかれは首都アンティオキアへ退散した。
 その後もオニアとシモンの諍いは続いた。セレコウス4世が崩御し、代わってアンティオコス4世がシリアの王位に就いた。時を同じくしてオニアの弟ヤソンが卑劣な手段で大祭司職を奪取、アンティオコス4世の後ろ盾で正式に大祭司へ就任した。そうしてヤソンはただちに、ユダヤのヘレニズム化を強行した。エルサレムに精錬所を建てることもこのとき、決められる。
 が、ヤソンの大祭司時代は<三日天下>であった。シモンの兄弟メネラオスがアンティオコス4世に取り入ってヤソンを退け、自分が大祭司職に就くことに成功した。「彼には大祭司に値するものなど一かけらもなく、むしろ彼は残忍な暴君の激情と野蛮な気持ちだけの男にすぎなかった」(二マカ3:25)と、キレネ人ヤソン、「二マカ」著者は伝えている。結構ケチョンケチョンに貶されておりますな。
 このメネラオスが、オニア暗殺を計画し、実行させた。オニア暗殺を知って憤慨したエルサレム市内のユダヤ人はアンティオコス4世に直訴した。王も心の底からオニアの死を嘆き、暗殺に憤り、暗殺者に刑罰を下した。
 メネラオスはエルサレム市内に混乱をもたらした事件の首謀者として裁かれるも、すぐに釈放され、ますます悪行を重ねてゆく。最大の悪行は、アンティオコス4世をエルサレムの聖所へ手引きしたことだろう。王は傲慢と暴虐の限りを尽くしてユダヤ人の信仰を地に堕とし、メネラオスはその権威を後ろ盾にますます傲慢になった。
 が、そのメネラオスもアンティオコス4世の怒りを買い、処刑されたのである。怒りの誘発は、王の王なる神がアンティオコスに働きかけてもたらされた、と、キレネ人ヤソンと「二マカ」の著者は記す。
 また、ヤソンも、アンティオコス4世のユダヤ人弾圧が本格的に始まる直前に逃亡し、エジプトで客死したという。
 そうして「二マカ」はユダ・マカバイとシリア軍の戦いに主軸を移します。
 まぁ、思い切って要約してしまえばエルサレム神殿を主な舞台に、大祭司職を巡る争いと殺し合いが繰り返され、敬虔なるオニア以外は皆、行状に応じた(ときには同情に値すらせぬ)最期を遂げた、ということであります。
 ──これが、「二マカ」に基づく「一マカ」開幕前夜のユダヤ、エルサレムの状況であります。
 これとほぼ同じ時代にエジプトのアレクサンドリアで、聖書(旧約聖書)のギリシア語訳が作られました。世にいう<七十人訳聖書>であります。名称の由来は、70人の翻訳者を動員して為されたため、といいます。プトレマイオス2世の御代に成立したといいますから、即ち前285-246年の間。
 七十人訳聖書は非ユダヤ語圏に住まってギリシア語しか解さないユダヤ人が、律法の朗読を聞いて理解できるように、という目的が翻訳作業の端緒であった。
 「一マカ」に登場するユダヤ人──ユダ・マカバイやシモン、その父と兄弟、かれらと共に戦い、またエルサレムとその周辺地域に住まう人々はヘブライ語で朗読される聖書(就中律法)、アラム語で書かれた聖書を聞いても理解できたろうけれど、かれらと同じ時代に、他の地域に住むユダヤ人のなかには既にそれらの言語を解さずその地の言葉つまりギリシア語に馴れ親しみ、その言語しか話せぬ人らも当然、いた。
 離散ユダヤ人、と一言でここでは括ってしまいますが、そうしたユダヤ人を念頭に、会堂での朗読や教育のために、いまの自分たちが用いている言語──ギリシア語──で書かれた聖書が必要になったのであります。作業はプトレマイオス朝の権威の下で行われました。
 「70人の翻訳家が70週を費やして、ギリシア語へ翻訳した」のが七十人訳聖書ですが、実は事情は殊程簡単ではない。このあたりのことは改めて、予定している聖書翻訳史のエッセイで七十人訳聖書を取りあげる際に述べたく思います。
 1つだけ、この「70」という数字についてお話しますと、ユダヤ教で縁起の良い、また権威ある数字ということで採用された数字である可能性が高い。旧約聖書外典の1つ、「アリステアス書簡」にはイスラエル12部族から6人ずつ、翻訳者を出した旨記載があります。これを信じれば、翻訳作業にかかわった翻訳者は72人となり、加藤隆に拠れば「(70と72は)相互に交換可能な数字と見なされていた」(P520 『旧約聖書の誕生』ちくま学芸文庫 2011/12)由。
 とまれここで大事なのは、マカバイ戦争の序盤から集結までを描いた「マカバイ記 一」の時代に、異邦の地で、今日われらが旧約聖書と呼ぶものが初めて外国語に翻訳されて既にそれが成立しており、ギリシア語圏に住んでヘブライ語やアラム語を解さないユダヤ人の社会に流布していたこと、であります。加えて、イエスが教えの典拠とした聖書は、この七十人訳聖書であったそうです。
 ──以上、やや煩雑になってしまいましたが、「マカバイ記 一」の時代をユダヤ国内の動静と、併せてその時期に行われた聖書翻訳のお話を致しました。ごった煮のような状態になってしまい、申し訳ありません。
 本書、「一マカ」の成立時期はおよそ前100年頃、著者はサドカイ派もしくはそれに近い立場にあって地中海世界やオリエント地方の地理や情勢に詳しい人、執筆地は不明ながらシリア国内或いはアレクサドリアなどが推定できる、と申しあげるに留めます。といいますのもこのあたりに関しては、過去2回の「一マカ」〈前夜〉で書いたことと、さしたる変化をしていないためであります。
 それでは明日から1日1章の原則で、「マカバイ記 一」を読んでゆきましょう。◆

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