第3633日目 〈萩原朔太郎『恋愛名歌集』を読みました。〉01/12 [日々の思い・独り言]

目次
零、朔太郎の事、『恋愛名歌集』を読むに至った事、及び本稿凡例のような物。←NOW!
一、朔太郎が『恋愛名歌集』「序言」で主張すること。
二、朔太郎、「解題一般」にて本書の意図を語る。
三、朔太郎の『万葉集』讃美は、時代のせいもあるか?(総論「『万葉集』について)
四、朔太郎、平安朝歌風を分析して曰く。(総論「奈良朝歌風と平安朝歌風」)
五、朔太郎、『古今集』をくさす。(総論「『古今集』について」)
六、朔太郎、六代集を評す。(総論「六代集と歌道盛衰史概観」)
七、朔太郎は『新古今集』を評価する。(総論「『新古今集』について)
八、恋歌よりも、旅の歌と海の歌?(万葉集)
九、朔太郎『古今集』選歌に触れてのわが所感(古今集)
十、総じて朔太郎は「六代集」を評価する者に非ず。(六代歌集)
十一、朔太郎の定家評に、いまの自分は深く首肯する。(新古今集)


 零、朔太郎の事、『恋愛名歌集』を読むに至った事、及び本稿凡例のような物。
 萩原朔太郎の略歴と仕事については、かれの著書『郷愁の詩人 与謝蕪村』解説が簡潔にまとめているので、そちらを引用したい。曰く、──

 萩原朔太郎(明治十九〈一八八六〉〜昭和十七〈一九四二〉)は、大正・昭和にかけて活躍した。やわらかな口語表現の中に深い近代の憂悶をうたい、また激しい文語表現によって人生の孤独感を表白した。群馬県の前橋市に生まれ、中学生のころから短歌をよくし、与謝野晶子の『みだれ髪』の影響を強く受けた。一時音楽家をこころざしたが成らず、短歌をいくつかの短歌雑誌に投稿し、大正二年には抒情小曲(叙情的な小詩篇)を作った。やがて本格的な詩に移り、詩集『月に吠える』(大正六)、『青猫』(大正十二)、『抒情小曲集』(大正十四)、『氷島』(昭和九)などによって、詩人としての地歩を得た。
 また、朔太郎は、詩論家であり、詩的なエッセイストでもあって、『詩論と感想』(昭和三年刊)、『詩の原理』(昭和三年刊)、『純正詩論』(昭和十年刊)、『詩人の使命』(昭和十二年刊)、『無からの抗争』(昭和十二年刊)、『日本への回帰』(昭和十三年刊)などの著書がある。アフォリズムと呼ばれる短文の批評形式にも本領を発揮し、『新しき欲情』(大正十一年刊)、『虚妄の正義』(昭和四年刊)、『絶望の逃走』(昭和十年刊)、『港にて』(昭和十五年刊)などにまとめられた。(P125-6 山下一海 岩波文庫 1988/11)

──と。
 付け加えるところがあるとすれば……数ある詩作はいまでも複数の出版社から文庫本、単行本の別なく選集として編まれて読み継がれている。小説も物しており短編「猫町」と「ウォーソン夫人の猫」は日本の幻想文学に深甚な影響を与え、殊前者はその後多くのエピゴーネンを生み出した。英国の作家ブラックウッドの同名短編との相似も指摘される。また、詩論、詩的エッセイについてはそこに本書『恋愛名歌集』を加えれば、より完璧に近い紹介となる。
 わたくしが『恋愛名歌集』を知ったのは、朔太郎の著書の解説や、或いは研究書等によってではない。誰かのエッセイで知ったのである。こんな意味のことが書かれていた。戦後間もない時分に萩原朔太郎『恋愛名歌集』を読んで短歌の魅力を知った云々。
 このフレーズがずっと心に引っ掛かっていた。古書店サイトで古本を買うのを覚えてから時々、『恋愛名歌集』を探したものだがその時々の事情によって買うを真面目に検討できず延ばし伸ばしになっていたところ、昨2022年、岩波文庫が生誕80年のアニヴァーサリー・イヤーの一環として刊行。すこしの間を置いて地元の大型書店で購入したのである。(2023/05/04 18:25)
 凡例めいたことも書いておく。
 以下、短歌の引用は原則として『恋愛名歌集』に基づくが、表記に関しては筆者の判断により『万葉集』は日本古典文学全集(小学館 旧版)に、『古今集』から『千載集』は岩波文庫に、『新古今集』は岩波文庫と新日本古典文学大系(岩波書店)に、それぞれ拠った。単にわたくしがそちらでずっと読んできたからである。他意はないし、あろう筈もない。但し一部私意によって漢字を開く、或いはその逆を行うた短歌もある旨お断りしておく。
 また、以下のメモ・感想は本書目次に従うものではない。「解題一般」で朔太郎が読者に望んだ読む順番──最初に「総論」を読み、次いで各週選歌の章を味読されよ──に、素直に従うたまでのことだ。
 長いメモ・感想の開幕には、ダレルの小説の、冒頭の一節が相応しい。それでは──それでは始めよう、幕間狂言(アゴーン)を。(2023/05/06 00:19)□

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