第3236日目 〈マカバイ記 一・第2章:〈安息日の惨劇〉、〈抵抗の始まり〉他with渡部昇一『ドイツ留学記』他の復刊を求めます。〉 [マカバイ記・一(再々)]

 マカバイ記・一第2章です。

 一マカ2:1-28〈マタティアとその子ら〉
 エルサレム北西約30キロにある村、モデインにも、シリア王の迫害から逃れてきたユダヤ人がひっそり暮らしていた。
 マタティアとその子供たちも、そうしたユダヤ人の一家族であった。かれには息子が5人、いた。即ちヨハネ(通称ガディ)、シモン(通称タン)、ユダ(通称マカバイ)、エレアザル(通称アワラン)、ヨナタン(通称アワス)である。
 ユダとエルサレムで起こっている数多の暴虐について、マタティアは憤怒し、嘆いていた。「我らにまだ生きる望みがあるのだろうか」(一マカ2:13)と。
 或るとき、シリアの役人たちがモデインへ来て、ユダヤ人たちは広場に集められた。役人の目的は未だ律法に忠実なユダヤ人を改宗(実際は、背教)させることである。かれらはマタティアに、あなたは村の有力者だから、あなたからも父祖の信仰を捨てて王の宗教に鞍替えするよう説得してください、と頼んだ。
 が、マタティアはそれを拒んだ。「律法と掟を捨てるなど、論外です、わたしたちの宗教を離れて右や左に行けという王の命令に、従うつもりはありません。」(一マカ2:22)
 しかしモデインのユダヤ人のなかには、マタティアと考えを異にする者たちも、当然の如く存在していた。そうしたユダヤ人は役人の命令に従って、異教の祭壇にいけにえをささげた。
 憤ったマタティアは、件のユダヤ人とシリアの役人を斬り捨てた。そうして、異郷の祭壇を打ち壊した。マタティアは息子たちを従え、有志の者と共に山へ逃れていった。

 一マカ2:29-38〈安息日の惨劇〉
 時を同じくして、ユダヤの各地で義と公正を求めるユダヤ人たちが家族を連れて、荒れ野で暮らすようになっていた。この報せはエルサレムに駐屯するシリア軍にもたらされた。
 シリア軍は安息日を狙って、荒れ野のユダヤ人を襲撃した。ユダヤ人が安息日には一切の戦闘を行わない、と知っていたからである。
 ユダヤ人たちは律法遵守の立場から武力抵抗はせず、ただ滅びの道を行くことを選んだ。「我々は全員潔く死ぬ。お前たちが我々を不当に殺したことを大地が証言してくれよう。」(一マカ2:37)
 死傷者は1,000万人に上った、という。

 一マカ2:39-48〈抵抗の始まり〉
 安息日の惨劇を知ったマタティアは心から同胞の死を悼み、誓い合った。曰く、──
 「だれであれ、安息日に我々に対して戦いを挑んでくる者があれば、我々はこれと戦おう。我々は、隠れ場で殺された同胞のような殺され方は決してしまい。」(一マカ2:41)
──と。
 やがてマタティア勢にハシダイの一群が加わった。ハシダイはイスラエルでちょっとは知られた屈強の集団で、律法のためとあらば命を投げ出すことも厭わぬ勇気の持ち主であった。
 合流したのはハシダイだけではない。その他の、迫害から辛くも逃れた者、律法に忠実な者、父祖の信仰を守る者も、マタティア勢に加わったのである。
 かれらは力を合わせて、シリアに抵抗した。また、各地に散らばる、王の命令に従って背教した罪あるユダヤ人、律法を軽んじて律法から離れた生活を営むユダヤ人を、討ってまわった。「勝利への道を着々と手にして、異邦人や、王たちの手から律法を奪回し、勝利の角笛を罪人に渡すことはなかった」(一マカ2:47-48)のだった。

 一マカ2:49-70〈マタティアの遺言〉
 死期が迫ったマタティアは、息子たちに遺言した。曰く、──
 「お前たちは、律法をよりどころとして雄々しく強くあれ。律法によってこそお前たちは栄誉を受けるのだ。
 見よ、お前たちの兄弟シモンは知略にたけた男だ。いつも彼の言うことを聞け。シモンはお前たちの父となるであろう。
 ユダ・マカバイは若年のころから剛の者である。彼を軍の指揮者として仰げ。彼は諸国民との戦いを戦い抜くであろう。
 お前たちは、律法を実践する者全員を集め、民のために徹底的に復讐することを忘れるな。異邦人たちには徹底的に仕返しし、律法の定めを固く守れ。」(一マカ2:64-68)
──と。
 マタティアは歿した。モデインの先祖の墓所に遺体は埋葬された。全イスラエルがかれの死を嘆き、深い哀しみに包まれて、その死を悼んだという。セレコウス紀146年即ち前166年である。

 ハシダイは、律法主義の集団であります。一マカ7:13ではシリアとの和睦を提言するなど活動しておりますが、かれらの行動はその存在も含めて、(「一マカ」中では)だんだんと埋もれていった様子。実際に第7章以後、「一マカ」はハシダイについて言及することがない。
 が、かれらは、新約聖書で再登場を果たす──福音書にて、イエスを悩ませる律法学者として。
 この律法学者は会堂や家庭、学校で、律法を人々に教えて、民衆のなかに律法を定着させる役割を担いましたが、イエスは「律法の真意を見失って」(『新エッセンシャル聖書辞典』P1101 いのちのことば社 2006/11)いるとして非難を続けました。
 このハシダイ(ハシディーム/敬虔主義者)が新約聖書時代のファリサイ派、その源とされます。ファリサイ派もイエスを悩ませた集団でありますが、根っこが同じ律法主義、聖書解釈を仕事とする集団とあれば、律法学者、ファリサイ派とイエスの対立は避けられぬことだった、といわざるを得ません。
 なお、このファリサイ派から分裂した、或いは派生したと思われるのエッセネ派があります。死海写本で存在が明らかになったクムラン宗団は、このエッセネ派に属するグループとされている。エッセネ派はファリサイ派よりも厳格な律法主義の立場を取るとされ、特に荒れ野での厳しい修行や他から隔絶された場所での独立した生活の営み、財産共有制を採るなどで知られた一派であります。
 されどこのエッセネ派が新約聖書で言及されることはない。なぜか? そこに上手く答えているのが遠藤周作『イエスの生涯』(新潮文庫 1982/05)であります。非キリスト者であっても敬虔な気持ちにさせてくれる好著でありますので、是非一読願いたく思います。ここにはイエスとエッセネ派の関わりについても触れられております。先行研究の成果を踏まえた著者の筆致は非常に説得力を持ったものであります。



 講談社現代新書はどうして渡部昇一の『知的生活の方法』だけ残して、他をすべて絶版にしているんだろう? 『日本語のこころ』とか『英語の起源』はまぁ、推測できるとしても、『発想法』や『ドイツ留学記』(上下)が現役でないことには小首を傾げてしまう。いずれもいまの時代に十分通用する内容だけに、書店の棚に並んでいないことが無念でたまらない。1人でも多くの人に読んでほしいのに、手に入らないとはねぇ……。
 いま入手しようとすると、Amazonのマーケットプレイスなんかだと強気の金額設定をした状態の悪い物(『ドイツ留学記』は上巻、下巻、どちらかだけとかな)がずらり、と揃う。ヤフオク!でもメルカリでも滅多に出品されず、新古書店の店頭でも見掛けるのは何年かに一度程度。古書店でも事情は同じ。
 『ドイツ留学記』は下巻「このキリスト教的なる国」が先日、新装再刊されたけれど(『わが体験的キリスト教論』 ビジネス社 2021/10)、留学先での交流や学問、豊かなる自然を綴った青春のモニュメントともいうべき上巻がないと片手落ちの感は否めない。そう感じるのはおそらく、上下巻という本来の形を知っているからか。
 もはや難しくなってしまったかもしれないが、『ドイツ留学記』上下巻と『発想法』の復刊を希望します。買わないけれどね、持ってるから。でも、新しい世代に是非読んでほしい著作なのである。
 いずれ『発想法』と『ドイツ留学記』の感想文を書きましょう。◆


わが体験的キリスト教論

わが体験的キリスト教論

  • 作者: 渡部 昇一
  • 出版社/メーカー: ビジネス社
  • 発売日: 2021/10/22
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)




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