第3693日目 〈神保町の秋を愛す。〉 [日々の思い・独り言]

 つい数日前、〈東京には行かない。〉と仮にタイトルを付けた一稿を草してまだ内容が記憶に残っているうちから、多摩川を越えて中央線沿線の古本屋まで行ってきた。Webサイトから注文した、その古書店が自費出版及び委託の自費出版物穂を引き取りに、である。
 最近は(仕事以外で)滅多に東京へ行くことがないから、引き取りに行く、というのを口実に、帰ってくる途中神保町に寄り道しようかな、という魂胆が実はあった。もうこの十数年、ご無沙汰している神田古本まつりも会期真ん中のウィークデイとあれば人混みも緩和しているだろう、然程不快の目に遭うこともないだろう、と思いながら。
 そうして──於神保町。
 21世紀になろうとしている頃、三井不動産が神田一丁目南部地域の再開発組合と一緒に大規模造成を行い、現在その地に建つのが神保町三井ビルディングと東京パークタワー。当時販社にいた関係でわたくしも当時プロジェクトに参加し、M/S住戸引渡しまで携わったことがあった。
 そんな意味でわたくしも神保町一帯の再開発に関与した身だから、学生時代から神保町の古本屋街・中古レコード店・ご飯屋さん(含喫茶店)に出入りしてきた身であるゆえ、相半ばする感情を心の裡に飼うのだが、今日行ってみたら三省堂書店は勿論、さくら通りの角っこにあった巖南堂のビルも解体されて四囲は工事壁に囲まれて、これまでは自分の立っている場所からは見ることの不可能だった隣ビルの薄汚れた壁面や夕刻を迎える仕度を始めた東の空が眺められる。心が乾いてゆく。初めてここを訪れた高校二年生から時の流れが止まったかのようにずっとそこに在り続けた店舗が、建物ごとこの世から姿を消してしまった現実の光景には、ちょっと受け容れ難いものを感じる。
 街は変わってゆく。自明の理である。不動産会社の営業職を通して、自分も街の変化に手を貸した。生まれ故郷も20世紀最後の年に始まった大規模再開発によって往時の風景はほぼ一掃され、いまなおそれは微々と続いている。街は変わってゆく。厭になるくらい経験してきた。にもかかわらず、神保町はそうした時代の流れの要請からは無縁と思いこんでいた……。
 三省堂書店や巖南堂のビルばかりではない。白山通りとさくら通りがぶつかる角地にあったスーパーも、しばらく来ぬ間に取り壊されて、いまは時間貸しの駐車場である。すずらん通りに面した冨山房ビル(わたくしの学生時代にはここに冨山房書店という新刊書店があって、創土社のホフマン全集や冨山房百科文庫百科文庫など、よく拝ませてもらったことである)裏の路地にあった老舗タンゴ喫茶は書泉グランデと小宮山書店の間の道に面した洋装店の一階に移り、すずらん通りで長く営業している、店頭で売っていたピロシキが抜群に美味いロシア料理店は本日限りで閉店する。
 ──思えば靖国通り南側地域の街並みの変化は、神保町三井ビルディングと東京パークタワーの竣工から目に見えて始まった感がある。自分には勿論なんの責任もないんだろうけれど、この街に足繁く通って古本屋をハシゴして古書を購い様々勉強させてもらい、安くて美味いご飯をたらふく食べてお腹を満たすなど大きな恩恵を蒙った一方で、たとい仕事とは申せ不動産会社の社員としてこの街の景観や人の流れなど変貌するきっかけにかかわった後悔なのか罪悪感なのか、単なるセンチメンタルなのか、自分でもよく判断できないアンビバレントな気持を抱くのである。
 神田古本まつりの会場を去ろうとしたとき、歩道に並んだ古書店の平棚に懐かしい一冊を見附けて値札も検めることせず迷わず購入した。ありふれた文庫本だ。いまも新刊書店の棚にあるのではないか。
 ──ジャック・フィニイ『ゲイルズバーグの春を愛す』(福島正実・訳 ハヤカワ文庫FT 1980/11)である。◆

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