第3238日目 〈マカバイ記 一・第4章:〈アマウスの勝利〉、〈聖所の清め〉〉他with『LoveLive!Days ラブライブ!総合マガジン』を買いました/読みました。〉 [マカバイ記・一(再々)]

 マカバイ記・一第4章です。

 一マカ4:1-25〈アマウスの勝利〉
 敵将ゴルギアスは夜陰に乗じてユダ勢への奇襲を目論んだ。シリア軍は二分され、夜襲部隊をゴルギアスが率いて、ユダの宿営地目指して進軍した。
 敵の動きを察知したユダは宿営中のアマウス南方を離れて、警備が手薄になったアマウス北方のシリア軍本営を急襲、これに火をかけて宿営地に戻った。
 そうとは知らぬゴルギアスの夜襲部隊はユダ軍の宿営地に迫った。が、そこはもぬけの殻だったので周囲を捜索させた。──ユダの軍勢が戻ってきたのは、その最中である。
 ユダ軍の1人は、いまの状態では勝ち目がない、とひるんだ。戦帰りで兵は疲労し、武器も十全ではないから、と。が、ユダは疲れ果てているはずの兵を鼓舞して、戦馴れしたシリア軍に躍りかかった。
 不意を突かれてシリア軍は奮闘するもだんだんと劣勢になり、遂には敗走する事態に陥った。戦闘を放棄して逃げてゆくシリア兵を、ユダ軍はどこまでも追った。南はイドマヤの平野へ、西はゲゼルやヤムニア、アゾト、まで……。
 ──と、その様子をこっそり窺う一団があった。ゴルギアスの残存部隊である。かれらは目の前で展開される味方の敗走劇を見、また遠くには陣営に放たれた火の煙が空へ漂い昇を見て、ことごとく異国へと逃げ去っていった。
 ユダ勢は戦闘が終わると、倒れた敵兵から数多の戦利品を数多、奪ったのである。そのなかには金や銀、色鮮やかな布などもあった。

 一マカ4:26–35〈リシアスとの戦い〉
 敗走兵の一部はリシアスの許へ帰り着き、アマウス会戦の一部始終を報告した。
 リシアスはユダヤ殲滅計画の進捗が芳しくないことに歯がゆい思いをしていた。そこでかれは自ら出陣して対ユダヤ戦に臨むことに決めて、アンティオキアを出発した。セレコウス紀148年即ち前164年である。
 シリア軍は南進してイドマヤへ到着、ベトツルに陣を構えた。エルサレム南西、約22キロ程に位置する町である。
 10,000の兵を動員してもこの陣営を破ることができなかったユダは、祈りをささげて、然る後に再度、シリア軍を攻撃するため兵を率いて出陣、その勢いは非常に激しかった。
 「リシアスは、自分の軍勢が交替し、逆にユダの軍が士気をますます高め、生きるにせよ、死ぬにせよ、雄々しくふるまう覚悟のできているのを見て、アンティオキアに戻った。」(一マカ4:35)
 ──が、リシアスは諦めたのではない。次のユダヤ攻撃に備えて戻ったのである。

 一マカ4:36-61〈聖所の清め〉
 リシアス/シリア軍撤退を喜んだユダとかれの兄弟たち、志を同じうして戦ってきた者らは、一路シオンの山、エルサレムを目指して進んだ。
 聖所は荒れ果てていた。祭壇は汚れ、門は焼け落ち、中庭は草生し、祭司部屋は崩れ落ちている。ユダはエルサレムに残る敵兵征伐を兵に命じ、一方で、律法に忠実でなに一つ咎められるところのない、清廉な祭司たちを選んで、聖所清めの仕度に取りかかった。
 祭司たちはまず聖所を清め、汚れの石を不浄の場所へ移した。それから、──

 「汚されてしまった焼き尽くす献げ物のための祭壇の処置をめぐって協議し、それを引き倒すことが最善ということになった。異教徒がそれを汚したので、そのことで自分たちが非難されないためである。こうして彼らはその祭壇を引き倒した。
 そしてこの石を神殿の丘の適当な場所に置き、預言者が現れて、この石について指示を与えてくれるまで、そこに放置することにした。そして祭司たちは、律法に従って、自然のままの石を持って来て、以前のものに倣って新しい祭壇を築いた。
 こうして、聖所および神殿の内部を修復し、中庭を清めた。
 また聖なる祭具類を新しくし、燭台、香壇、供えのパンの机を神殿に運び入れ、香壇には香をたき、燭台には火をともして神殿内部を照らした。また机には供えのパンを置き、垂れ幕を垂らした。かくしてなすべきことはすべてなし終えた。」(一マカ4:44−51)
 そうして、その日は来た、──
 セレコウス紀148年即ち前164年、第9の月──キスレウの月──25日である。
 先祖の信仰をこの日まで棄てることなく生きてきた篤信のユダヤ人たちは聖所に集まり、律法に従って、焼き尽くす献げ物のための新しい祭壇に焼き尽くす献げ物を置き、3年前に異教徒が祭壇を汚したと同じ日にその祭壇を新たに奉献した。
 その後8日間にわたって祭壇の奉献を祝い、喜びを以て各種献げ物をささげ、荒れ果てた聖所の部屋を直し、門を飾り立てた。
 ふたたび聖所は民の喜びにあふれた。斯くして異邦人から承けた大いなる恥辱はここに晴らされたのである。
 「ユダとその兄弟たち、およびイスラエルの全会衆はこの祭壇奉献の日を、以後毎年同じ時期、キスレウの月の二十五日から八日間、喜びと楽しみをもって祝うことにした。」(一マカ4:59)
 ──これが今日までユダヤ教のなかで祝われる「ハヌカ」という祭りの起源である。──
 ユダはいつシリアを始めとする敵からの襲撃を受けてもよいように、高い城壁を築き、堅固な塔を建て、塔には兵を配し、シオンの山の防御を固め、同時にイドマヤ地方を警戒するためベトツルの守備も強化したのである。
 
 リシアスの部隊が一旦退いたのは、一歩も退かずに雄々しく戦うユダ・マカバイの統率力やかれに従う兵士たちの勇猛さに怯んでのことでは、なかったはずであります、むしろユダの戦術やユダヤ軍の戦いぶりをつぶさに目の当たりにしたことで、シリア軍の戦術、部隊の再編、兵の鍛錬、などなど対ユダヤ戦について色々考えるところあってのことでしょう。そんな風に考えて、本文を作ってみたのであります。
 本章以後、ユダヤとの戦いに於いてシリアもまた、此度のアマウス会戦での二の轍を踏まぬよう仕切り直して、互角の戦いを多く繰り広げているように見受けられます。
 もっとも、常に対ユダヤ戦に於いてシリアの主力部隊が投入された、とは考えるのはすこし困難でもありますので、たまたまユダヤ攻撃にあたったシリア軍が臆病神に吹かれた青虫の集団であっただけなのかもしれません。誰にも、肯定も否定もできぬ指摘をしてみました。
 聖所清めの仕度を始めたユダヤ祭司たち。作業を進めてゆくなかで、汚された焼き尽くす献げ物をささげる祭壇の処置について頭を悩ませたようであります。元より汚され方の程度が他と較べても尋常でなかったことから、結論としては取っ払うより他にはない。それは良いのです。むしろわたくしが、──
 わたくしがこの箇所を、今回改めて読んでいて立ち止まってしまったのは、果たして「最善」という訳語が本当に相応しいものであろうか? 「最善」とはいろいろ選択肢があるなかでいちばんその場に相応しい方法を採る、という意味であります。
 新共同訳では「最善」だが、では他の、「一マカ」翻訳ではどのような日本語が充てられているのだろう。引っ繰り返してみましたところ、フランシスコ会訳聖書では「妙案」とあり、最新訳である聖書協会共同訳でも同じ「妙案」の訳語が与えられております(関根正雄・編/・訳「第一マカベア書」[『旧約聖書外典』上巻所収 講談社文芸文庫 ]は本稿執筆時点で未見のため、参照できませんでした)。
 わたくし自身はフランシスコ会訳聖書と聖書協会共同訳の「妙案」に軍配を挙げる。
 この文章をじっくり読んでおりますと、「妙案」が焼き尽くす祭壇の撤去ではなく、後世の人々による自分たちの評価を気にしての言葉であることに気附かされます。いろいろ協議した、というのは「祭壇を撤去して新しいものを建てて清めるか、祭壇自体はそのまま残して清め直すか」だったのでありましょう。
 この協議はけっして目前の作業についてのみ侃々諤々しているのではなく、それを行うことで自分たちが後世のユダヤ教徒にどのようにいわれるか、も視野に入れての協議であったのだと、わたくしは思うのであります。そうしたなかから結局、「撤去して新たに清める」という結論が下されます──それを以て子孫に「ご先祖様、よくやった!!」とでもいってもらえることを期待してのことだっただろう。こう考えてくると、すくなくともわたくしには「最善」というなにやら目先の問題を解決するための手段の如き訳語よりは、上述の理由からフランシスコ会訳聖書と聖書協会共同訳の「妙案」てふ訳語を支持する者なのであります。
 さて、「一マカ」最初にして或る意味最大級のクライマックスが、既に本章で明らかとなってしまった。いうまでもなく、神殿の清めであります。これが本書幕開けになり、全16章という点も加味すれば、なんだかあっけなくここに着地してしまった感が、なきにしもあらずではないでしょうか。
 この再奉献が「ハヌカ」というユダヤ教のお祭りの源であります。旧約聖書或いは旧約聖書続編を読んでおりますと、ユダヤ民族は様々なお祭りをこの時代に催して、すくなくともその後何世紀かは存続したようだが、いまではすっかり廃れてしまったお祭りが少なくない。
 ユダヤの3大祭りといえば、仮庵祭、七週祭(「刈り入れ祭」とも)、過越祭(除酵祭)、でありますが、これらはまだ敬虔なユダヤ教徒の家では祝われております。他にも「エステル記」を起源とするプリムなどありますが、本章でユダたちが神殿再奉献したことを記念して、別名「光の祭り」と呼ばれるハヌカがユダヤ人の間で祝われるようになりました。
 ハヌカとはどのような祭りか、ミルトン・スタインバーグは著書『ユダヤ教の基本』(ミルトス 2012/04)でこう述べております。曰く、「昔、良心の自由のために戦ったマカベア家の勝利を思い出す日であり、人間の不屈の魂の象徴である」(P220)と。
 火の灯された蠟燭が8日間、消えることなく燃え続けた、という故事に倣ってハヌカも8日間、祝われる祭りであります。その故事は『タルムード』に載ります。『タルムード』はヘブライ語聖書(旧約聖書)と並ぶユダヤ教の聖典の1つで、口伝・伝承等を収めたユダヤ教徒の生活の規範、信仰の礎を担う書物。
 ではそのハヌカ、どう祝うのか、というお話ですが、これについてはニコラス・デ・ラーンジュが著書『ユダヤ教入門』(岩波書店 2002/02)で説明するところを、長くなりますが、引用して本稿の筆を擱きたく思います。曰く、──
 「これを祝う主なやり方は、石油ランプか蠟燭に灯りをともすことで、最初の晩には、一本、二日目の晩には二本、というふうに、八日目の晩に八本目を灯りがともされるまで続く。毎晩、一本余分に用意された「僕」の祈り(シャマシュ)が、実際の灯りをともすのに使われる。この時のためのランプや燭台(メノラーとかハヌキヤーとよばれる)が使われるが、これはしばしば奇想をこらしたデザインになっていて、暗闇の中に輝きをもたらすようにと窓辺におかれる。
 灯りをともすときには、特別な祈りを唱え、大変愛されている聖歌、マオズ・ツールを歌う。(中略)この時のための祝福の言葉を唱え、神が「この季節に奇跡を行ってくださった」ことをほめたたえる。
 大きくなった副次的風習の中に、子供がお金をプレゼントされ、4つのヘブライ文字が彫りこまれた小さな回転盤を使って賭けをするというものがあるが、このあいだ、親はカード遊びをする。ラートケ(ポテトのパンケーキ)、ドーナッツ、フリッターなどの揚げ物を食べる。」(P151-152)
──と。
 ハヌカが行われるキスレウの月とは11月から12月に相当し、年によって日程が異なりますが、今年2021年は11月28日夕方に始まり12月06日に終わったそうです。
 公益社団法人日本イスラエル親善協会のHPには「ユダヤ教のお祭「ハヌカ」って何?」と題して写真入りで現代のユダヤ人家庭が祝うハヌカの様子や、8基プラス1基のハヌカ用の燭台なども紹介されております。ご関心のある方は見てみるとよいと思います。



 『LoveLive!Days ラブライブ!総合マガジン』Vol-22を購入した。『ラブライブ!スーパースター!!』放送終了後はロス期間が続いて、『ラブライブ!』関連の情報を仕入れることからすっかり遠ざかっていた。
 従ってTwitterの、公式を核とするメディアからのツイート、或いはライバーのツイート・リツイートがTLに流れてきても素通りが専らだが、今回だけは立ち止まってじっくり確認せざるを得なかった。
 それが前述『LoveLive!Days ラブライブ!総合マガジン』Vol-22である。
 内容というよりは、表紙である。わたくしをピタッと立ち止まらせたのは。実際見ていただければわかるのだが、初めてのことではないか、公式の側から供給されたイラストで、シリーズ4作品の主人公が1枚絵に揃い踏みしたのは。穂乃果がいて、歩夢がいて、かのんがいて、千歌がいる。なんと神々しいイラストであるか!?
 エモい、とか、尊い、とか、そんな言葉では言い表せない。永遠に愛おしく、崇敬する。イコン、というがいちばん近いか。イコンとは、「聖像画」を意味する。
 『ラブライブ!』に興味ない人でも、この表紙を見てっ!! 買って、とは小声でひっそりお願いする。
 表紙イラストを用いたB1サイズのタペストリー、買おうかなぁ……いや、結構マジで悩んでいる。教育の賜物か、奥方様も好きになってくれたようなので、許してくれるのではないか……と踏んでいるのだが。◆


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  • 出版社/メーカー: ミルトス
  • 発売日: 2021/12/11
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  • 発売日: 2002/02/18
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