第3697日目 〈三門優祐・小野純一編『アーカム・ハウスの本』を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 アメリカ中部ウィスコンシン州ソーク市に、アーカムハウスという出版社がある。生前殆ど知られぬまま亡くなった怪奇小説作家、H.P.ラヴクラフトの著作を出版することを目的に、親しく文通していたうちの一人、オーガスト・ダーレスによって設立された出版社だ。
 少部数限定で、HPLの作品集以外は再版しない方針を貫いていたので、アーカムハウスの出版物は現在でも古書価が高く、その性質ゆえに時々ここの本を題材にした古書ミステリ、古書ホラーを見附けることができる。
 三門優祐・小野純一編『アーカム・ハウスの本』(盛林堂ミステリアス文庫 書肆盛林堂 2023/03)は書誌に特化して余計な説明を一切省いた潔い一冊である。購入想定読者にしてみれば、アーカムハウスとはどのような出版社であるか、百も承知のはずだからこの潔さも却って美点となる。
 が、もし本稿を目にして興味を持たれた(あまり怪奇幻想小説に関心を持ってこなかった)方があれば、図書館やwebサイト「日本の古本屋」で、那智史郎・宮壁定雄編『ウィアードテールズ 別巻』(国書刊行会 1988/02)を探してごらんなさい、とお伝えしたい。或いは、『ハヤカワ・ミステリ・マガジン』1973年7月号の仁賀克雄「アーカムハウスの住人たち ① オーガスト・ダーレス」をお読みになってみてください、とも。
 仁賀克雄氏といえば『アーカム・ハウスの本』小野純一「あとがきにかえて」に拠れば、本書刊行の萌芽はどうやら、生前の仁賀氏から依頼されて行った蔵書の査定にあったようである。
 前述の連載エッセイや著書の端々で言及されるところから窺えるように、氏の蔵書にはかなりの量のパルプマガジンやミステリ、怪奇幻想の洋書(なかには切り裂きジャックの資料となった書籍や資料もあったろう)があった。そのなかに、数十冊のアーカムハウスの刊行物がその一角を占めていた、というのである。ただそれらは、仁賀氏の希望に従って歿後、古書交換会で様々な古書店に落札された由。
 仁賀氏歿して5年後、というから、2022年のことであろう。古書店主でもある小野氏が買取りした本のなかにアーカムハウスの研究書があったことで、書誌刊行は具体的な計画となる。Re-ClaMの三門優祐に相談して協力を取り付け、万全を期すため新たに資料を取り寄せて成ったのが、本書『アーカム・ハウスの本』である。現時点ではおろか、少なくとも向こう15年くらいはこれに優るアーカムハウス書誌は現れまい。それくらいクオリティが高いのだ。
 ここまでアーカムハウス刊行物の書誌部分について、まるで触れずに来た。
 というのも、いったいどうやって、顔を合わせて膝突き合わせてワイワイやりながら語らうならともかく、こうして文章で、しかも特定分野に(いまは)特化していない本ブログで──つまり、関心ある人が感心ない/薄い読者が圧倒的に多いなかで、書誌の感想文をどうやって綴ってよいのか、未だに迷っているのが本音だ。
 書影や収録作品、刊年や出版部数、価格といったデータが、煩を厭わず細かく記述されている点は、とてもありがたい。よく作られた書誌は眺めているだけで何時間でも過ごせるのだ。こうした本の詳しいデータを眺めているだけでわたくしは蕩けるような幸福を感じる。と同時に、この200ページになんなんとする書誌の作成に打ちこんだ三門優祐氏の粘り強さと誠実さを思うて感謝と讃美を内心送って平伏する……。
 節目の年ごとに刊行されてきた社史や、ダーレス自著100冊到達を記念してこれまでの刊行物の情報を集めた『100 Book by August Derleth』(1962 P79)、同業作家・HPLスクールの作家たちによる『Lovecraft Remembered』(Peter Canon編 1998 P173-5)、Milt Thomas『Cave of a Thousand Tails』(2004 P181)あたりは、社史を除けば本書で初めてその存在を知った本で、非常に食指を動かされるものなので是非にも読んでみたいが、やはり入手は困難そうである。
 架蔵する本が載るのを見るのはマニヤックな性癖だろうが、むかしの北沢書店で購入したHPLのエッセイ集(初期習作も載る)『Miscellaneps Writings』(1995 P169-71)、アーカムハウス初期の刊行物であるJ.S.レ=ファニュの作品集『Green Tea and Other Ghost Stories』(1945 P29-30)などは幸運にもいまよりはまだ英語の読解力があった時分に手に入れて読んだ、幸せな想い出も存分に詰まった手放す気なんて毛頭無い一冊となっている。
 一方で、HPLの文業でいちばん好むのが書簡だったせいもあり、いつの日か全訳を──と執心していた時期に買い揃えた『Selected Letters』(全5巻 Vol,1;1965/P93, Vol,2;1968/P105, Vol,3;1971/P124, Vol,4&5;1976/P137)はもうすっかり読まなくなってしまったけれど、いまも架蔵するHPL関係の本と一緒に、和書洋書の別なく突っ込んだ棚の一段に納まっている。あのざらっとした手触りの、厚手の本文用紙の感触。なつかしいなぁ。
 巻頭の1939年から2010年までの年ごとの刊行リストと、巻末の著者別刊行リストが索引になっているのが嬉しい。地味ではあるが、このように配慮の行き届いた索引があるのとないのとでは、レファレンスブックとしての価値がまるで異なる──雲泥の差、なのである。『アーカム・ハウスの本』がどれだけ丁寧に、入念に作られたか、それはこの索引を見ればよくわかる。この利便性たるやなかなかに良し、という具合だ。索引を軽んずる或いは杜撰なレファレンスブックに生命力なし。商業出版であろうと自費出版であろうと、この原則は崩れまい。
 書誌は研究の要である。書誌は購書の礎である。書誌は研究や購書のサポート的存在ではない。書誌はそれ単独で一個の、独立した書物でなくてはならない。弘文荘のカタログが販売目録の域を超えていまなお書誌として一級品であり続けているのは、その記述に書誌作成者の見識と経験が裏打ちされているからに他ならない。『アーカム・ハウスの本』が底本としたLeon Nielsen『Arkham House Books A Collector’s Guide』と、資料としたS.T.Joshi『Eighty Years of Arkham House A History and Bibliography』は未見のため発言する資格はないが、『アーカム・ハウスの本』の仕上がり具合から判断して、上でわたくしが申し述べた書誌としての理念と資格はじゅうぶんに備えた本なのだと思う。
 叶うならば、これらの日本語訳と、大瀧啓裕がラヴクラフトの翻訳に取り掛かる際重宝したというダーレス著『アーカム・ハウスの三十年』(「これにはこの特異な出版社の沿革史だけではなく、同社及び姉妹社から刊行されたものすべての詳細なデータも記載されており、何を手に入れればよいかがはっきりわかった。」『翻訳家の蔵書』P160 東京創元社 2016/12)──『Thirty Years of Arkham House : 1939-1969』(1970 P111)──の日本語訳が実現したらと願わずにはおれない。勿論、海の物とも山の物とも知れない素人翻訳家ではなく、怪奇幻想の翻訳を手掛けたことのあるプロの翻訳家の手で。
 優れた書誌はどれだけ時代が進んで新たなものが生まれようとも、けっして古びたりはせず、いつのときでもスタンダード、ポラリスとしてあり続ける。かりに、新しいものが出てきたとしても、本書『アーカム・ハウスの本』はそんな位置を占める一冊であるだろう。◆

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