第3676日目 〈避難先のスタバにて、あれやこれやと綴ったあとで。〉 [日々の思い・独り言]

 昨日は病院三昧であった。脳梗塞の後遺症の程度を確かめ、併せて今後の治療に役立てるためのエコー検査を、紹介先(=かかりつけ)の病院の生理検査室で行うことは既に決まっていたので、他の病院案件もその日にまとめたのだ、という背景、経緯はあったとしても。
 とはいえ、夕刻にはそれも終わってしまった。その日の支払総額から目を背け、寄り道しながら辿り着いた先がいつものスタバ。これは偶然の作用ではない。足の指先が痛み(擦過傷)、腰と脇腹が張ったように痛み(お通じが数日ないことから、わたくしも消化器系の癌なのか、と[正直にいうと]疑っている)、遂にそれに耐えかねて、直近に位置する勝手知ったる”ここ”を避難所とさせていただいた次第である……。
 でも、そうはいうてもやることはいつもとあまり変わらない。Macを忘れ、読書ノートと対象本を持ってきていないとは雖も、本を読み、なにかを書く、てふルーチンは維持されるのである。モレスキンとペンケースと、なにかしらの本を1冊か2冊。これはいつもリュックに入れてある。為、ルーチンの維持が可能だったのだ。
 杉原泰雄『憲法読本 第4版』とミステリー文学資料館編『古書ミステリー倶楽部』を決まった分量終えた後、おもむろにモレスキンのラージサイズ方眼ノート(ハードカバー)を開いて綴ったのは、今後書く(と決定はしていないが書いておきたい)文章の題材、テーマ、小説の極めて大雑把なアウトライン、ブログ用原稿のちょっと詳しめの設計図である。
 最後の場合は、岩波ジュニア新書についてのそれだ。
 人生で最初に買った4冊の新書を覚えている。買った順番でいえば、『マザー・グースの唄』(平野敬一 中公新書)、『続 知的生活の方法』(渡部昇一 講談社現代新書)、『青春をどう生きるか』(加藤泰三 カッパブックス)、『ナウなヤング』(水玉螢之丞/杉元怜一 岩波ジュニア新書)、となる。4冊と中途半端な数になったのは、同じ頃に買っているはずが順番に関してはよく覚えていないのが数冊あるためだ。一例を挙げれば、『書斎の王様』(岩波書店編集部 岩波新書)、『アドルフ・ヒトラー』(村瀬興雄 中公新書)、などだ。高校時代に開拓した古本屋で新書をあれこれ物色して漁るようになるのは、それからもうしばらく経ってからのこと。
 先述した如く、わたくしの新書歴の最初から、岩波ジュニア新書はあった。ちなみに件の一冊は未だ架蔵して、この前久しぶりに書架から出して読んでみたらいまもむかしもあまり若者の生態に変わりが無いことに面白さを感じて、ついそのまま夜中まで読み耽ってしまった。昨日は偶々『憲法読本 第4版』てふ岩波ジュニア新書の定番書目を携えており、またその読書に手こずっていたことからまずエッセイのタイトルが思い浮かび、その流れでアウトラインを作ったり細々した部分について覚書を綴ったりしていたのだった。
 ──さて、かの痛みはいちおう治まった様子だ。一時的とはわかっているが、歩いて駅まで戻るに支障はない。夜の歩道をゆっくり進む。この時期は野球の試合数がめっきり減っているのが、良い。ちかごろは試合あとのベイスターズ・ファンはお行儀がすっかり悪くなったからな。とまれ、体に負担を掛けずにてくてく歩いてゆけるのはヨの幸い事の一つと申せよう……。
 明日から意図せぬ望まぬ四連休に、わたくしは入る。仕方ない。体をいたわりつつ無聊をかこちつつ、PCは遠ざけて、読書に耽るとしよう。
 ……あれ、ひょっとしていま(09/21)って、シルヴァー・ウィーク?◆

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