第3708日目 〈鹿島茂『成功する読書日記』を読みました。──読書日記/ノートの作り方。〉1/2 [日々の思い・独り言]

 読書ノートや読書日記の作り方、みたいな記事を見附けると、つい手を伸ばして読んでしまいます。なにか自分にフィードバックできる技術はないか、そんなことを期待してであります。
 鹿島茂『成功する読書日記』(文藝春秋 2002/10)を読んだのも、最初はそんな期待あってのことでした。読み始めてすぐに打ち砕かるとは、つゆとも思わず。

 最初に紹介されるのは、フランス留学中に知り合った学生です。この学生がわたくしには、南方熊楠のような人物と映ります。
 「その学生はたいへんなインテリで勉強家、おまけに博引傍証自由自在という恐るべき男」で、「一発でバカロレア(大学入学資格試験)にも合格できたし、エコール・ノルマルというグランド・ゼコール(大学以上の超エリート校)にも入学できた」。
 ──ここまではまぁ良しとしよう。外国の大学生の猛勉強ぶりは夙に知られたことでもありますから、これもその一例と捉えてよいのかもしれない。が、驚いたのは、この学生の勉強法。
 これだけの結果を残したのだから、さぞ本の沢山ある生活を送っているかと思えば、然に非ず。かれの「アパルトマンには蔵書というものがほとんどないのです」、「(鹿島が)なんで本が一冊もないんだと尋ねると、その学生は、自分は貧しい家庭に育ったので、リセにいたときから、本は図書館で借りて読むようにしていた。そのときの癖で、本を読んだら気になる箇所をノートに引用する習慣がついた」。「僕の蔵書は、リセの図書館や国立図書館で写したノート数十冊分の引用、これだけだ、と胸を張って」鹿島に語ったそう。引用はいずれもP23から。
 わたくしは最前、このフランスの学生を、南方熊楠みたいな人に映る、といいました。熊楠も相当数の文献を地元和歌山の素封家の蔵や大英博物館の図書室で読み漁り、ノートへ書き写した。そうして蓄えられた知識を基に多くの論文(エッセー)を日本語・英語で物して新聞雑誌に寄稿、新発見を含む粘菌の研究他に勤しみ、昭和天皇への御進講を行った、「博引傍証自由自在という恐るべき男」だったのです。この、熊楠が書き写したノートは一部が、和歌山県田辺市の南方熊楠顕彰館に収蔵されていると聞きます。ちなみに、熊楠を後年回想して昭和天皇は一首の短歌を詠まれました。和歌山県西牟婁郡白浜町にある南方熊楠記念館の敷地内にある歌碑に刻まれているという、その一首を引きましょう。

   雨にけぶる神島を見て紀伊の国 生みし南方熊楠を思う

 熊楠にしろフランスの学生にしろ、 東西の別なく学習の要諦(のひとつ)は”書き写す”ことにあり、と証明するような人物といえましょう。共に実績がそれを裏附けているだけに、否の声などあげられようはずもありません。
 が、鹿島はこのあとトドメを刺してくるのです。ひゃあ凄いなあ、と口をあんぐり開けているわれらに冷や水を浴びせかけてくるようなトドメの一文を、鹿島は書いているのです。「フランスではバカロレアやグランド・ゼコールの文系試験は、大作家の引用を散りばめた論文を書くことが要求されますので、こうした勉強法をしている学生は少なくないようです」(P23) ……もうびっくらぽんなんてふざけていっていられません。
 高等教育機関の学生になったからこそ、これまで以上に勉強に励まなくてはならない。単位を落とさぬ程度に講義へ顔を出しておれば、どうにか卒業できてしまう。時間があり余って仕方なく、その挙げ句犯罪に手を染めてしまう(知らず加担してしまう)。そんなケースが間々見られる日本の大学生とは雲泥の差と申せましょう。もはや両者は、別次元、別宇宙に存在している生命体に見えてきます。
 ここで思い出されるのは、以前本ブログでも話題にしたハーバード大学の学生たちの勉強量、読書量です。鹿島が紹介するフランスの学生と併せて見ると、超エリートにはそれだけの根拠といいますか、陰で積まれた努力とハードスタディがあったことに実感させられるのであります。
 ──鹿島は、このフランスの学生のエピソードを紹介したあと、具体的な読書日記(読書ノート)作成のアドヴァイスを述べてゆきます。
 が、残念ながらここでわたくしの、執筆に費やせる時間が尽きましたので、続きは明日とさせていただきます。また、本稿も疲れと集中力欠如と、昨日同様に時間に追われての流し書きになってしまったので、追々修正の筆など入れさせていただきます。◆

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