第3363日目 〈エズラ記(ラテン語)第9章2/2&第10章1/2;〈エズラの祈り〉他猫は嫌いだ、あっち行け。〉 [エズラ記(ラテン語)(再)]

 エズラ記(ラテン語)第9章2/2と第10章1/2、「第四の幻」です。

 第四の幻
 エズ・ラ9:26-9:37〈エズラの祈り〉
 天使に命じられた通り、私は、まだ人の手が入ったことのない野原へ行き、花を食べて7日を過ごした。7日目の夜、心がまた騒いだので、いと高き方へ祈って曰く、──
 われらが祖先がエジプトを出てカナン目指して荒れ野を彷徨っているとき、主よ、あなたはかれらの前に御姿を現しました。そうして律法をお授けになった。
 が、律法を受け取ったわれらの多くは滅びた。それを守ることがなかったからです。
 その一方で律法それ自体は滅びることなく今日まで伝えられてきました。なぜか。当たり前です。それはあなたの律法なのですから。
 「律法は滅びることなく、その栄光を保ち続けるのです。」(エズ・ラ9:37)
──と。

 エズ・ラ9:38-10:24〈泣く女の幻〉
 目をあげて右手の方を見やると、女が1人、うずくまって泣いていた。
 なぜ泣いているのか、と私は訊いた。
 女が答えた。
 わたしは結婚して30年間、子供を産めない体でした。しかし或るとき妊娠し、男の子を授かりました。息子は成長して嫁をもらう年齢となり、婚姻の仕度も調いました。なのに、いよいよ寝室に入ったとき息子は倒れて、そのまま息を引き取りました。町の人々が来て慰めてくれましたが、どうにも居たたまれなくなって遂に、家を抜け出してこの野原へ来たのです。この先一生わたしはなにも食べず、なにも飲まず、死ぬまでここで嘆き、祈り続けるつもりです。
 それを聞いて、私は怒った。
 この、すっとこどっこい奴が! あンたは女のなかでいちばんの愚か者だ。われらイスラエル皆の母、シオンの嘆きを聞け。彼女は自分の子供たちを全員失った。それゆえに嘆き、悲しみ、子供たちを想うて祈っている。なのにあなたは1人の子供を亡くしたぐらいでそうまで慟哭するか。
 「初めからすべての者は大地から生じ、これからも更に生ずるであろう。しかし、見よ、ほとんどすべての者は、滅びに向かって歩み、多くの者が滅びる。そうすると、どちらの方が深く悲しまねばならないのだろうか。一人のために嘆いているあなたよりも、このように多くの人々を失った大地ではないのか。」(エズ・ラ10:10-11)
 あンたは抗弁するだろう。しかしわたしは陣痛の苦しみを耐え、出産の痛みに耐えて、わが子をこの世へ送り出したのです。その子を失ったのです。これをどうして嘆き悲しまずにいられるのか、と。大地が多くの人々を失ったのは大地の法則に則ったまでではありませんか、と。
 私は答えた。
 そうだろうか? ならば私はこういおう。「あなたが苦しみながら子を産んだように、大地もそのようにして、初めからその実である人間を、大地の創造者のために産んだのだ。それゆえ今、あなたの嘆きを自分の中に納めて、あなたにふりかかった災いを力強く受け止めなさい。もしあなたが、神の定めを正しいと認めるなら、やがて時が来て再び子を与えられ、あなたは女の中でたたえられることになるだろう。」(エズ・ラ10:14-16)
 それでもあンたは、いいえわたしはここで死にます、と抗うに違いない。私はいおう。私の言葉を聞きなさい、私のいうことに耳を傾けなさい、と。シオンの失墜に思いを馳せ、エルサレムの痛みを思ってあンたの心の慰みとなさい。
 あンたも知っているだろう。エルサレムが如何に荒れ果てた都となったかを。至聖所は汚され、祭壇は打ち砕かれ、神殿は破壊された。神殿に満ちていた音楽、人の声、芳香、いずれも耐えてしまった。レビ人は捕虜となり、祭司は殺され、義人は連行されていった。幼子は捨てられ、若者は奴隷となり、強き者は弱き者となった。
 それ以上に最悪なのは、シオンに与えられていた証印のことである。神の栄光はシオンから取り除かれ、われらを憎む者の手に委ねられてしまった。
 こうした次第であるから、あンたは自分1人の悲しみをそれ程大きなものとは考えず、あンたの心からその悲しみを取り除くが良い。そうすれば神は再びあンたを顧みて、苦労をねぎらい、祝福をお授けくださることだろうよ。
 私は泣く女に、そういった。

 エズ・ラ10:25-10:59〈幻の説明〉
 すると、どうしたことか。うずくまって泣いていた女の顔が輝きはじめ、その姿は建設中の都の土台へ変貌した。私はすっかり怖くなって、天使ウリエルの名を呼んだ。
 すると、どうだろう。果たして天使ウリエルが私の前に現れて、いま見た光景の説き明かしをしてくれた。曰く、──
 お前が見て叱責して諭した女性こそがシオンである。女性は30年間子供を産めなかった、といったが、それはシオンに人が入植するまでの3,000年を意味するものである。ソロモン王が神殿を建設して奉献したことを以て子供が生まれたという。成長して子供が死んだ、とは、シオンが、エルサレムが、陥落したことを意味している。
 いと高き方はいま、お前にシオンの輝かしき姿を見せた。お前がシオンを想って泣き、祈ったからに他ならない。「いと高き方はあなたに多くの奥義を示されたのだ」(エズ・ラ10:38)
 お前はいま、幸いだ。他の多くの人々よりも、幸いである。お前は御許に呼ばれている人なのだから。
 ──明日の夜までここに留まっていなさい。そうすれば、いと高き方がこの世の終わりにしようと計画していることを、夢のなかの幻に見るだろう。

 信仰と律法は相対立する。〈エズラの祈り〉就中エズ・ラ9:32-37を読んでいると、そう強く感じます。
 主の律法なるがゆえにそれは不滅で、律法を与えられた人々の側に律法を守る心がなかったために却ってその人たちの方が滅びてしまった。それが「理」である。件の箇所が述べるのは、そういうことであります。
 では律法を守り、神の目に正しいと映る行いをして、生活をしてきた人みなが(終わりの時/裁きの日に)救われれるのか? 律法を守って義人とされる人でも救われない場合があるのなら、それに背を向けて現世の享楽、欲望充足に走る者が出てもふしぎではないのでは?
 ならば律法とは何物か。なぜ律法は神の定めたものであるのに、強制ともいえる立ち帰りの機能を有しないのか。
 このことは特にここでのみの問題提起ではなく、「創世記」の時代からイエスの処刑、その後の使徒やパウロたちの活動を経て、今日に至るまで教会や信徒たちの信仰の土壌に根ざして今後もゆめ解決することなき問題であろう、と思います。
 思い起こすべきは旧約聖書の神は<怒りの神>、<非情の神>である、ということであります。けっしてサラティエルがいうような憐れみの神、慈しみの神などではあるまいに……。



 猫嫌いの夫の蔵書に猫怪談アンソロジーがあるのを、奥方様がふしぎそうに見ている。東雅夫編『猫のまぼろし、猫のまどわし』(創元推理文庫 2018/08)、どうして買ったのか、わたくしもわからん。だって猫だぜ、猫。天敵じゃ。
 猫。鍋島の化猫騒動、TVドラマにも映画にも、アニメにもなった。彷徨いこんだ旅人が化猫にお湯をかけられて、かかった部分が猫になってしまうのは、なんというタイトルのものであったか。ちょっと思い出せない。耳まで裂けた口、つり上がったあの独特の目! 夜中に思い出したら眠れない。
 それが結構怖い作品だった記憶はしっかり残っている。猫嫌いの原因は他にもあるが、わが<アンチ・猫>のいちばんの根っこはおそらく、映像で観た化猫のおぞましさ、執念深さ、であったろう。否、猫は化けてあろうがなかろうが、執念深くておぞましい生き物だ。思い出しただけでも背筋が震える。若者よ、猫を苛めることなかれ。猫と遊ぶな、子供たち。
 まァ、いろいろな経緯があり、わたくしの猫嫌いは筋金入りである。道ですれ違うのも厭だ。ちょっとでも目が合ったら小さく叫んでしまう。夜中にどこからか猫の甘える声が聞こえても、卒倒しそうになる。猫をテーマにしたアンソロジーなど手にするのも怖い。いや、以ての外だ。
 それでいて、ポオも朔太郎も好みなんだから救い難い。上述のアンソロジーを柄にもなく購入したのは、朔太郎「猫町」に因んでブラックウッドと乱歩、珍しいところでつげ義春の作品が目次に並べ立てられていたことが、たぶん原因なのではないかな、と思う。池田蕉園「ああしんど」と上原虎重「佐賀の夜桜怪猫伝とその渡英」が初めての作家で、これらの作品も読んでいて面白かった。
 奥方様のご実家では猫を飼っている。で、この猫がわたくしに懐いたらしく覗うたびにすり寄ってくるのだ。膝のうえで丸くなって寝始められた日には、どうにかしてこれを遠島に追っ払いたくてソワソワしてしまう。が、奴は気持ちよさそうに眠っている。どうにかしてくれ、この生物。
 ボクハケッシテ猫ニ踊ラサレタリシナイ。猫ハ天敵ダ。犬の方がずっと好い。大型犬なら尚。◆


猫のまぼろし、猫のまどわし (創元推理文庫)

猫のまぼろし、猫のまどわし (創元推理文庫)

  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 2018/08/10
  • メディア: 文庫




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