第3235日目 〈マカバイ記 一・第1章:〈アレキサンドロスとその後継者〉、〈アンティオコス・エピファネスの登場〉他with友情の死、について。〉 [マカバイ記・一(再々)]

 マカバイ記・一第1章です。

 一マカ1:1-9〈アレキサンドロスとその後継者〉
 前330年、マケドニアのアレクサンドロス大王が東征してアケメネス朝ペルシアを滅ぼし、ギリシアは地中海世界・オリエント地方の覇権国家となった。が、王が病歿するとたちまち世界は荒れ、後継者を自称する人たちが王座をめぐって争った。これを「ディアドコイ戦争」と呼ぶ。
 エルサレム、ユダヤを含むシリアにはセレコウス朝が、エジプト一帯にはプトレマイオス朝が、それぞれ樹立した。「部将たちは彼の死後、皆王冠をいただき、その子孫が多年にわたり跡を継ぎ、地には悪がはびこることとなった。」(一マカ1:9」
 「マカバイ記・一」はセレコウス朝の支配下で苦しみ、民族独立を掲げて戦ったユダヤ人の物語である。この時代のセレコウス朝シリアは、アンティオコス・エピファネス4世(在;前175-163年)を王に戴いていた。
 
 一マカ1:10-14〈アンティオコス・エピファネスの登場〉
 アンティオコス・エピファネス4世はセレコウス紀137年即ち前175年に即位した。「マカバイ記・一」はかれを「悪の元凶」と呼んだ(一マカ1:10)。
 その頃ユダヤでは律法に背き、異邦人と時には婚姻を進め、かれらの慣習に従う者たちが現れた。律法に背くユダヤ人はエルサレムに精錬所を作り、生後8日目に行う割礼の跡を消した。
 斯くしてかれらは、「聖なる契約を離れ、異邦人と軛を共にし、悪にその身を引き渡した」(一マカ1:15)のだった、

 一マカ1:16-28〈アンティオコスの遠征と神殿略奪〉
 シリア領内を掌中に収めたアンティオコス王はエジプト遠征を企て、軍を南進させた。プトレマイオス朝エジプトは敗走し、多数の死傷者を出した。シリア軍はエジプト各地の要塞都市を攻め落とし、兵たちの略奪が横行した。
 王は次の遠征先をイスラエルと定め、北西へ軍を動かした。セレコウス紀143年即ち前169年のことである。
 易々とエルサレムへ入城したアンティオコス王は不遜にも聖所へ入りこみ、そこに眠る数々の宝物を奪って帰国した。「彼は人々を殺戮し、高言を吐き続けていた。」(一マカ1:24)
 そのときの惨状を憂い、嘆いた歌に曰く、──
 「大地もその地に住む者を悼んで揺れ動き / ヤコブの全家は恥辱を身にまとった。」(一マカ1:28)

 一マカ1:29-35〈エルサレム再び汚される〉
 2年後、シリア政府から徴税官がユダの町々へ派遣された。一方で王はエルサレム郊外に陣を敷き、言葉巧みに都の人々を懐柔して見せた。かれらからの信頼を得たと見るや王はただちに軍隊を入城させ、城壁もろとも街を破壊し、火を放ち、男を殺め、女と子供は捕らえ、家畜を奪った。
 それが一段落するとシリア軍はエルサレムのなかに「いくつもの城壁を備えた巨大で強固な城壁を巡らして、要塞を築いた。彼らはそこに罪深い異邦人と律法に背く者どもを配置し、要塞内での勢力を強めた。」(一マカ1:33-34)
 この要塞には多くの食糧や武器が貯えられたばかりか、略奪した数々の戦利品までもが積みあげられ、「ユダヤ人にとっての大いなる罠となった」(一マカ1:35)のである。

 一マカ1:36-40〈都を嘆く歌〉
 要塞即ちシリアの出城にして監視塔となった建造物は、イスラエルには邪悪な敵の何物でもなかった。エルサレムは異邦人の住処となり、エルサレム在住ユダヤ人には故郷でありながら見知らぬ地同然となった。
 「エルサレムの栄誉は、嘲笑の的となった。 / かつての栄光に代わって、不名誉が満ちあふれ、 / エルサレムの尊厳は、悲しみに変わった。」(一マカ1:40)

 一マカ1:41-64〈アンティオコスのユダヤ教迫害〉
 王はシリア領内の町という町に、「これまでの慣習をすべて棄てよ」というお触れを出した。多くの異邦人が従った。そのなかには離散ユダヤ人もいた。かれらは自ら進んで王の宗教を受け入れ、偶像にいけにえを供え、安息日を汚したのである。
 続けて王はエルサレムとユダヤの町々に伝令を走らせ、これまでかれらが父祖以来の伝統として続けてきた祭礼や儀式を禁じ、律法で定められた安息日や祝日の規定を犯し、不浄の生き物を偶像にささげ、不浄に身を汚し、自らを忌むべき者とするよう命令した。背く者あらば即刻処刑されるとのことである。
 多くのユダヤ人が律法を焼き捨て、悪を行う人となった。民の監督官の許で、それは行われた。数少ない、先祖からの慣習を守るイスラエルは隠れて住まねばならなくなった。
 セレコウス紀145年即ち前167年、キスレウの月15日、アンティオコスは祭壇の上に「憎むべき破壊者」(一マカ1:54 即ちゼウス像)の像を建てた。ユダヤの町々には異教の祭壇が築かれた。棄てずに隠されていた律法の巻物は、発見され次第、破り、裂かれて火中に投じられた。契約の書を隠し持つ者、律法に従って生きる者は見附かり次第、容赦なく処刑されていった。
 「子供に割礼を受けさせた母親を王の命令で殺し、その乳飲み子を母親の首につるし、母親の家の者たちや割礼を施した者たちをも殺した。」(一マカ1:60-61)
 要するにアンティオコス・エピファネス4世はユダヤ教の迫害のみならず、それを理由にしたユダヤ教徒の虐殺をも実施して、冷酷にかの地を支配したのである。イスラエルは知らず神の怒りの下に置かれることとなった。
 ──が、それで信仰を棄てたり曲げたりしないユダヤ人も、いた。かれらは覚悟を固めて王の命令に背き、父祖以来の生活と祭礼と信仰を守った。そうした人々はエルサレムを逃れてユダヤの地のあちこちに住んだ。
 モデインに逃れたマタティアの一家も、そうした人たちである。

 紀元前323年、マケドニア出身のギリシア王、アレクサンドロスが遠征先のバビロンで崩御しました。残された王国の版図は非常に巨大で、世界史に最初に登場した世界帝国というても過言ではない。強大な権勢をも持った王でしたから、後継者争いは年を追うに従って熾烈を極め、また一筋縄ではゆかぬ泥縄の様相を呈してゆきました。
 それがディアドコイ戦争(後継者戦争)であります。暫定的には以下の3つが覇者として勝ち残りました。即ち、プトレマイオス朝エジプト、セレコウス朝シリア、アンティゴノス朝マケドニア(アンティパトロス朝マケドニアの版図をそのまま引き継ぐような形で成立)、であります。
 ディアドコイ戦争は小さな紛争が上記の王朝成立後も続きましたので、いつ終結した、ということがはっきりと申せません。ただ1つだけいえるのは、プトレマイオス朝もセレコウス朝も歴史の大きな波に呑まれて地上の地図から消滅してゆく命運にあったことでしょう。如何に強大な国家でも王位を巡る紛争は絶えずあり、加えて西方から台頭してきたローマの勢いに抗うことはできなかったためであります。
 本章はアレクサンドロス王崩御からディアドコイ戦争を経て、エルサレムのあるユダヤ地方がセレコウス朝の支配下に置かれ、時の為政者アンティオコス・エピファネス(アンティオコス4世)によるヘレニズム化がかつての都を侵食、祭壇にゼウス像が置かれるなどして民族の信仰が大いに揺らぎ、各地で小さな抵抗運動が始まろうとしているまでを、駆け足で語っております。
 アレクサンドロス王崩御から後継者戦争の勃発、経緯、3朝鼎立(シリア、エジプト、マケドニア)と滅亡まで、はいずれ書かねばならぬ題材ですが、そのための準備はまだできていない。為、ここでは立ち入ったお話を避けますが、では、旧約聖書に収まる最後の歴史書「エズラ記」と「ネヘミヤ記」の時代から「マカバイ記・一」までの間にどれぐらいの時間が流れたか、ぐらいは本稿の務めであるように思いますので、それだけ述べて本日は幕といたします。
 一言で申しあげますと、エズラとネヘミヤがペルシア帝国から派遣されてエルサレム再建の時代からアンティオコス4世の登場までは、約254年前後の時間が経過している、と考えられます。
 どこを起点とし、どこを終点とするか、で見方は変わってまいりましょうが、約254年前後とは以下の出来事が起こった年代を、単純に引き算したものであります。
 ネヘミヤがアルタクセルクセス王から2度目の命を承けてエルサレムにやって来た(とされる)前423年から、アンティオコス・エピファネスがエルサレムに入り、聖所へゼウス像を建てた冒瀆の前169年を引いた結果として、254年、といたしました。
 ネヘミヤの動向がはっきり摑めぬ以上は斯様に大雑把なことしかお伝えできません。254年という年数が余りに限定的である、ゆえに多少なりとも幅を持たせるべき、という声あらばそれに従うとしても前後10数年、もしくは四半世紀、というあたりで線引きするのが無難でしょう。
 但しこれは、旧約聖書の記述通り、エズラのあとにネヘミヤがエルサレムに来た、ということが最大前提となりますことを、ご了承ください。
 いずれにせよペルシアの衰退とマケドニアの台頭、アレクサンドロスの東征、ディアドコイ戦争による地中海世界・オリエント地方の分裂、内1つの王によるユダヤ民族弾圧が始まった、という大局的な流れに変わりはありませんので、約254年(或いは勿論その前後10数年もしくは四半世紀)という結果は妥当であるように思う次第です。
 なお、アンティオコス4世がエルサレムの聖所の祭壇に「憎むべき破壊者」を立てたセレコウス紀145年、キスレウの月15日とは前167年12月7日に該当する由(フランシスコ会訳聖書・一マカP1115註1-12)。



 渡部昇一の言葉をふとした拍子に思い出す。大人になると学生時代とは交友関係の質が異なってくる、という言葉を。そこには個々の経済事情が大きく関わってくる、という言葉も、一緒に。
 最初にそれを読んだのがどの本であったか記憶に定かでないが、『新・知的生活の方法 ものを考える人 考えない人』(三笠書房 1999/04)もしくは『知的余生の方法』(新潮選書 2010/11)のどちらかではあったろう。
 初っ端から横道にそれて恐縮だが(まぁ、いつものことですけれどね)、わたくしには渡部昇一の著作から離れていた時期がある。『ものを考える人 考えない人』は古本屋をほっつき歩いては渉猟していた終わりの頃に購い、『楽しい読書生活』(ビジネス社 2007/09)を新刊で書店の平台に積んであったのを見附けてその日に買ったのを弾みにしてふたたび氏の著作を──片っ端からではないにしても──読むようになったのははっきりしているから、そうね、都合8年程か。色々なことがあった時期である。
 それはさておき、交友関係の変化と、それに伴う経済の話だ。
 『新・知的生活の方法 ものを考える人 考えない人』で渡部氏は述べる。曰く、──
 「シビアな話になるが、お互いの経済レベルが同じ水準にないと、『遊ぶ人間関係』は成り立たないのではないだろうか。若いころであればまだしも、齢を取ってくるに従い、お互いの経済水準が『遊ぶ人間関係』を左右する。なぜなら、中年以後の遊ぶ関係には、お金を必要とするからである。一方が裕福であり、もう一方が余裕のない生活をしているのなら、およそ『遊ぶ人間関係』を成立させるのはむずかしい。」(P64-65)
──と。
 大人になるにつれて人は、収入に見合った相手と交わりを結んでゆくようになる、という、恐ろしくも悲しい事実の指摘である。
 初めて読んだのは20代の終わり頃。まだその指摘に「ふーん、そんなものか。俺はそうなりたくないな」と軽く思うが精々であった。が、あれから何十年か経ってみると、ずいぶんと人間関係の変化があったことに唖然とする。職場の人間関係が、一度退職すれば仮に復職したとしても維持されること不可能なのは自明の理。驚かされたのは、学生時代の友人知人の過半と交わりが絶えてなくなっていることだ。
 断っておくが、メールやSNS等で連絡を取り合っているけれど同窓会ぐらいでしか顔を合わせぬような人物のことをいうているのでは、ない。なにかと時間を作って談話する時間を設けていたような人たちのことである。
 いつの間にか、あれ程頻繁に会ったり連絡を取り合っていた人たちと、パタリ、と交わりが絶えた。どうしたことか? 家庭の事情や仕事で時間調整ができない、というのは除くとして? そこで「ああ……」と思い当たるのが、前述の渡部氏の指摘なのである。
 この年齢になれば、どうしても収入──経済状態に差異が生じてしまうのは致し方ないところである。あすこに行きたいな、あのお店で食べたいな、あんなことをしたいな。そんな希望が叶えられるかどうかは最終的に、相手の懐具合、経済事情によるのだ。
 ディナーの平均予算8,000円のお店が貴方の行きつけである。そこは非常に美味い料理と美味い酒を出す店で、スタッフのホスピタリティも申し分ない、立地も悪くない──路地裏に人知れず開いている、知る人ぞ知る店である。そのお店に貴方は長いこと親しくしている人物を連れて来たいと思うて、誘ってみた。最初は相手も、誘われたことで悪い気分にはならないだろう。が、予算を聞いた途端尻込みして、なにかと理由を付けて辞退するかもしれない。或いは実際にその店で食事をして会計もぶじ済ませたとしても、普段自分が立ち寄る店よりずっと高い店に誘われたことで相手と自分を比較して、次からは誘いを拒むようになるかもしれない。
 わたくしが実際に経験したことを例として挙げてみた。わたくしがどちらの側であったか、読者諸兄のご想像にお任せする。
 いずれにせよかれらの交友はこの日を境に一変して、だんだんと疎遠になり、やがては縁が切れるだろうこと、想像に難くない。これが、個々の経済事情が友情にヒビ入れる要因となるケースの1つだ。
 渡部氏は『知的余生の方法』でこうしたあたりを踏まえて、こう述べる。曰く、──
 「経済状態があまりにもかけ離れていると、友人関係を続けていくのは難しくなるものだと思う。」(P184)
──と。
 まさしく、である。たしかに、である。悲しいことにこれ、真実なのだ。もっと悲しいのは、そうしてヒビ入った友情が修復されることはない、という事実だろう。
 ちなみに氏は『知的余生の方法』の前後する部分で、年齢を重ねてゆくにつれて付き合いを続けてゆくことが難しくなる友人関係として、①基本的な考え方の違う人、②支払い能力に差のある人、③知的レヴェルの異なる人、を挙げる。学生時代からの友人であっても長じて後、このあたりに差が生じてくると付き合いが遠のいてゆくのは、わたくしもさんざん経験してきたことである。嗚呼……!!
 とはいえ現代は、これまでまったく未知であった人とSNSで容易につながれる時代でもある。そこに過去の積み重ねや会社のしがらみは当然なく、あるのはあくまで<自分が好きなもの>への情熱と知識だ。趣味を介してつながった人間関係であれば、案外と渡部氏が指摘する「友情の死」(P.G.ハマトン/渡部昇一、下谷和幸・訳『知的人間関係』P158 講談社学術文庫 1993/04)を避ける術は幾らでも転がっているのかもしれない。◆


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