第3706日目 〈書けない書評、読書感想文。〉 [日々の思い・独り言]

 官能小説の書評、感想文、って、どうやって書けばええんやろか? ここ一ヵ月ばかり、頭を悩ませている。「書くぜっ!」とSNSで、軽い気持で発信したのが徐々に重くのし掛かってきた(誰彼から催促されたわけでもないが)。自業自得? そんなつもりはないんだけどなあ。
 大概の書評には、最低限認知された一定のフォーマットが存在して──大なり小なり個人差あると雖も──、官能小説もその例に洩れるものではない。が、その難しさはやはり他に比して格段である。
 「この一冊」の感想文のために、(ジャンル、レーベル不問で)「官能小説」と括られる作物群の書評から、ネット上に間々見られる素人感想文まで、目に触れたものを読んでみたが……うぅん、これはわが手に余る作業であるなあ、と嗟嘆するばかりである。
 お手本にできるような人が見附かればよいが、残念ながらそうした書き手に出合えない。『ダ・カーポ』誌に連載されていた、見開き二ページの新刊レヴューみたく書ければ、と思うが、あれは濡れ場のキモになる箇所の紹介が専らと記憶するから、参考にはならなさそう。
 官能小説専門の書評家というのは居るのだろうか。前述『ダ・カーポ』誌の連載を担当し、官能小説を切り口にした戦後史や絶頂表現の用例をまとめた著書を持つ、永田守弘くらいしか、わたくしには思い浮かばない。その永田氏とて必ずしも専門の書評家、というわけではないのだ……。
 個人のブログや、ノクターン・ノベルのようなアダルト小説投稿サイトで読める書評、感想は検索して見つかっても、今日までコンスタントに──一ヵ月に一本以上のレヴュー投稿がある、と定義する──新しい書評が読めるのは一つもなかった。何年も更新が止まって放置されている。そんな有り様だ。「書評の書き方」みたいな本やWebサイトはあっても、官能小説の取扱いは絶無か添え物程度。
 手本になるような書き手も、少なくともいまのわたくしには、いない。となれば──咨、やっぱり自己流で書くしかないのか。……あれ、要するに、いままで通りってこと?◆

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