第3740日目 〈平井呈一・生田耕作の対談から。〉 [日々の思い・独り言]

 最初から引っかかるところがあったにもかかわらず、優先順位が低いせいで調べるのがどんどん後回しになり、あげく何十年も経ってしまっている、ということが、わたくしにはよくある。
 たとえば表題の件もその一つ。『牧神』創刊号(牧神社 1980/01)を初出とする生田耕作と平井呈一の対談「恐怖小説夜話」はその後、生田耕作名義では『黒い文学館』に載り『生田耕作評論集成Ⅲ 異端の群像』に再掲、平井呈一名義になると『幽霊島 平井呈一怪談翻訳集成』が初めてとなった。「第3082日目 〈生田耕作『黒い文学館』を読む。〉」(2021/07/08)でも触れたが、『幽霊島』に載るヴァージョンには、前述生田の著書からは削除された『牧神』編集部の前書きが復活した。本稿では『生田耕作評論集成Ⅲ 異端の群像』(奢灞都館 1993/08)を引用元とする。
 「恐怖小説夜話」の中盤、『牧神』編集部が、生田と歌人・塚本邦雄の対談で平井訳ホレス・ウォルポール『オトラント城綺譚』を「戯作」と呼ばれたことに触れて曰く、──

 編集部 以前生田先生と塚本邦雄さんが対談をされ、平井訳『おとらんと城綺譚』に触れ、戯作調ということを言われましたが……
 平井 あれを部分的に読んで「戯作」をどういう意味でいっているのかはっきりしなかったな。(中略)
 生田 塚本さんとしては、文章に江戸文学の素養が表れているという程度の意味で言われたのではないでしょうか。
 平井 その程度ならよいのです。(P301)

──と。
 『黒い文学館』で最初に読んだときから気になって仕方なかった。塚本邦雄は余り好きな歌人ではないが、歌詠みとしてはともかく評論家・歌論家としてはその意見、傾聴してきたから、さて、塚本はどんなニュアンスで、どんな流れで「戯作」なる語を口にしたのか。機会あれば掲載誌にあたって確認してみよう。……それから長い歳月が流れた。言い訳はしない。こちらにも様々あるのだ、とだけ発言しておく。
 この間に、生田・塚本対談の掲載誌『短歌』昭和47/1972年7月号は手に入れた。が、幾箱ものダンボール箱とその上に積みあげられた本の山に阻まれて、雑誌の発掘は早々に断念した。おまけに腰と背中の痛みがようやく治まってきたのだから、無理をしたくない(というよりも、する気がない)。為、確認用に書架から持ってきたのは追悼として編まれた『現代詩手帖特集版 塚本邦雄の宇宙 詩魂玲瓏』である。これに、生田・塚本対談が再掲されているのだ。編集部の勇断に感謝。
 では「戯作」云々の典拠を辿ろう。対談のタイトルは、「わが心の芸術橋[ボン・デ・ザール] ダンディズムへの誘い」。以下、──

 生田 そういえば最近出た平井程一[ママ]さんの『オトラント城綺譚』[ママ]の訳、お読みになりましたですか。
 塚本 読みました。
 生田 どうお思いになりますか。私なんか、あの古語のうつし方にただただ舌をまくばかりで、深く味わうというところまでいきませんが、余裕綽々の離れわざに、あれよ、あれよと見とれるばかりで……。
 塚本 そのとおりですね。ゴシック・ロマンの訳をやるなら、漢詩あたりもやらなくちゃできないんじゃないかと思うような精神の緊張度を考える分けなんです。その意味で『オトラント城綺譚』なんかは名訳だと思います。
 生田 ただ、戯作調すぎるというようなところはありませんか。
 塚本 そうですね。でも、戯作調ってだいじなことだと思うんです。その要素があまりにも少なすぎる訳が多いじゃないかと思うくらいなんですがね。戯作調の日本語をマスターし、日本語をよく心得ている人の訳は、やはり味わいがちがいますね。(P314)

──と。
 どこかでわたくしがそう思いこんでいた部分もあるのだが、なんと、「戯作」と最初に口にしたのは生田先生であった! 「ただ、戯作調すぎるというようなところはありませんか」という問い掛けが果たして、同意を求める類のものであったか、あくまで懸念の域を超えぬものであったか、或いは自分の印象を確かめるための誘導であったか、今度は録音テープを何度も聞いてその口吻から推測するよりないが、もはや斯様な記録は残っておるまい。
 生田・平井対談に戻ると、平井が「部分的に」──都合よくトリミングされた対談を誰からもたらされて「読ん」だかは不明だ。可能性がいちばん高いのは思潮社に籍を置き、平井とは『オトラント城綺譚』のみならず退職後に設立した牧神社での『アーサー・マッケン作品集成』で、生田とはベックフォード『ヴァテック』補訳を通して接点があった菅原孝雄かと想像できるが、正しいところは不明である。
 ただ、塚本が平井の擬古文訳に江戸文学の素養を見出していたのは事実で、逆にそうした素養がなければゴシック・ロマンスの翻訳は難しいのではないか、と考えていた節さえ窺える。塚本は「戯作調の日本語」なんていうているが、古典時代の文学で用いられた言葉全般を使いこなせることが日本語で物を書き表す、表現する際の幅と深さをもたらすことにつながる──そんな信念を言葉の後ろに感じるのだが、如何であろうか。
 荒俣宏の回想にあったが、平井は『オトラント城綺譚』の手彩色版本を殊の外大事にしていたそうだ。平井にとってこの、ゴシック・ロマンスの嚆矢とされる歴史的名作は鍾愛して止まぬ一篇だったようで、それ故に、現代語訳と擬古文の二種類の翻訳を残した程だ。
 「建部綾足に範を取る擬古文」(菅原『本の透視図』P284 国書刊行会 2012/11)で訳された『オトラント城綺譚』は東雅夫編『ゴシック名訳集成 西洋伝奇物語』(学研M文庫 2004/06)で読むことが可能。ついでにいうと現代語訳は同編『ゴシック文学神髄』(ちくま文庫 2020/10)で読める。
 なお本稿では混乱を避けるために統一したが、平井の『オトラント城綺譚』は訳文のスタイルによってタイトル表記に相違がある。擬古文訳は『おとらんと城綺譚』、現代語訳が『オトラント城綺譚』となるので、古本屋さんで探すときはご注意の程を。◆

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