第3585日目 〈近世怪談試訳 「女房、女の孕みたる腹を焼き破る事」。〉 [近世怪談翻訳帖]

 摂州大阪に、富裕で知られる男があった。妻ある身でありながら別の女を深く想い、体を重ねること幾度もあったので、女が子を宿すのは当然の帰結といえた。
 それを知って黙っていられぬのが、男の妻だ。夫が家を空けた時、妻はかねてからの計略を実行に移した。不倫相手を呼び寄せて、狭い部屋に押しこめたのである。然る後、下僕数人を使って不倫相手の大きくなった腹に真っ赤になって湯気を立てる焼き鏝をあてて、肉をただれさせ、肉を溶かし、腸が見える程になった。不倫相手はもはや虫の息である。そんな不倫相手を母親のところへ返すため、男の妻は駕籠を呼んで追い返した。実家に到着して駕籠を降りると不倫相手はそのまま息絶えた。
 母親は嘆いた。大いに嘆いた。自分でもそれとわからぬまま遠近を彷徨い歩き、諸々の神社に詣で、喚き泣き叫んだ。物の怪が憑いたかのようにあちこち飛び跳ね回った。そうして、「わが子の仇を取ってください」と祈願した。或いは境内の樹木に釘を打ちつけて、残酷な手段で以て娘を死に至らしめた輩を呪った。そうやって様々な方法で相手を呪っているうちに、母も絶命した。
 その日以後、かの妻の許へ、不倫相手のその母の亡霊が毎日現れるようになった。やがて妻なる人は病気になって床に伏すようになり、譫言を口走り、だんだんと衰弱していった。終には、剃刀で自分の腹を裂き(切り破り)、絶命した。それからというもの、その家には不倫相手とその母の亡霊が取り憑いて、どんな祈祷をしても離れようとしないのだという。
 その家は然るべき身分の家でもあるので、詳細をここに書くことはできぬ。読者も、詳しくは知らない身であれば霊障を被ることもあるまい。ただ、因果の道理というものを世人に知らしめんとするだけである。かの男の妻が犯した咎を記して、その家への筆誅とするのではない。



 本稿は、『善悪報ばなし』巻三ノ三「女房、女の孕みたる腹を焼き破る事」の試訳であります。本来ならば決定稿をお披露目すべきですが、ちょっと訳があって、急遽お披露目とした次第です。
 昼間読んでいたときは思わずゾッとしたり、その因果応報の深さに寒気を覚えたものですが、こうして訳してみると……原典の空恐ろしさを毫も伝えられていないようで反省頻りであります。
 なお、最後の「されば人を損ずるは、我身を損ずる事をしらずして、自他の分別かたく、愛執の念慮深き習ひは、かへすがへす愚かに迷へる心なるべし」という一文は上の試訳では省いてあります。といいますのも、どうにもうまい訳文を捻り出せなかったからであります。ご寛恕下さい。
 『善悪報ばなし』は編著者不明、元禄年間開版の因果談集。翻訳の底本とした高田衛編『江戸怪談集 上』(岩波文庫 1989/01)解説に拠れば、「当時流行していた『御伽物語』などの、亜流を意図した出版とも考えられる。近世期の怪談が内容的に因果、因縁ばなしの傾向をつよめてゆく過程を観察できる怪談集だが、ハナシの精彩はかえって先行怪談集には及んでいない」(P397)とのこと。とはいえ、因果応報、人を呪わば穴二つを説いて聞かせるには打ってつけの教本に思えて、その点については楽しく読める作品ではないでしょうか。
 まだわたくしの心が怪談に向けられているうちに、本稿を推敲してお披露目したく思います。◆

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