第3635日目 〈萩原朔太郎『恋愛名歌集』を読みました。〉03/12 [日々の思い・独り言]

目次
零、朔太郎の事、『恋愛名歌集』を読むに至った事、及び本稿凡例のような物。←FINISHED!
一、朔太郎が『恋愛名歌集』「序言」で主張すること。←FINISHED!
二、朔太郎、「解題一般」にて本書の意図を語る。←NOW!
三、朔太郎の『万葉集』讃美は、時代のせいもあるか?(総論「『万葉集』について)
四、朔太郎、平安朝歌風を分析して曰く。(総論「奈良朝歌風と平安朝歌風」)
五、朔太郎、『古今集』をくさす。(総論「『古今集』について」)
六、朔太郎、六代集を評す。(総論「六代集と歌道盛衰史概観」)
七、朔太郎は『新古今集』を評価する。(総論「『新古今集』について)
八、恋歌よりも、旅の歌と海の歌?(万葉集)
九、朔太郎『古今集』選歌に触れてのわが所感(古今集)
十、総じて朔太郎は「六代集」を評価する者に非ず。(六代歌集)
十一、朔太郎の定家評に、いまの自分は深く首肯する。(新古今集)


 二、朔太郎、「解題一般」にて本書の意図を語る。
 なぜ本書を『恋愛名歌集』と題したか。それは、日本の歌はその発生当初よりして恋歌の性質(機能)を持っていたからである。「歌垣」(※)がその性質、機能を有していた。
 歌が恋歌である以上、『万葉集』の7割が恋歌となり、八代集も実質は(叙景歌や羈旅歌などに見るべき、読むべき作物が少ない以上)恋歌集となるのは自明といえる。曰く、──

 けだし恋愛は感情中の感情であり、人間情緒の最も強い高熱であるからして、抒情詩における最も調子の高い者は、常に必ず恋愛詩に限られて居る。即ち恋愛詩は抒情詩のエスプリであり、いわば「抒情詩の中の抒情詩」である。しかるに日本の歌は純粋の短編抒情詩である故に、常にどの時代の歌集においても、恋愛歌が中枢機能となっているのは自然である。(P13)

──と。
 同じ「解題一般」で朔太郎は本書、就中総論で述べたることは、「歌壇識者間の平凡な常識にすぎないだろう」(P15)という。本音でそう思うているのか、かれなりの韜晦なのか、一寸判断はつかない。が、相応の自負は持っていたろう、と推測するに難くない。いずれにせよ、上引用したと同趣のことは(当時としては)なかなか新鮮に映るものだったのではないか。
 ここに続く『万葉集』と『古今和歌集』、六代集、『新古今和歌集』の選歌、評釈の比は、『万葉』最も少なく『古今』最も多い。意外の感に打たれるけれども理由は、こんにちの読者にとって『万葉集』が最も親しみやすく読みやすく、『古今集』はその反対であるから、という。このあたりにも後に述べたるこんにちの歌人が〈万葉回帰〉をしている理由と、背景がリンクしているように思う。
 序言でも総論でも再三(本稿もまた同じになるか?)触れる音韻、韻律について、幾首かについては音律を「例解し、韻律を分解して押韻図式を示し」(P14)た。たとえばP101,──

 浅茅生の小野の篠原しのぶれど あまりてなどか人の恋しき
(『後撰和歌集』巻九恋一 578 参議[源]等)

やP102,──

 名にしおはゞ逢坂山のさねかづら 人に知られて来るよしもがな
(『後撰和歌集』巻十一恋三 701 三条右大臣[藤原実方])

──などである。但し本稿では音韻、韻律、音律には触れないので、興味のある向きはこれを機として『恋愛名歌集』を繙いてみるとよい。
 「解題一般」にて朔太郎は一々の歌について作者等特に必要な場合を例外として省いた旨断っている。ここには注文をつけたい。当時の読者はこの点を不満と思わなかったのだろうか。文庫巻末に初句索引を付し、出典や作者を明記しているのは感謝するが、歌番号が『新編国歌大観』に拠っているのはどんなものなのだろう。岩波書店は唯一、『万葉集』と八代集の文庫と註解書を持つのだから、歌番号については『新編国歌大観』と新日本古典文学大系を並立するか、後者を基にするか、してほしかった。トンチキな希望であるとはじゅうぶん承知している。
 この件に関して一言述べれば、上の「名にしおはゞ」は『恋愛名歌集』索引の歌番号(つまり『新編国歌大観』の歌番号)は「700」、上の「701」は岩波文庫(底本;二条家本系統伝亀山天皇宸翰本)の歌番号である。

 ※歌垣
 古代、男女が集団で飲食歌舞しつつ、相互に歌いかけ歌い返す行事。本来は生涯の予祝行為であり、性の解放を伴っていた。春秋、特定の山や海浜、または市などで行われた。
 「よばひ」は性愛にかかわる言語活動であるが、個人的行為になっているのに対して、歌垣はひとしく等しく性愛にかかわる言語活動であっても、集団的行為になっている。
 時代が下がるにつれて、予祝行為としての意味は忘れられ、踏歌の影響を受けて都市における風流と化した。すなわち、天平六年(七三四)二月、宝亀元年(七七〇)三月に帝都で大規模な歌垣が催された。
〜『日本古典文学大辞典 簡約版』(岩波書店 1986/02)「歌垣」の項より抜粋 P160−161 臼田甚五郎;執筆。□

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