第3715日目 〈横田順彌『ヨコジュンの読書ノート』を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 まずお断りしておくと、正式な書名は『ヨコジュンの読書ノート 附:映画鑑賞ノート』である。厳密には「の」が丸で囲まれているのだけれど、そこまでの再現は無理なのでご了承願いたい。書肆盛林堂 2019年12月刊。
 北原尚彦の解説に拠れば本書のベースになった読書ノートは、1965(昭和39)年〜1967(昭和42年)、ヨコジュン氏高校三年生(の三学期)から大学在学中の時期に書かれている由。
 この時期の日本SF出版は(ミステリと然程変わらずで)黎明期というてしまえばそれまでであるが、とにかく読む選択肢は現在とは雲泥の差。所謂SF小説の古典が翻訳されてそのラインナップが揃い始めた時期でもあった──事実、ヨコジュン少年の読書ノートには、クラーク『幼年期の終わり』、アシモフ『われはロボット』、ハインライン『夏への扉』、シマック『中継ステーション』、シュート『渚にて』、などの書名が並ぶ。脚注の書誌(労作!)に頼れば、どうやら氏はこれらを熱々の新刊で手に入れ、片っ端から読み倒していった様子。むろん、なかには古本屋で購うたものもあっただろうが、出版事情を考えればこの充実ぶりはまさしくマニアの読書ノートの面目躍如といえるのではないか。
 ヨコジュン氏が読んでいたのは海外のSF小説ばかりでは勿論、ない。小松左京や筒井康隆、星新一、光瀬龍、海野十三、といった面子も並ぶ。なかには佐野洋、新田次郎、なんて名前も出て来て意外の感に打たれるが、氏は、SF小説と銘打たずともSFの要素を含む(と思われる)作品を見附けると読んでいた(P98 北原)、というからその一環か、と思うていたらこれがちゃんと「SF小説」として出版されていたのだから、二重に驚かざるを得ぬ。想像するにどの出版社も、時代の流れに取り残されぬようお抱えの作家にSF小説を書かせていた時期でもあったのだろう。「水準以上の作品だろうとは思う」(佐野『透明受胎』 P51)、「日本SF史の中では貴重な作品である」(新田『この子の父は宇宙線』 P52-3)というのが氏のコメントである。
 なかなか痛快なのが、佐野、新田と同じく一度しか言及されない山田風太郎。「SF」ではなく「奇想小説」と銘打たれているのが納得だが、『男性週期律』を読んだ若かりしヨコジュン氏の感想が、痛快というのである。曰く、「よくこんなくだらないものを書いたものだ 本を保存しておく必要もないので早速古本屋へ売った 150円也」(P20)と。でもこんな風にコメントされると却って読みたくなるのが人情です。エロとナンセンスが同居した同名短編は光文社文庫に入っているとのことなので、早速古本屋で捜してみましょう。150円じゃ手に入らんだろうけれどね。
 前述した国内外のSF小説家、勿論本稿では名を挙げていない作家もいるが、21世紀に於いてなお読み継がれている人の作物は、雑誌を含めて出た端から、見附けた端から読んでいたことから、本書は必然的に戦後高度経済成長期を背景にした日本に於けるSF小説の出版史&(読者側の)受容史の貴重な証言になっているわけだが、同時に、今日では(マニアならいざ知らず)すっかり忘れられてしまった作家の手になる(SF)小説の存在をいまに伝える記録にもなっている点に着眼したい。
 丘美丈二郎『鉛の小函』(P9)、泉政彦『改造人間』(P83)、山口裕一『キチガイ同盟』(P84)、海外作家に目を向ければこちらの浅い知識を露呈するばかりだが、ピーター・ブライアント『破滅への二時間』(P25)、エリック・F・ラッセル『宇宙の監視』(P71)、或いは大光社《ソビエトS・F選集》に入ったナターリャ・ソコローワ『怪獣17P』やZ・ユーリエフ『四つ足になった金融王』(いずれもP70)など、氏のコメントに従えば埋もれて忘れ去られても仕方のない作品もあれば、埋もれてそのまま忘れられているのが勿体ないと思える作品もある。殊に《ソビエトS・F選集》の二冊! 訳文は当時のままでまったく構わぬから(最低限の誤植誤訳を正し、欠損あらば補訳して)、ハヤカワ文庫SFか創元推理文庫で復活させてくれないものか。帯には当然ヨコジュン氏のコメントを抜粋して。地元の県立図書館にも市中央図書館にも収蔵されていないんだよ……読みたい、マジで!
 ああ、さて(小林完吾風に)。
 『SFマガジン』を読み、ハヤカワと創元の既刊新刊を読み倒すのに並行して、氏の足は自ずと古本屋へ向かい、古書市場に出回る戦前の科学小説の収集を始める。この過程で氏は最大の鉱脈を掘り当てることになる。日本古典SFの発見、である。そこを主軸にした近代文学史の書き換えと近代科学・文化史の新しい視座の獲得、である。本書は氏の、何人も及びがたい業績を遠くに予見するかのように押川春浪の作品の読書感想も載る(P53-4)。そんな意味でもヨコジュン氏の生涯の仕事の萌芽がここに見られる、というて過ぎはしないだろう。
 松本清張唯一のSF小説『神と野獣の日』(P16 案外と高評価)、ブラッドベリとシマックの作品に寄せた氏の感想について言及できなかったのが残念。これは機会があれば別の日に……といいたいが、本当にそんな日が来るのかは不明である。
 それにしても本書をもし、『バーナード嬢曰く』に登場するSF小説好きの女子高生、神林しおり嬢が読んだらどうなるか。海野十三「電気風呂の怪死事件」も載っている。そんなことを、本書を読みながら夢想したりもしたのである。◆
※2023年11月22日 03時47分公開□



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