第3698日目 〈トルストイはどこに行った?〉 [日々の思い・独り言]

 ついこの間、ようやく時間が取れたので新刊書店へ久しぶりに行って、長いこと買うを先延ばしにしていた海外小説の残りの巻を、がつっ、と摑んでレジへ運びました。それなりの重さが指先で感じられる。それは一冊出るたびに買うことせず、その時その時の事情で諦めていた(優先順位を下げていた)、気持の重さでもありましたでしょう。
 とまれ、光文社古典新訳文庫から出ていて無事完結したトルストイ『戦争と平和』第四〜六巻を購い、帰り道の途中で寄ったスタバでぱらぱら目繰って閉店まで過ごしたのでした。そう、そのときはね、先の三巻は自宅にあると信じて疑わなかったんですよ。だって、数日前に並んだ背表紙を部屋の一角で目にしたばかりだもの。
 全六巻が揃った。未読か既読かさておくとしても、せっかく揃ったんだから並べてあげたいじゃないですか。で、後半三巻を摑んで部屋に行き、さて最初の三巻を山の中腹から引っ張り出して並べてみよう……と先日目にした場所へ視線を向ければ──あれ、なんでないんだ?
 いや、マジで姿を消していたんですよ。本って夜中人目を避けて勝手に増殖するだけでなく、居心地が悪くなったら挨拶も無しに引越までしちゃうんですかね? そんなアホな疑問が、本当に脳裏を過ぎったんです。
 もう遅い時間になっていたし、疲れた体で第一〜三巻まで探して本の山を崩すのもイヤだったので(面倒臭かったので)、そのままベッドへ直行した。けれど、奥方様の寝息を聞きながら横になっても考えているんですよね。どこに行ったんだろうか、どこへ姿を消したんだろうか、と。
 休日。つまり今日(今日って、いつの”今日”なんでしょうか?)。夕食の仕度まで時間がある午後の一刻、思い切ってアタリを付けた場所から本の山を崩し、道草を喰う場面もあったとはいえ、捜索の手を休めたりサボったりすることはなかった。ダンボールに仕舞いこんだ覚えだけは全くないので、必然的に捜索範囲は積ん読本山脈と棚の一段、二段に絞られる。
 ──が! 見附からないのです。
 二時間は要したでしょう。これ以上の捜索は意味なしと判断して、切り上げました。後日の再開も、ない。最後にかれらの姿を見てから捜索開始までの間、ダンボール二箱分の文庫を処分しているから、間違ってそのなかに入りこんでしまったのかもしれない。その疑念は否定できない。が、有るか無いかのそれ一作のために売却を一旦中止、荷物を戻してもらうのも難儀だ。
 もうこうなったら、アレだな、「探すより買った方が早い」だ。
 正直にいうと、まだ解説くらいしか読んでおらず本文には、さーっ、と目を通したに過ぎない。読んだ本を誤って処分してしまったときのダメージは大きいけれど、未読もしくはほぼ未読状態の本であればそれも大したことではない。すぐに癒えて、忘れる。
 というわけで、光文社古典新訳文庫版トルストイ『戦争と平和』、第一巻と第二巻そうして第三巻を新刊書店で、明日にでも買ってきます。
 いやぁ、しかし、参った。あるはずのものをあると思いこんで捜し回るって、こんなに疲れるもんなんだね。◆

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