第3417日目1/2 〈短編集の感想文を書く際の便利なツールはTwitterだった──『忠臣蔵傑作選』読了を目前にして。〉 [日々の思い・独り言]

 たまに読了ツイートをTwitterへ流している。短編集だと感想を1編1編ツイートする(ときもある)ので、あとでまとめるとそれなりの分量になっていて、われながら驚くことしばしばで。一昨年の夏に読んでいた福武文庫版『ドストエフスキー短編集』(上下)などがその典型だ。
 読書感想文の土台にしよう、と企んで(否、思い浮かんで)始めたのが最初だったか。それとも常の読了ツイートだったのが段々と発展して、斯く企んだのか。どちらであったにせよ、Twitterの字数制限に阻まれて、書いた感想を削り、言葉を換え、表現を改め、満足のゆくツイートに仕上がるまでは随分と苦労した──けれど、その作業は一方で愉しかったのも事実である。
 それは、一種の挑戦だった。自分の語彙や表現力を試される場でもあった。鍛える、なんて大仰な話ではないけれど、それに限りなく近いものはあった。1編読み終えたら読了ツイートを流すことを自分に課して、それを愚直に続けたから、投稿直前の推敲(字数調整とか言葉の変換とかね)も最後にはさしたる苦もなく済ませることが出来たような気がする。
 最終的にそれは「第2899日目 〈ドストエフスキーの短編集を読みました。〉」として結実した。読み返してやや読みにくい部分もあるけれど、こうやってまとめてしまうのも短編集読書の1つの方策か、と、われながら頷くところ大でした。
 そうしてドストエフスキー短編集の読了ツイートと同じことを、いま、『忠臣蔵傑作選』(縄田一夫・編 旺文社文庫 1986/12)で行っている。自分のツイートを点検してみると1編だけ、読了報告が洩れている作品があるけれど、まァ、それはいずれ本書の感想文を書く際に補填しよう。ちなみに、残る短編は1編、吉川英治「べんがら炬燵」である。
 アンソロジーを読んでいると、名の知られた大家の作物よりも埋もれてしまった作家の小説に心惹かれることがある。本書でいえば、大佛次郎や邦枝完二、林不忘などが前者(未読の吉川英治も、当然こちらの人だ)、湊邦三や笹本寅あたりが後者、といえるだろう。あくまで自分には、だ。
 ゆるゆると時間を見附けて断続的に読んできた結果、どうも大家と世間の捉える作家の作物には腹の底から「面白かった!」とか「読んで良かった!」とか、或いは「巧いなぁ!」と感服させられるものはなかったことを、ここで告白する。なにやら走り書きの殴り書き、という印象を受けるものが並んだのだ。編者の好みと読者の好みは乖離する──それを踏まえれば当たり前の感想だろうけれど、正直なところ、意外に感じたのでもある。
 大家、と呼ばれる人のなかで文句なしに「良かった!」と思えたのは、山手樹一郎の短編だけだったかなぁ。邦枝完二と大佛次郎はまるで肌に合わぬ。林不忘はボーダーライン。山田風太郎はチト気色の違う作品だから、これは別に扱うべきか(面白いんですよ、やっぱり)。
 湊邦三「元禄武士道」のユーモア、笹本寅「雪の子別れ」のヒューマニズム、いずれもわたくしは大好きだ。この人たちの他の作品を読んでみたい、と思うて探して回りたい程なのである──事情あっていまはできぬ。おそらくはこれからも、ずっと。
 こうしたことを取り混ぜつつ、感想文を書くときはTwitter投稿分とあわせて1編のそれと仕立てあげたいものであります。◆

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