第3239日目 〈マカバイ記 一・第5章:〈隣接諸民族との戦い〉、〈ギレアドとガリラヤ在住のユダヤ人の危機〉他with渡部昇一の本を捜索中。〉 [マカバイ記・一(再々)]

 マカバイ記・一第5章です。

 一マカ5:1-8〈隣接諸民族との戦い〉
 シオンを取り巻く地域に暮らす異邦人たちは、ユダヤ人が祭壇を清め、聖所を新たに奉献したことに激怒し、ユダヤ人根絶を図って行動を起こした。
 ユダは、それら異邦人──イドマヤのエサウの子孫とバイアンの子孫に対して戦いに臨み、これを破った。ヤゼルとそれに属する村々を占領した。
 ヨルダン川東岸に住むアンモンの子孫との戦いには手こずった。その数は多く、力も強大で、指揮官はティモテオスという優れた武人だったからである。が、何度か戦闘が繰り返された末にユダは、打ち破ることができた。

 一マカ5:9–20〈ギレアドとガリラヤ在住のユダヤ人の危機〉
 ギレアド地方とガリラヤ地方のユダヤ人が迫害を受けていた。ギレアドとガリラヤはいずれも旧北王国イスラエルの領土にあり、ギレアドはヨルダン川東岸に接し、ガリラヤはゲネサル湖に面してやがてイエスの故郷となる地域である。そうしてギレアドの対ユダヤ勢力を率いるのは、前章にてアンモンの子孫らを指揮したティモテオスだった。
 ギレアドとガリラヤ双方から伝令が走り、エルサレムのユダの許へ窮状が伝えられた。かれらは援軍を求めていた。
 ユダは、兄シモンにガリラヤ地方の救援を頼み、自分は弟ヨナタンを連れてギレアド地方に出陣した。兵力はガリラヤ救援部隊に3,000,ギレアド救援部隊に8,000が割かれた。

 一マカ5:21-45〈シモンとユダ、同胞を救出〉
 ◌シモン
 ガリラヤ地方へ到達したシモン軍は異邦人との度重なる戦闘に勝利し、敗走する敵兵を地中海沿岸の町プトレマイオスまで追いつめて、これを倒した。
 そうしてガリラヤ地方とアルバタ地方のユダヤ人を救出して、かれらをユダヤ地方へと連れて帰った。

 ◌ユダ
 3日3晩、荒れ野を進んだユダ軍とナバタイ人が接触した。ナバタイ人はシリア・パレスティナ南方から東方に住む人たちである。かれらはギレアドのユダヤ人を襲った災厄を伝え、現状を報告した。ギレアドのユダヤ人は主要都市また他の町々に封じこめられ、明日にも敵は攻めこんで1日でかれらを滅ぼすであろう。
 ユダ軍は東に転じてギレアドの町ボソラを目指し、その夜のうちに敵を退け町を開放した。
 夜明け頃に到着した次の町では(この町の名前は「一マカ」に記載が無い)既に、敵が攻略に取りかかっていた。
 「(ユダは兵たちに)今日こそ我々の同胞のために戦え」(一マカ5:32)と鼓舞して進撃。異邦人はマカバイ率いる軍勢が来たのを見ると、たちまち態勢を乱して逃げ始めた。ユダ軍は敵に大打撃を与え、町を占領し、敵兵を殺し、戦利品を奪い、火をかけて、次の町へと向かった。
 カスフォ、マケド、ボゾル、その他ギレアドの町でもユダ軍は同様に戦い、殺し、略奪し、火をかけるなどして、それらの町を攻め落としてゆく。
 その頃シリアの将ティモテオスは部隊を再編成して、次の、ユダとの戦いに備えていた。ユダが現在、ギレアド地方に出陣して異邦人の脅威に曝されている同胞を助けて回っていると知ったティモテオスは、帰国する際通るであろうラフォンの町に向かって自陣を強いた。ラフォンは、(ガリラヤとギレアドを分かつ)ゲネサル湖へ注ぐ渓流の向こう側にある。渓流は雨後のせいもあって増水して、流れも激しかった。
 ユダ軍が接近してくる。ティモテオスは配下の指揮官たちに、「敵の方が先に川を渡ってくるなら、わが軍は太刀打ちできない、彼らの方が優位に立つことになるからだ、だがもし敵がちゅうちょして対岸に陣を敷くなら、そのときはこちらから川を渡り、敵を打ち負かそう」(一マカ5:40−41)といった。
 果たせるかな、ユダは渓流を、すべての兵を渡らせて、ティモテオスの軍勢を攻撃したのである。シリア勢は総崩れとなり、カルナイムの町の神域へ逃げこんだ。が、ユダ軍が神域に火を放ったので、逃げこんだ敵兵は皆、焼き殺された。カルナイムは陥落した。もはやユダヤの敵となる異邦人はなくなった。
 斯くしてユダは、ギレアド地方の同胞を引き連れて、ユダヤへの帰還の途に就いた。

 一マカ5:46−54〈エフロンでの破壊〉
 ユダ・マカバイの軍勢とギレアドからの避難民の一団は、エフロンの町の入り口に到着した。通過のための許可を願い出るも、エフロンの人々はそれを拒んだ。
 ユダはただちに戦闘の準備を始め、エフロンの町を一昼夜にわたって容赦なく攻撃し、これを陥落させた。エフロンの男子は残らずユダ勢の剣の下に血塗れとなって倒れ、「敵の屍を踏み越えて」(一マカ5:51)、揚々と町を通過していった。
 落伍しそうになる避難民を励ましながらヨルダン渡河して西岸に戻り、かれらは歓喜のうちにシオンへ帰還した。途中ひとりの犠牲者を出すこともなく帰還できた感謝に、焼き尽くす献げ物がささげられた。

 一マカ5:55−64〈ヨセフとアザリアの敗北〉
 シモンとユダの戦火の報を聞いて浮き足立った者が、いた。留守中の守備を任されていたザカリアの故ヨセフとアザリアである。
 かれらは(軽率にも)ヤムニアの町に駐屯するシリア軍を攻撃した。その地を当時守っていたシリア将はゴルギアスである。ヨセフとアザリアは返り討ちに遭い、ユダヤの国境まで追撃された──つまり、大敗北を喫したのである。
 というのもかれらは、イスラエルを救うべく使命を委ねられた一族に属する者ではなかったためである。一方でその使命を委ねられた一族に産まれたユダとシモンは、その武勇ゆえにすべての異邦人の間で栄誉を讃えられたのだった。

 一マカ5:65−68〈ユダ、南部と異国の地を撃つ〉
 その後もユダとその兄弟たちは異邦人との戦に明け暮れた。ヘブロン、アゾト、等々である。アゾトでは異教の祭壇を破壊し、かれらの神の像を焼き、略奪行為に明け暮れた。
 マリサの地では一部の祭司が功名心に駆られて戦場に出て、敗れるという無思慮かつ無分別な出来事があった。かれらもまた、イスラエルを救うべく使命を委ねられた者ではなかったのだ。

 第5章ではユダ・マカバイの異常性が垣間見られます。アンティオコス・エピファネス4世やヒトラー、スターリン、毛沢東、或いは太平洋戦争末期に沖縄に上陸し、B-29の編隊で本土を空襲、挙げ句に広島と長崎に原爆を投下して、市民をも大量虐殺した米軍の如き大量殺戮者のリストに名前を連ねても、なんの不思議もない。かれらとどこが異なるのでしょうか。
 わたくしは先達てこの疑問と憤りから、〈「第3218日目 虐殺系民族主義者の祖、ユダ・マカバイ?〉というエッセイを書きました併読いただけますと幸いです。
 ギレアド地方に同胞救援へ向かったあたりからその傾向は顕著になってきます。自分の意に添わぬ輩はただちに攻撃して、滅ぼして、戦利品と称して略奪行為を正当化する。戦闘指揮官としての能力は優秀でありましょうが、人間性に目を向けると、これはただのロクデナシ、ヒトデナシ、卑しさと傲慢と残忍が同居した愚人であります。民族独立運動の指導者、ハスモン朝成立の道を切り拓いた人、という業績なかりせば十把一絡げに切り棄てても構わぬ人物であります。むろん、これはわたくしの見解でありますので、他の方々が、たとえば読者諸兄が「いや、そんなことはないでしょう」というのであれば、まったく以てそれでも良いのです。
 ただ感じられてならぬのは、神殿再奉献をぶじ果たしたあとユダ・マカバイは、一時的ながらも目的を見失ってしまったのではないか、ということであります。
 シリア軍に自ら──敵が攻めてきたわけでもないのにこちらから喧嘩を売りに行くような愚かな行為は、流石にユダ・マカバイもできなかったろう。なにしろ相手は曲がりなりにも後継者戦争を勝ち抜いて現在の版図を得、エルサレム一帯を支配したプトレマイオス朝を撃退し、いまこの瞬間にも版図拡大の戦闘を展開しているであろう大国、シリアであります。もしシリアが全戦力をユダヤ討伐に割いたら、如何に優秀なる武将ユダ・マカバイと雖も一溜まりもないでしょう。これは見落とされがちなことですが、注視して然るべき点であると思います。
 とりあえずは現在の手持ち無沙汰の解消に、戦いの最中で覚えた血の臭い、敵が倒れるときの悲鳴や地面に落ちる音が忘れられなくなったユダが、溜まったストレスを発散させに異邦人を必要以上に攻めまくって、暴走して戦闘員・非戦闘員の別なく虐殺行為に耽った記録、と考えるのが、本章を読むにあたっていちばん無難な姿勢ではないか、と考えるのであります。記録に残ってしまっているだけに悪質、残虐だ、ともいえましょう。
 ギレアドから一人の犠牲者を出すことなくエルサレムに帰還できたことを感謝して焼き尽くす献げ物をささげる、というのも、普通に読めば首肯できることなのに、そんな風に読んでくると民族主義者の負の側面を見る思いがしてならぬのであります。
 まったく以てここでのユダ・マカバイによる虐殺行為は、アンティオコス4世よりも非道いといわざるを得ない。それが「正義」の名の下に行われているだけにタチが悪い、と思うのは一人わたくしだけでしょうか?
 なお、勇み足だったヨセフとアザリアを負かしたシリアの将ゴルギアスとは、第4章アマウス会戦にてシリア軍を指揮したゴルギアスと同一人物と考えて良い。そこでゴルギアスの戦死は伝えられていない。ならば同一人物とするのが自然でありましょう。



 渡部昇一の本にあったことで、どうしても思い出せないものがある。人間関係の整理について、触れた本があったはずだ。年賀状の整理かなにかをしていて、この人とはもう付き合いがないなぁ、と感じるところから始まり、或る程度の年齢になったら人間関係の整理も必要になるのではないか、と指摘する箇所である。
 これを数日前から探しているのだが、どうにも見附けることができていない。人間関係の整理、というだけなら『クオリティ・ライフの発想』(講談社文庫 1982/07)の「前書き」にあるが、どうも記憶と違うのでこれではあるまい。……おそらく、ではあるが。
 人間関係の整理、を読んで「ふぅん」と思うたのは、高校3年である。『クオリティ・ライフの発想』は相鉄線を途中下車した古本屋で買った。これも高3である。30代になるまではよく読み返した本だ。松下幸之助や昭和天皇のインテレクト、亡母との方言での会話、外山滋比古との対談など、覚えている箇所が目白押し。でも、「前書き」に人間関係の整理について触れるところがあることは覚えていなかった。
 ということは、件の指摘をわたくしが読んだのは、この文庫ではなかろう。では、どの本で? わからない。現在、該当書目を捜索中である。
 見附かったら、お話します。◆

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