第3707日目 〈スタバで、フラウィウスに目を通す。〉 [日々の思い・独り言]

 フラウィウスが来たんだぜ。日を置かずして、ちくま学芸文庫で読めるヨセフスの代表的著書二つが揃い、訳者によるヨセフス概説書も届いた(うち一つは店頭引取・支払)。タイミングよく、べらぼうでない価格でそれらすべてが出品されて運良く買うことができたのは、何年も購入を迷うてそのたび諦めた、それでも遂に勇を鼓して購うた男への、ささやかなる福音と思うことにしたい。
 なかなか時間の取れぬなかで試しに『ユダヤ古代誌』を、新共同訳聖書を傍らに置きながら開いてみる。ちくま学芸文庫版『ユダヤ古代誌』は前半三巻が旧約時代篇、後半三巻が新約時代篇という構成。時代区分を大まかにすれば、旧約時代篇は天地創造から族長時代・士師時代を経てイスラエル王国建設と王国分裂そうしてそれぞれの滅亡と旧約時代の終焉(列王記/歴代誌)まで、新約時代はセレコウス朝シリアのユダヤ支配とマカバイ戦争・ハスモン朝成立からヘロデ王の時代・「キリスト証言」・使徒時代を描いて第一次ユダヤ戦争前夜までを扱う。
 いま、外出中のわたくしの手許にあるのは、読書ノートブログでテキストとして持ち歩いていた新共同訳聖書と、『ユダヤ古代誌』第一巻から第三巻の計四冊だ。
 ざっと目を通しているに過ぎないが、『ユダヤ古代誌』は旧約聖書の語り直し(リトールド)に徹している。語り直し、というてもその記述は、たとえば、「創世記」を読み較べてみると、当たり前かもしれぬがヨセフスの方が描写はずっと細かい。それはアダムとエバのエデンの園の物語から顕著になり、モーセ曰く、という形でエデンの園の場所や周辺環境を説明し、またバベルの塔の物語についても、天頂へ届くかの如き塔を言語を同じうする一つの民族が築くに至ったその背景に、ノアのひ孫ニムロドの煽動があった、と語る。「創世記」でニムロドは、「クシュはまた、ニムロドをもうけた。ニムロドは地上で最初に勇士となった者である。彼は主の前において勇ましい狩人であった。それゆえこういうことわざがある。『主の前における勇ましい狩人ニムロドのようだ。』彼の王国の初めは、バベル、ウルク、アッカド、カルネで、シンアルの地にあった。」(創10:8-10)と紹介されている。こうした伝承が生まれる温床となったかもしれない。
 「創世記」後半のヤマ場となる「エジプトのヨセフ物語」も、原典同様にかなりの紙幅を用いて生彩豊かに描いている。もはや独立した短編小説と呼んでもよいような仕上がりだ。ヨセフが兄弟たちに自分の正体を明かす件など、ワーグナー《ローエングリン》第三幕の「ローエングリンの名乗り」を名ヘルデンテノールの美しく深みのある声で聴いたときのような感動さえ味わった──と書くと、笑われるだろうか? でも事実だから仕方ない。
 原典以上に詳細に語る、ドラマティックに語るのは、「申命記」の最後を飾る──というのは《モーセ五書》《律法》の最後を〆括ることでもある──モーセの死についても、ヨセフス時代の民衆の間で語られていたような民族伝承など取りこんで、報告している。曰く、「彼は比類のない有能な指揮艦であった。そして預言者としては文字通り古今独歩であり、人びとは彼の語ることのすべてを神の言葉を聞く思いで聞いたのである」(『ユダヤ古代誌』第一巻P430)と。ちなみに、「申命記」第34章は該当箇所をこう記す。曰く、「 イスラエルには、再びモーセのような預言者は現れなかった。主が顔と顔を合わせて彼を選び出されたのは、彼をエジプトの地に遣わして、ファラオとそのすべての家臣、およびその全土に対して、あらゆるしるしと奇跡を行うためであり、また、モーセがイスラエルのすべての人々の目の前で、力強い手と大いなる恐るべき業を行うためであった」(申34:10-12)と。
 わたくしが今日思い立って『ユダヤ古代誌』を持って家を出たのは、「レビ記」の内容をヨセフスはどう書いて処理しているか、に興味があったからだ。第一巻にそれは載っているが……原典よりわかりやすい! 15年前にこれを読んでいたら、難渋しなかっただろう。が、難渋したからこそ本ブログは始まったわけだから……なんというか、怪我の功名、ってやつ? まぁいいか。
 《モーセ五書》の再話に一巻を費やしたヨセフスは、続く第二巻で「ヨシュア記」から「サムエル記」を、第三巻で「列王記/歴代誌」を中心に「ダニエル書」と「エステル記」・「エズラ記」と「ネヘミヤ記」を再話する。こちらも第一巻とスタンスは同じで、ヨセフス時代の伝承や旧約聖書以外の史資料を採用しながら再話/再構成されたユダヤ民族史が読者に提示された。
 『ユダヤ古代誌』は聖書に次いでキリスト教社会では読まれた書物である、という。旧約聖書の理解を助ける、補うための側面資料としてのみならず、むしろ聖典同様かそれ以上の頻度で読み継がれてきた、という。中世のと或る修道院では受難節の間も読むことを許された唯一の書物であり、近代印刷術が発明されるとその黎明期にラテン語訳が印刷され、英米のピューリタン家庭では日曜午後に読書が許されるのが聖書とヨセフスの著作だった。訳者、秦剛平が自著『ヨセフス』の「はしがき」で述べている(P9 ちくま学芸文庫 2000/05)。
 ──本稿は、2023年11月14日20時58分から21時48分まで、殆どなにに頼ることもなく一気呵成に書きあげた物である。かなり走り書きとなったこともあり、これからちょくちょく折を見て加筆修正してゆくつもりだ。現時点で見出せるだろう多少の誤謬、瑕疵についてはお目こぼしいただきたく願う次第である。場所は、今日二軒目となったスタバである。◆

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