第3705日目 〈クムラン宗団についての備忘録。〉 [日々の思い・独り言]

 最初にお断りしておかなくてはなりません。本日第3705日目はあくまで覚書の域を出ず、今後の執筆に向けたわが備忘録の役目しか持たない。従って引用が9割、自分の文章が残り1割という結果になるでしょう(結果は……以下本文参照──えへ)。読者諸兄はどうかその点を認識の上、本稿にお目通しいただければ幸いであります。



 死海写本は総称であり、クムラン写本はその一部を成す。クムラン写本とは、新約聖書に言及のないエッセネ派の信徒の集団が死海近くのクムランに移り、独自の教義と生活をした一派(クムラン宗団。クムラン教団とも)がパピルス紙に記した旧約聖書の写本である。クムラン宗団の根城たる修道院は死海の近くあった。
 エッセネ派は洗礼のヨハネ(バプテスマのヨハネ)が属したとされ、イエスも一時期同宗派の人々と生活を共にしたとされる。この宗派がどうして新約聖書のなかで一度も言及されないのか、理由は判然としない。種々の学説があるようであるが、ここではそれに触れない。
 カトリックの司祭で遠藤周作の盟友と謳われる片山洋治はその著『イエスに魅せられた男 ペトロの生涯』(日本基督教団出版局 1996/09)で、エッセネ派の起源についてこう述べている。曰く、──

 エッセネ派の起源については必ずしも明白ではないようであるが、紀元前二世紀にパレスチナをシリアのセレコウス朝の支配から独立させることに成功したマカベア家の指導者たちが王と大祭司を兼任したことに反発した一群の祭司たちが、エルサレムの神殿祭儀に反対し、荒野にひきこもったのがその起源であろうと考えられている。(P30)

──と。
 現時点でなお死海写本について最良の入門書であり、最善の解説書といえるのが、土岐健治『はじめての死海写本』(講談社現代新書 2003/11)だ。
 ここからエッセネ派とクムラン宗団の関係性について述べた箇所を引用する。曰く、──

 クムラン写本は、洞窟の近くの遺跡に住んでいた人々の所有していたものであり、前述のように、後六十八年にローマ軍がこの地域に侵攻した際、写本が敵の手に落ちるのを避けて近くの洞窟に隠されたもの、と一般に考えられる。
 この「クムラン宗団」と称される人々は、他の古代資料(巻末補遺参照)から「エッセネ派」という名前で知られる。ユダヤ教内の一グループに属しており(異論もある)、遺跡は、すでに述べたように、エッセネ派の「本部」とでもいうべき、一首の修道院的な施設であったと考えられてきた。(P90−1)

──と。
 上の文中にある「洞窟」は、死海北西部のクムランと呼ばれる一帯にある沢山の洞窟で、このうちの十一から1946−7年にかけて、三人のアラブ系遊牧民即ちベドウィンがクムラン写本を見附けた場所をいう。また、引用の際削るか迷った「(巻末補遺参照)」だが、エッセネ派に言及するヨセフス『ユダヤ戦記』やフィロン『自由論』等を指している。本書を読むときは、こちら巻末補遺も読み飛ばさぬようお願いしたい。
 クムラン写本に書き写された旧約聖書の文書とは、なにか。これは三系統に分かれるという。同じ土岐の著書からまとめれば、──
 一、「エステル記」を除く旧約聖書のヘブル語原典の写本と、「レビ記」と「ヨブ記」のアラム語訳、及びギリシア語訳。
 二、旧約聖書外典・偽典(一部)のアラム語訳、ヘブル語薬の本文。
 三、一にも二にも属さない、知られていなかった文書。クムラン宗団独自の文書が多い。
──となる。
 写本の執筆年代についてはまちまちであるが、概ね前一世紀前後であろう、と分析されている由。つまりハスモン朝もセレコウス朝シリアもローマの前に倒れて、パレスティナにローマ軍が駐留してかの地を版図に組み入れ、属州化していた時代だ。 
 ハスモン朝といえば、過去にも本ブログで読んだ「マカバイ記 一」と「マカバイ記 二」だ。ハスモン朝成立、ユダヤ人国家としてシリアから独立を果たすまでの通史は前者、「マカバイ記 一」が担う。クムラン宗団は、というかエッセネ派は、そのハスモン朝のやり方に抵抗して分離した宗派である(前掲片山引用文)。
 わたくしは未確認なので土岐の著書からの孫引きだが、クムラン写本のなかには(上の系統でいえば、三番目、になるか)ハスモン朝の或る人物を指して、「悪の祭司」と糾弾したものがあるそうだ。土岐はこの「悪の祭司」を、ハスモン朝の、殊に王と大祭司を兼ねたシモンである、と考える学説のあることを紹介する。
 シモンの事績は「マカバイ記 一」に載るが、エッセネ派のことは勿論、ここにも記載はない。ただ、エッセネ派の分離が事実シモンの指導者と大祭司職の兼任に対する「否」ならば、「一マカ」第14章にそのヒントは求められるかもしれない。
 ユダヤの民は、シモンの指導者、祭司としての活躍を耳にし、両方の職務遂行能力はじゅうぶんにあると判断した。それは「忠実な預言者の出現するまで」(一マカ14:41)という緩い条件附きではあったけれど、

 シモンが総司令官となって聖所の仕事に専念し、内政、外交、軍事および国防に従事する役人を任命する権限を与えられたこと、また彼が聖所の仕事に携わり、すべての民を掌握し、国内のすべての文書が彼の名において発行されるべきこと、また彼が紫の衣をまとい、黄金の飾りを身につけるのを許されたこと、などを耳にしたからである。
 民であれ祭司であれ、何人といえどもこれらのうちのいずれかを拒否したり、シモンの命令に反抗したり、彼の許可なしに国内で集会を催したり、紫の衣をまとったり、黄金の留め金をつけたりすることは、許されない。これらに違反したり、そのいずれかを拒否したりする者は罰せられる。」
 民全体は、これらの決議に従って、シモンに権限を与えることをよしとした。シモンはこれに同意し、大祭司職に就くこと、また総司令官となって、祭司たちを含むユダヤ民族の統治者となり、陣頭に立つことを快く承諾した。(一マカ14:42−47)

 こうした国内の熱狂と外国(ローマ)の後ろ盾に信仰の危機を覚えて、エッセネ派はユダヤ教のなかに留まりつつも距離を置くことを選び、死海北西部クムラン周辺地域に移って、独自のユダヤ教を突き詰めていこうとしたのではないか。──わたくしは、そう考える者である。むろん、学習の道を歩いている途中であるからこの考え、今後の知識の獲得と黙考により変わる可能性は否定できないことも、付け加えておく。
 中途半端、消化不良の側面は目を避けられぬ事実だが、悪まで備忘録であるのをもういちど強調して、擱筆する。◆


はじめての死海写本 (講談社現代新書)

はじめての死海写本 (講談社現代新書)

  • 作者: 土岐 健治
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2023/11/13
  • メディア: 新書



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