第3467日目 〈ゴルバチョフ、逝く。〉 [日々の思い・独り言]

 元ソヴィエト連邦大統領ミハイル・ゴルバチョフが08月30日、モスクワ市内の病院で亡くなった。91歳。死因は公表されていない。が、COVID-19感染拡大を受けて医師の奨めもあり、病院に入院していた由。
 ゴルバチョフといえば1989年12月、米国との間で冷戦を終結させた功績をまず思い出す。米国とソ連の指導者が同じテーブルに着いて、和やかなムードで談笑している光景は、当時の、確か夜のNHKニュースで流された、と記憶する。
 その後、ソヴィエト連邦は1991年のクーデターに端を発す政変で崩壊し、ロシア連邦が誕生した。ゴルバチョフは最初で最後のソ連大統領となったわけだが、その後も2004年05月、事実上の政界引退をした後も新党結成など、その改革意欲は衰えることがなかった様子である。
 プーチン大統領はゴルバチョフ逝去を承けて、「深い哀悼の意を表明した」そうだ。ベスコフ大統領補佐官が語った(インタファクス通信 毎日新聞09月01日1面)。が、それは形式上、儀礼上のことにしか過ぎまい。というのもプーチンはかねてより、「ソ連崩壊は20世紀最大の地政学的悲劇だ」と述べているからだ。いうまでもなく、ゴルバチョフの決断と実行を非難しての言葉である。かれだってソ連の消滅は望んでいなかったのに。
 プーチンが大統領の座に就いた際はそこに希望を感じていたようである。自分が成し遂げられなかった改革を実現させてくれる、とでも思ったのかもしれない。が、然に非ず。その後のロシアの動静は、現在のウクライナ侵略戦争も含めて、何年となくほぼ毎日報道されてきた通りだ。
 プーチンは冷戦の敗者のように受け取られた恨みを晴らすかのように、〈強いロシア〉の復活を目指している。コロナへの感染を避けてなるべく1人で過ごすようにしていたプーチンはその間、ロシア帝国時代の本を耽読していた、という(池上彰・保阪正康『歴史の予兆を読む』P22-23 朝日新書 2022/06)。その政治体制は時計の針を逆戻しして「共産党なきソ連の復活」といわれる。
 ゴルバチョフが掲げた理念は、プーチンには決して届くまい。



 ゴルバチョフの評価は海外で高く、国内で低い。国内に関してはどこまでが情報操作の賜物か知れないが、訃報に接したモスクワ市民の1人は「“功績”はソ連を崩壊させただけ」といったそうだ(東京新聞09月01日国際)。新聞各紙に紹介されるロシア国内の声は大同小異である。
 勿論、評価する人も少数派とはいえ存在するが、こうした否定的な意見が目立つのは正直、驚きだ。本気でソ連邦の崩壊を恨み、ソ連があのまま存続していたことを望んでいるのだろうか。それともこれは、日本でも第2次安倍政権にて喧しくいわれた〈歴史修正主義〉の教育と情報操作の賜物か──ロシア人に架空戦記物を読ませたら、狂喜乱舞するかもしれない。
 話を戻して、一方で海外からはバイデン米大統領が、ジョンソン英首相が、シュルツ独首相が、グテレス国連事務総長が、フォンデアライエン欧州委員長(EU連合)が、そうして日本からは岸田首相が、野党各党首が、それぞれ哀悼の意を表した。
 面白いのは日本共産党、穀田国対委員長のコメントだ。新聞に載ったのはコメントの一部だろうが、ちょっと紹介させていただきたい。曰く、──

 旧ソ連共産党の覇権主義を踏襲した人物で、日本共産党の論争相手だった。

──と。
 ちょうどタイミングよく、立花隆『日本共産党の研究』(全3巻 講談社文庫)や中北浩爾『日本共産党』(中公新書)を始めとしてコミンテルンまで遡って、日本とソ連の共産主義を中心に本を読んで勉強し始めたところなので、この発言が本来意味するところがなにか、未詳だ。
 が、その過程でより深く、ソ連/ロシアという歪で捉え所のない国について知ることもできるだろう。そうすれば、ゴルバチョフについても新たに知るところ、理解するところが出てきて、本稿の改訂や続稿に向かうこともできるだろう。

 故ミハイル・ゴルバチョフ(1931/03-2022/08)は1999年、白血病で亡くなった妻ライザ夫人の隣に埋葬される云々。◆

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