第3359日目 〈エズラ記(ラテン語)第4章:〈天使の答え〉、〈人の思いと神の計画〉with労働とはなおざりにするべからざる<義>である。〉 [エズラ記(ラテン語)(再)]

 エズラ記(ラテン語)第4章、「第一の幻」2/3です。

 エズ・ラ4:1-21〈天使の答え〉
 この世の罪についてのわが問いに答えたのは、天使ウリエル(神の前に仕える4大天使の1人)であった。
 天使が曰く、これから3つの譬えを、お前の前に提示する。1つでも解き明かせたら、お前が見たい道を示そう。邪な心についても教えよう。これが譬えである、──
 炎の重さを量れ。
 風の大きさを測れ
 過ぎ去った歳月を取り戻せ。 
──どうだ、お前が解き明かせる譬えはあるか。
 頭を振るよりなかった。それは無理です、と私は答える。斯様なことが人間に出来ましょうか。 
 それを聞いて天使がいった。曰く、──
 「あなたは、生涯自分にかかわりをもつ事柄さえ知ることができないのだ。それなのにどうしてあなたの力量で、いと高き方の道を理解できよう。腐敗した世にさえ恐れおののく者が、どうして不滅なものを理解することができようか。」(エズ・ラ4:10-11)
 わたしはその言葉を聞いて、ひれ伏した。そうして、いった。即ち、──
 神を畏れぬ不信心な者たちのなかで、私は生きています。それが為に苦しんでいるのです。しかし、私にはわかりません、この苦しみがどこから来るのか、と。こうも答えなき悩みに苦しむならば、いっそのこと、生まれてこなければよかったのだ、と思うのです。(※)
──と、私は天使に嗟嘆した。
 天使が海と山が争う譬え話をした。その最後に、天使がこういった。曰く、地上に住む者は地上のことだけを理解し、天上のものは天上のことを理解する、と。咨、人智の及ばぬ領域に汝、立ち入るを欲する勿れ。

 エズ・ラ4:22-52〈人の思いと神の計画〉
 高遠な道について尋ねたわけではないのです、と私はいった。なぜ神はイスラエルを見捨てたのか、どうして自分を敬い畏れもしない民に御自分の民を渡されたのか、どうして先祖の律法は滅び、書き表された契約は失われたのか、それを知りたいだけなのです。われらへ与えられた御名のゆえに、神はなにをなさるおつもりなのでしょうか。
 天使がいった。曰く、──
 正しい者たちに約束されたことをこの世は実現できないだろう。既に悪の種は蒔かれている。刈り取りの時期はまだ訪れていない。悪の種は世々にあまたの不信仰を実らせた。しかし、まだ刈り取りの時期は訪れていない。脱穀の時が来るまで、悪の種は不信仰を実らせ続けるだろう。
 不安になって、わたしは尋ねた。地上の者たちの悪ゆえに、義人の収穫が妨げられているのでしょうか。
 これを聞くと、天使がこう答えた。曰く、──
 陰府の魂が住まう場所がある。そこは審判を受けた魂が、死に至るまでの間待たされる場所。義人もそこにいる。世の始まりから預けられていた人たちが返されるとき、お前が見たいと望んだことが示される。
 それはいつのことになりますか、と私は尋ねた。まだまだ先でしょうか、或いは間もなくでしょうか。その日まで私は生き永らえられるでしょうか。
 天使が答えた。それはまだ先のことである。その徴について答えることはできる。が、お前の寿命についてはなにも知らない。為に答えることができない。

 途端に黙示文学らしい内容へ入ってきました。
 「エズラ記(ラテン語)」は1つのテーマに関して行きつ戻りつする傾向を持ち、この天使とエズラの問答も以後、変奏曲となって論点をずらしたうえで繰り返されてゆく。だんだんと奥義に近附いてゆく興奮と伴って高まりゆく敬虔さが、本書にはあります。
 この点に関しては心の隅に留めて、今後しばらく続く「エズ・ラ」読書のなかで確認、更なる理解に努めたく存じます。
 なお、内輪話めきますが、本章のノートをお披露目できる状態(いまお読みいただいているものです)へ持ってゆくまでに、ずいぶんと時間を要してしまった。といいますのも、<読書百遍、意おのずから通ず>を、結果的には実践したが為です。
 というよりも、何度も何度も読まないと、「いったいなにを仰っているのか?」がわからんからです。ここが正念場と思い、聖書を読み返し、参考文献を開き(余り役立つものはなかった)、文章を細々弄って時間を過ごし、1日で片附く仕事を5日かけて、いまお読みいただいた本文を作成した次第であります。やれやれ。
 また、過去に何度もあったことですが、新共同訳で読んでてさっぱり文意の通じぬ箇所が本章にもあり、その理解のために、現時点で最新の翻訳となる聖書協会共同訳に頼ってようやっと合点がいった箇所があったことを、告白しておきます。文中、※の箇所がそうであります。



 人間よ、労働せよ。父よ、労働せよ。夫よ、労働せよ。労働によって血の回りは良くなり、隅々まで注意が行き届き、肉体と精神と知力が鍛えられ、人は豊かになれるのだ。労働は等しく与えられた<義>である。この賜物を等閑(なおざり)にすること勿れ。汗せぬ者に災いあれかし。◆

共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。